第108話 ご奉仕したい女子中学生と

「ゔぅぅ……」


相変わらず熱が引かないまま日曜日になってしまった。

そもそも風邪をひいたことなんて特に誰にも伝えていないから、先輩と姉さん以外のお見舞いなんてある訳もない。


というか先輩はどうして私が寝込んでいると分かったんだろう。

そんな疑問に今さら気がつく。私に手を出すことがダメな先輩に好き放題好きを伝えるばかりに意識がいっていたから、そんなこと考える余裕がなかった。それに、先輩がいてくれたっていうのは単純に嬉しいし。


まあそれは考えても無駄なことなんだろう。なにせ先輩なんだし。


ともあれ、なんにせよ、先輩ならざる他のみんなはお見舞いには来てくれたりしない訳で。

ああ、どうも心が弱々しい気がする。来てくれないみんなに、だからこそとても会いたくなってしまう。

寂しくて寂しくてたまらない。

こんなことなら、姉さんを部屋から追い出すんじゃなかった。

うつったら悪いからって、そう言って大丈夫と笑ったのは私だ。

だけどそんなの押し切って隣にいてくれてもいいじゃないか。


ああ。

違う、姉さんは悪くない。

悪いのは私で―――ああもう、ダメだ、今はあまり考えるべきじゃない。

身体がしんどいから、心までしんどくなってしまう。

こういうときは大人しく眠らないといけない。


そう思って目を閉じる。

じわぁ、とまぶたの裏で疼くアメーバみたいなぼんやりとしたもの。

こいつが風邪のウィルスなんだろうか。

いなくなってしまえと瞬くのに、もちろんそんなことでなくなったりしない。


ごろりと寝返りを打つ。

目を閉じたまま、ごろり、ごろり。

なんだかどの体勢もしっくりこない。

熱で身体が変形してしまったのかもしれない。だからいつもなら快眠を提供してくれるベッドに、なかなか上手く収まれないんだ。


「……」


大声で姉さんを呼んでみたい。

そうしたらすぐに駆けつけてくれるはずだ。

だけどついさっき追い払ったくせにそんなことをしたら呆れられてしまうかもしれない。そもそも姉さんはまだこの家にいるんだろうか。私なんて置いて、ユキノさんのところに行ってしまったかもしれない。

そんなことはありえない。

だって姉さんがこんな私を放っておくなんてそんなことしない。


でも、呼びかけて返事がなかったら?


想像するだけでくらりとする。

くらり、と?


「ぁ」


くらり、ゆらり、くらい―――




目を覚ます。

気を失っていたようだ。それとも眠っていたのだろうか。意識があったとは思えない。腕の中にスポーツドリンクのペットボトルがある。2Lの大型なそれは今はほとんど中身がない。振り向けばそばのテーブルの上でカップが倒れている。そういえばスポーツドリンクを飲んだ覚えがある。注ぎ口に直接くちづけて。ベッドが濡れている。スポーツドリンクの匂いがする。


