第135話 不良と本気で

姉さんにお仕置きでたくさん愛してもらったおかげで、むしろかえって私は冷静になっていた。

今の私はとても冷静沈着だ。

そしてそんな冷静な私はすでに気が付いていた。


黒リルカは―――ヤバい。


アレは駄目だ。

私というものを最大限に差し出すせいでなけなしの自制心さえ働かなくなるのだ。

とてもよくない。

リルカはまだ私への影響がなにひとつなかったからなんとかなっていた感あるっていうのに、これはほんともう……ね。よくないよ。なによりあれが心地いい・・・・っていうのがマズいんだ。


だから黒リルカは封印することにした。


うん。

そうするべきだとそう思う。

正直すぐにでも破棄するべきだ。

ただ、なにせ私以外には使えないとはいえなんともいかがわしいものだ。だから気軽に捨てたりできないし、やむをえず携帯している。


だけどもう私は絶対にこれを使ったりしない……!


絶対にだ―――ッ!


―――そんな決意を胸に秘めながら、屋上で不良とランチタイム。


文化祭でほとんど接触できなかったこともあってかこうして一緒の時間を過ごそうとしてくれるのが増えた。本人はなんてことないみたいにしているから、あえて何も言わないけど。


「来年は一緒に回ったりしたいね」

「ガラじゃねえだろ」


とは言いつつ、拒絶しているような感じではない。

楽しみだね、なんて言いながら肩に寄り掛かると、彼女はふんっ、て鼻を鳴らす。

かわいい。


ついにこにこしていると、彼女はむぎゅっと頬を挟んでくる。


「んで、それ何人に言ってやがんだ」

「えと、三人目……あでもひとりは小野寺さんだよ?」

「そうかよ」


むぃむぃむぃ。

どうやらあまりお気に召さないらしい。


もしかしてだけど……ふたりきりで過ごしたいとか思ってくれている、んだろうか。


なーんて訊ねたらもっとひどいことをされそうだなぁ、とか思うと笑みが浮かびそうになって必死にこらえる。

たぶん後遺症だろう。そういうことにしておく。

おのれ黒リルカ……!


「ま、それも悪かねえけどよ」


黒リルカへの憎しみでいろいろなものをごまかしていると、私をもてあそぶのにも満足したのかサクラちゃんの手が離れていく―――


……あ、れ?


「―――んだよ、おい」


にやにやと。

たまらなく楽しそうに笑うサクラちゃん。

その手を握っていることに一拍遅れて気がついた私は慌てて離そうとして、だけどすぐに指を絡めて捕らえられる。


「えっと、あのね」

「そんなにオレとふたりっきりがいいのかよ」

「いやぁ、あのうんと、」


それはむしろサクラちゃんでしょ、とかとっさに言えばよかったと、言い淀んでから気が付く。

おかしい、私はこんなにも打たれ弱かっただろうか。

こんな想定内の図星にさえ動揺するほどにちょろかっただろうか―――ちょろかったかもしれない。むぐぐ。


気を抜いていたわけじゃないのに、なぜかクリーンヒットして頬が熱い。


「いつもよりずいぶんと素直じゃねえかよ、おい」


ずぃと顔を寄せられてなんとなく身を引く。

それを面白がった彼女はもっと顔を寄せて、あっという間に背中が屋上にひっついた。


「逃げんなよ。できねえだろ」

「ん゛っ、ぇと、」


一度防御を突破されたらもうどうしようもなくて、そんなドストレートな言葉にたまらなく胸が高鳴る。

どのみちもう逃げる場所もない。

くたりと力を抜く私を笑って、彼女はがぶりと食らいついてくる。


あっさりと食べられてしまった私は、いつのまにか彼女の制服をぎゅっと掴んでいた。

もっともっとと、無意識が彼女を求めている―――あ、だめだこれ。


思った時には、すでに黒リルカを差し出していた。


これは、要は全面的な降伏宣言だった。

いけないと分かるのに、もうどうしようもなかった。


だってこんなに求められたら、応えたくなってしまう。


ここがリルカとの違いだ。

私からの働きかけによって応えるリルカと違って、黒リルカは、この身を差し出すことによって応える―――だから、特に彼女のような肉食系な子には、本当は向けるべきじゃない。


