第130話 お祭り騒ぎな彼女たちと(16)

劇的な先輩のつかの間のショータイムに酔いしれたおかげか、ほかのクラスの演劇をさっきほどまで楽しめない。だってあそこには先輩がいないしなぁ……


とはいえシトギ先輩のクラスになったら話は別だった。

まったく都合のいい私はその瞬間に目の色を変えて、一瞬でさえ彼女の出番を見逃してたまるかと目を見張る。


彼女のクラスの演劇は、なるほどと納得していいものか雪の女王だった。

もちろん彼女が雪の女王役。

白のワンピースに粉雪みたいな透き通ったヴェールを纏うだけでその有様をこれ以上なく示して見せた彼女は、もう普段通りの立ち居振る舞いですでにはまり役というかなんというか。

物語にはいろいろと省略や改変があって、特に花園での激闘なんかはシンプルに熱い展開だった。脚本家志望でも携わっているんだろうか。


それにラストも違っていた。

最後の場面で雪の女王の居城を訪れた主人公は、そのままなんやかんやあって雪の女王と和解し、雪解けとともに春を迎えるというハッピーエンド。

花のように咲いた彼女の笑みが見回した瞬間、それを見上げていた観客たちから大歓声が上がったのは言うに及ばないことだろう。

凍てつくような無表情で通っていた彼女がそうして笑顔を浮かべるというのはファンの子やそうでない子にとっても衝撃的だったに違いない。中には卒倒する子なんかもいたりして、一時中断して10分ほどの休憩がとられることになった。


……いやさすがに魔性すぎるでしょ。


さてそんな10分休憩。

舞台袖に詰めかけるファンの子たちをしり目に、私は体育館から抜け出した。

ふらりと外周に沿って、黄色い歓声に誘われるように……壁の向こうに、他のだれかの声によって、彼女の存在を感じる。


とても素敵な劇だったと思う。

とても素敵な演技だったと思う。


それは素直にうれしくて、感動したし、ああやって真剣になにかに打ち込む姿は何度見たって惚れ直してしまうほどに綺麗だ。彼女のそれは特に。

だから私もファンの子たちに混ざって詰めかけたってよかった。遠目に先輩と目が合って、そうしてささやかな微笑でももらえればそれが幸福だ。


だけど。


だけどどうしても、あの笑顔が頭から離れない。

演技じゃなかった。

あれは、本当に、心の底からの笑みだった。


無事に演劇が終わることへの安堵とか。

努力した結果を出し切ったことへの誇らしさとか。

応援して、身を乗り出してまで劇に熱中してくれた観客への感謝とか。

そういったものが彼女にあんな笑顔を浮かばせたのかもしれない。


それはとても自然なことだと思う。

普通だ。

劇が終わって、そうして並んで挨拶をしたほかのクラスメイトの方たちもにこやかに笑っていた。そういう類のもので。だから、特別なんかじゃない・・・・・・・・・


……ああ。


私って、なんて面倒くさいんだろう。

彼女がそういう表情を向けるのが、私にだけであってほしいだなんて―――そんなあさましい独占欲が、たまらなく苦しい。


図に乗っている。

彼女にとって私はとても特別で、だから私にだけ自然に笑ってくれて……そんな、それこそ劇的なことを思っている。

もちろんそんなことはあり得ない。彼女だって人間だ。誰にとっても冷ややかな態度、という噂があるとはいえ、気のいい友人がいるだろうし、長く過ごしてきたクラスメイトだっているんだ。そもそもシトギ先輩は、先輩とあんなに仲良く……まあ仲良くしていた。それが特別だと、どうして思えるだろう。


「んむぅ……」


面倒くさいことを考えている、そんな自覚はある。

だけどこんなものは一過性のショックで、すぐに折り合いをつけられるだろう。

そのためにはあの空間は少し騒がしすぎて、だからこうしている。


「はぁーあ……奇麗だったなぁー」


冷静に考えたらこんなくだらないことのために先輩に直接感想を届けに行っていないってもしかして私バカなんじゃないだろうか。いや今更か。自分のバカさ加減に何度呆れれば気が済むのやら。


そんなことを思っていると。


不意に、頭上から声が降ってくる。


「―――あら。島波さん」

「ほへ?」


見上げるとそこには、たぶん舞台袖の二階部分? 放送室みたいなところがあるはずの窓から見下ろすシトギ先輩。

とりあえず会釈してみると先輩はにこりと笑って。


いやそもそもなんでそんなところに?


という疑問に思い至るよりも、早く。


「ふっ」


と。

意気込むというにはあまりにも軽い吐息とともに彼女は、跳んだ。


……跳んだ。


は!?