ここには誰もいない。


「あ、ぇ、」


気がつけば涙が溢れていた。

熱い。

眼球が燃え出しそうなくらい。

零れた涙はぐつぐつと煮え立っていて、滴り落ちるとじゅうじゅう手元を焼いてしまう。

もわと立ち上る水蒸気に視界がけぶる。


ひとりぼっち。

思えばリルカを手にしてから、人と一緒にいる時間がとても増えた。

リルカを使う使わないに限らず、彼女たちが傍に居てくれることが多かった。

でもいま私はひとりぼっちだ。

それがこんなにも辛くて苦しい。


「ばかみたい……」


たかが風邪をひいただけでこんなに追い詰められて、子供みたいに泣いている。

それがバカらしい、くだらない、間抜けじゃないか。


強引に涙を拭ったら、あまりの痛みに笑ってしまった。


―――ガチャ


と。

扉が開く。

差し込む灯りに、ここが暗いのだと気がついた。


「あ、お、おはよ」

「メイちゃん」


顔を覗かせた大好きな人。

彼女は驚いたように私を見て、それからゆっくりと部屋に入ってくる。

パタン。

と、扉が閉じる。

灯りが消えても、困るほどに暗くはない。昼か夕方か、それくらい。

メイちゃんより時計を見ようとは思えなかった。


彼女は私のそばまでやってきて、そっと手を握ってくれる。


「おみまい、来てくれたの?」

「えっと、遊びにきたの。そしたらユミ姉がカゼひいたって。だからおみまいして帰ろっかなって思ったらユミ姉寝てて、ちょっと下でアミ姉とお話してた」

「じゃあ、もう帰っちゃうところだった?」

「うん。あんまりおジャマするのもアレだし……あ、ユミ姉寝てる間にモモ缶買ってきたよ!」


後で食べてね!