彼女は見知らぬカードに瞬き、だけどスンッと表情をなくしてスマホを触れる。


「―――冗談じゃ済まさねえぞ」


獰猛に光る視線。

それだけで肺が熱く熱される。


私は彼女の懐に手を入れて、そこにあった紙を抜き出した。


彼女が携帯している婚姻届け。


「サクラちゃんの本気ほんきって……どこまで?」


ゆっくりと開いたそれにはすでに名前が記載されている。

あとは私が加われば、これはすでに公文書だ。

もっともふたりとも年齢が足りてないから、これはしょせんおままごとに過ぎないけど。


でも。


「私がこれ書いたら、本気でサクラちゃんは私とひとつになってくれるの?」

「っ」


問いかけると、彼女は瞳を動揺させる。

まあ、それはそうだろう。

私を独り占めしたいとそう思ってくれている彼女は―――だけどきっと、どこかで『私がそれをまだ・・受け入れない』とタカをくくっている。


だけど。


だけど今の私は、言葉通りに彼女のものなのだ。


だからもしも、本気で望むのなら―――


「―――ねえ。口、開けて?」

「あ?」

「開けて」


少し口調を強く言うと、彼女は怪訝な表情をしながらも口を開く。

私は彼女の頬を包むようにして親指を口の中に含ませた。


「噛んで?」

「……」


彼女は私の指をそっと噛む。

それじゃ足りないんだと、くぃくぃと彼女の牙を押す。

彼女は少しずつ力を増していく。

痛みが生まれて、強くなって、牙が食い込むたびに彼女の視線が怯えていく。


「遠慮なんてしなくていいんだよ? 今の私は、サクラちゃんのものだから。―――サクラちゃんがする全部が、私には幸せなの」

「ッ」


彼女が一息に力を籠める。


ぶづ、と皮膚が破れる感触。

爪が押し込まれて、じぅわと熱が広がる感触。


上下の痛みに挟まれた指から、彼女の吐息が血管に侵入する。

彼女が私の中にいる―――たまらなくうれしくて、痛みへの反応が幸福のため息に紛れて見えない。


ハッとして口を離した彼女が呆然と私を見る。

開いた口に、体液わたしに濡れた牙がひとつ。


見れば、私の指は、腹にぷくりと血のしずくを膨らませて、そして爪のほうは内出血までしている。

随分と痛々しいことになったものだ。

きっとしばらくはこの青黒い痕は消えないだろう。


「さすがに印鑑なんてもってないから、ね」


私は笑って、彼女の唇を親指でなでる。

そうして広がった赤で婚姻届けの署名欄に印を押した。


「ふふ。押しちゃったね」


見せつけるように婚姻届けを引っ張り上げて笑いかける。

彼女は何も言えない様子で動揺している。

そんなところもかわいい―――けど、黙っているなんてもったいない。


彼女を抱き寄せて、くちづけを交わす。

いつもよりも少しだけ赤い、くちづけ。


「ねえ、サクラちゃん―――どこまで、本気?」


私の問いかけに、彼女は。


「チッ」


舌を打って婚姻届けを奪い取ると、目の前で破り捨てた。


「全部に決まってんだろ、バカがよ」


そう言って彼女は、ここまでの一方的な対応を清算するみたいに私の首筋に噛みついた。


ああ、どうしよう、制服汚れちゃうな。


ぎゅっと彼女の制服を握りしめながら、他人事みたいなことを思う。


彼女はきっと、本当に全部、本気だ。

私と結婚をしたいことも、それまでは直接的なことをしないという意思も。

だからこんな風には、受け入れたりしない。

それを分かっていないと、こんなこと私もできやしない。


―――ということまで彼女には分かっているんだろう。


これはその八つ当たりと、改めての決意表明みたいなものなのかもしれない。


「んっ、ぅ、」


いつもよりもずっと強く―――このまま肉を食いちぎって、殺されてしまえるくらいに激しく噛み跡を刻んでくれる。


彼女の本気・・が、もうたまらなく心地よくて。


「……ふふ、ふ、あは」


ああ、だめだなぁ、やっぱり。


黒リルカ……こんなの使っていたら、いつか本当に、取り返しのつかないことになってしまいそう。

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