「え、ちょ、おぁああああ!?」


びっくりしてとっさに両腕を広げて受け止めようとする私。

体育館の二階っていうやつは普通の校舎の二階よりもずっと高くて、そんなところから降ってくる人間の質量を受け止めるなんてもちろんできない。

だけど私にはそんなことをとっさに思い至るような脳は搭載されていなくて、ただただ『あ、私このまま死ぬな』という予感だけが妙に冷ややかにへばりつく中目を見開いて彼女を見上げていた。


しかし私の予感は、当然というべきか驚くべきことにとでもするべきか、ともかく外れた。


「はっ!」


彼女が体育館の壁を回転しながら蹴る。

当然身体が弾かれた彼女は私の真上からズレて、そのままくるくると落下する。

悲惨な光景を見たくもないのに閉じてくれない視界の中で彼女はついに接地して、その瞬間ぐるりと地面を転げ、かと思えば飛び上がって、数回転の後に着地、ひらりとターンを決めて最終的にビシッ! とその二本の足で凛と立つ。


「ふぅ。……ふふ、驚かせてしまい申し訳ありません」

「あ、えと、ええ……あの、お怪我とかは」

「問題ありませんよ」

「はぁ。それは、よかったです……?」


にこやかに笑う彼女になんと返せばいいのか戸惑う。

驚かせて心配させたことを怒ってみればいいんだろうか。

それとも無事だったことを喜べばいいんだろうか。

だけどここまで『普通のことですよ』みたいな顔をされると大仰に喜ぶのもなんだか違う気がしてくる。……いや全然普通じゃないよこれ。


「えっ。いやほんとに大丈夫ですか!? 足とかひねってません!?」

「心配してくれてありがとうございます。ですが問題はありません。鍛えていますから」

「鍛えてるで済ませていい所業じゃないですからね!?」


私はあわてて彼女を適当な段差のところに座らせて足首の様子とかを確かめる。

変に強がったりするような人ではないだろうけど、多少の痛みなら気にしないとか言い出しそうな気配もあるし。


だけどどうやら大丈夫そうだ。

少なくとも見たところ赤くなったりしていないし、動かしてみても痛そうな様子はない。


「はぁー……びっっっっくりしました……お怪我がなくてよかったです」

「……ごめんなさい」

「や、大丈夫ならいいんですけど。っていうかめちゃくちゃすごいですね!? 私も薙刀やろうかな……」


薙刀のどの部分が今のスタントマンもびっくりな挙動に有効なのかは知らないけども。

そんなことを検討する私に彼女はぱちくりと不思議そうに瞬いて、それからふっと優しく微笑む。


なんとなく気恥ずかしくなる視線だ。


私はごまかすように咳払いをして彼女の隣に座った。


「あーえと。それで、なんだってあんなアクロバティックを?」

「あなたがいらっしゃったもので」

「おぉ……えっ。もしかして先輩ってジャングルでツリーハウスに住んでるんですか?」

「いいえ?」


こう、木々を渡る動作が日常に溶け込んでたり……いやないんだろうけど、分かってるんでそんな真顔で否定されるとしんどいです……


「喧騒から離れていたら、偶然お見掛けしたものですから。逃げてきてしまいました」


ぺろ、と舌を出して笑うおちゃめな彼女。

かわいいも度を過ぎると凶器になるということをいい加減学習してほしいところだ。私だから致命傷で済んだものを。ファンの子だったら卒倒じゃすまない。


「先輩って、やっぱりよく笑うようになりましたよね」


そこだけを切り取れば、とても何気ない言葉だ。

それなのに私がとっさに口を覆ってしまって、そのせいで―――いや。どことなく天然なのに勘のいい彼女のことだ。それがイヤミのように不愉快な音であることに、当たり前のように気が付いただろう。


嫌な気持ちにしてしまったらイヤだなって。

そんなことを思う私に、彼女はゆらりと笑む。


「それはあなたのせいですよ」


せい、とはまたずいぶんな物言いだ。

苦笑する私に、先輩は同じように笑って言葉をつづけた。


「あなたのことを想うと、どうやら自然と緩んでしまうようなのです。ふふ。あなたはとても楽しい思い出ばかりをくださっていますから。そのせいですね」


楽しい思い出。

ややいかがわしいものも混ざっているような気がするけど……そう思ってくれているのならまあよかった、と言っていいのかどうなのか。どことなく含みがありそうっていうのは気のせいじゃなさそうだしなぁ。


ますます苦笑しかできない私の一方で、先輩はふぃっと空を見上げる。


「劇の時も、そうです」

「え?」

「普段から不愛想にしているからでしょうか。どうにも笑顔というのは苦手で……実は、本番の時はあなたと一緒にいるときのことを思い出していたのですよ。これが覿面でして」


恥ずかし気に笑う彼女の言葉は、もはや暴言に近しい何かだった。

まったく暴力的だ。

心臓をぶち抜かれたような気分。

ひどく狭い私の器が根本的に叩き割られてもうどうしようもない。


はぁー。

なんなんだこの人。最強なんだろうか……


「先輩。そういうこと私以外に言ったらだめですよ……」


もはや呆れさえにじませてそう言うと、先輩はふっと口角を上げた。

胸の真ん中あたりをその細やかな指先で押しながら、彼女は私の耳元でささやく。


「言えないよう、きちんと捕まえておいでなさい」

「ふぐぅ……」


彼女からすれば、けっきょく私の考えなんてお見通しというわけだ。

私は降参の白旗をふりふり寝ころんだ。


どうやら彼女を独り占めするためには、スネてるような暇はないらしい。

まったくほんと、どうしようもないお人だ……

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