と笑うメイちゃん。

メイちゃんの家では風邪をひいたときだけ桃缶が食べられるのだ。

だから私にも買ってきてくれたんだろう。


「ありがと。ふふ。うれしい」

「ん。えへへ」


素直にお礼を言うと照れて頬をかくメイちゃん。

お礼をしたい欲がむくむくと湧き上がってくる。

だけど帰っちゃうみたいだしなぁ。どうしよっかなぁ。


「……ねえ、メイちゃん。ちょっとだけ、一緒にいてくれる?」

「ユミ姉……うん。もちろん」


お願いすると、彼女は優しく笑みを浮かべて頷いた。

私がさっきまで泣いていたことにも気がついているんだろう。

優しい子だ。

本当に、たまらなく愛おしい。


「メイちゃんがうちに遊びに来てくれるのなんて久々だね」

「うん。なんかね、急に会いたくなっちゃった」

「へぇー。嬉しい」

「アレかも、ムシのシラセ? みたいな」

「ふふ、そうかも」


お話しをしながら、ゆっくりと指を絡ませていく。

彼女の手の輪郭を事細かに知り尽くすように、じっくりと、丁寧に。


それに合わせて、うっすらと朱に染まる彼女の頬。

照れているのか、うれしいとそう思ってくれているのか。どっちもかな。どちらにしても、なんて幸福なんだろう。


「からだ、しんどくない?」

「メイちゃんが来てくれたから大丈夫」


きゅ、きゅと手を握ると彼女はうれしそうに笑う。


「なにかできることあったら言ってねっ」

「ありがとう」


そんな姿を見ていると、私までうれしくなってしまう。

もっと甘えてみたら、もっとうれしくなってくれるかもしれない。


「じゃあ、メイちゃん。お言葉に甘えて、いい?」

「うんっ。なになに?」


瞳をキラキラさせる彼女に、私はそっと笑みを浮かべる。

彼女の手をそっと持ち上げて、私の首筋に触れてもらう。


「汗、いっぱいかいちゃったから。―――メイちゃんに、拭いてほしい、な?」

「ひょあっ」


とたんに真っ赤になる彼女。

いったいどんなところまで想像しているんだろう。

そんなことを思いながら、汗拭きシートをパッケージごと差し出す。


「これ、あるから。タオル準備するのも、めんどうでしょ? はい」

「え、っと。……?」


呆然となりながらも受け取るメイちゃん。

首をかしげながら一枚抜き出して、そして瞳を動揺させた。


それを気にせず、私はぷちぷちとパジャマを脱いでいく。

メイちゃんが唾をのむ音には気が付かないふりをしてあげた。


上半身をあらわにして、背を向ける。

肩越しに振り向いて、硬直する彼女に笑みを向けた。


「メイちゃん……いい、よ?」

「う、うん」


おずおずと伸びる手が、そっと汗拭きシートを背に触れさせる。


「んっ」

「ッ!!!」

「ごめんね。冷たくて、びっくりしちゃった」

「ご、ごめん」

「ふふ。大丈夫、きもちいよ?」


私が笑ってみせると、離れていた手がもう一度近づいてくる。

ひや、と触れるとまた声が漏れてしまうけど、今度は手は離れていかなかった。


冷ややかな布が、私の背をなでていく。


薄い布の向こうには、彼女の手のおっかなびっくりとした感覚がよくわかる。


「もっと強くしてもいいよ」

「わ、かった」


きゅ、と肌をこするように、張り付いていた汗をぬぐいとる。

首元から背中、腰のあたりまでを丁寧に撫でていた感触が、行き場を失ったようにやがて止まる。


「で、できたよ、ユミ姉」

「ふふ。まだ後ろだけだよ、メイちゃん」

「あぅ」


全身への奉仕を求めているのだと、そう言外に告げる。

生唾を飲み込んだ彼女は、新しいシートでまず肩に触れた。

するすると腕を拭い降りて、くるくると回すようにきれいにしてくれる。

そして今度は身体のほうに拭い上げて、わずかにためらって、わきの方に、触れる。


「ぅ、」

「どうしたの、メイちゃん」

「な、なんでもない!」


わきの下を、丁寧にきれいにする手つき。

うっかり手が前のほうに滑ってしまわないようにと気遣っているのがわかる。

ほんのちょっと身じろぎをしただけでも手は勢いよく離れて行って、それをごまかすみたいに、今度は反対側。


もちろんそれも、そう時間はかからずに終わってしまう。


「ありがと、メイちゃん」

「あ、う、うん」


お礼を言えば、ほっとしたように吐息するメイちゃん。

だけどあいにくと、これで終わりだなどとは言っていない。


私は当たり前のように、今度はメイちゃんのほうに前をさらす。


「はわぁっ」


びっくりして目を隠すメイちゃん。

だけど手の隙間からちらっと見て、目が合うと言語化しにくい悲鳴を上げてぎゅっと目を押しつぶしてしまう。


「メイちゃん。ちゃんと前も、拭いて?」

「だ、だめ、だよ」

「どうして? ただ汗を拭くだけ……だよ?」

「う、うぅ」


恐る恐る、彼女は私を直視する。

その視線が私のおなかから胸元までを舐め上げて、また彼女は、ごくりと唾をのんだ。


「き、れい……」

「……ありがとう」


ぽぅ、と見とれてくれるメイちゃんに、胸がうずく。

逃さないようにとその頬に触れながら、ずいと身体を寄せてみる。


「もっと、きれいに、して?」


メイちゃんの手を、胸にいざなう。

冷ややかなシートの感触に包まれる。

ただ身体を拭くだけのありふれた行為だ。

それなのに死んでしまいそうなくらい真っ赤になる彼女はとっても不思議だ。うん。ふしぎふしぎ。


「や、やっぱりだだだだめだとおもーよ!?」

「そんなことないよ。だってただ身体を拭くだけなんだもん」


彼女が悲鳴を上げても知ったことかと断言する。

聞き分けの悪い彼女のために、リルカを差し出してあげた。

ぶんぶんと首を振る彼女だけど逃がしはしない。

強引に迫って買い取った彼女の30分。

なかば涙目になる彼女に、私は優しく笑いかける。


「ただ拭いてくれるだけでいいんだよ。……ちょっとくらい手が滑っても気にしないから、メイちゃんの自由に、シて?」

「じ、じゆう……ッ!」


メイちゃんの視線がある位置にちらっと向く。

どこを拭きたいんだろう。

最高にかわいい。


どきどきとしながらも、私は思う。


これが終わってもまだ下半身が残っているのだと―――そう彼女に伝えるころには、もう30分くらい経ってしまいそうだなぁ、なんて。


だけど今は、ぎこちなく動き出した彼女の手に身をゆだねようと。

ゆっくりと、目を閉じた。

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