第100話 【特別編】別々な彼女と

―――自分に使ったらどうなるんだろう。


そんなことを突然思いついてみた。

鏡の向こうにいる私の前髪を整えてやっているときのことだ。


姉さんと同じ血が通っているだけあってそこそこ悪くない容姿をしているつもりだけど、そういう自己愛的なものからではなく。


単にこのリルカの効果をまじめに検証してみたことがなかったなって、そう思って。


なにせこれはずいぶんと不可解な代物だ。

摩訶不思議で理解不能で、そんな都市伝説級の存在。

人を買って無理やりに言うことを聞かせるとかいう、もしも人が人ならアダルト漫画も真っ青な行為に使われてもおかしくはなかっただろう。

私だったからいいものを―――いやまあ、私がまっとうなことをしているかと問われたら苦笑するしかないんだけども。


ともかく、そんな不思議な効力を、ちょっと自分も体験してみたいなとか思った次第。


もっともこれは私以外が使うことはできなくて、だから必然的にやるなら自分が自分にっていう風になるんだけど……いや、さすがにそれは無理があるのか。


なんて思いつつ、私は片手にスマホを、片手にリルカを持ってみる。

もちろん鏡の向こうの彼女も同じようにしている。

そしてリルカを鏡に近づけていけば、当然彼女はスマホを―――


あれ?なんかおかしくない?


と、そう思ったころにはすでにスマホとリルカは接触していた。

ぴぴ、と聞きなれた音がどこかで反響して聞こえてくる。

世界がぐわんと揺らいでいるような感覚。

眩暈にも似た、だけど自分の異常ではないとそう直感するそれは、つまりだから、世界が異常ということで―――


「おっと」


ふらついた私を誰かが受け止める。

聞き覚えのない声。

なにかぞわぞわと違和感がすごい。


振り向けばそこには鏡があった。


それは微笑みを浮かべていて、だから私もそうなのだと思ったけど―――もちろん、違った。


「大丈夫?」

「あなた、は……?」


私の問いに、彼女は困ったように笑った。


「私は私だよ。見たらわかるでしょ、?」


―――私がもう一人そこにいた。


なるほど、私か。そうか。確かにずいぶんと見慣れた顔だ。見ただけでとてもよくわかる。


「あなたが自分を買ったから、私は今ここにいるっぽいね」

「っぽい?」

「私もよく分からないよ。分からないでしょ?」

「うん」

「ね?」


なるほど私が分からないなら彼女にも分かりようはないのか。

言われてみればシチュエーション的に彼女がここにいるのは明らかにリルカのせいなんだし。


「なるほどこんな感じになるんだね」

「ほんと意味分からないね」

「ね。……っていうか自分相手ってどういう口調で話したらいいか戸惑わない?」

「あ、やっぱり? 敬語使うのはおかしいけど、なんかこう……ね?」

「ね。親友とかとも違うし、後輩ちゃんとかとも違うよね」

「なんかこう……フランクでいいんだろうけど私とは初対面だしね」

「そうそれ」


分身あるある『お互いの口調が定めにくい』

ないないのあるあるなんてどこに需要あるんだろう。


「それはさておき、せっかく買ったんだしいろいろ試していい?」

「いいけど、あれだね。結局そっちはいつも通りの立場なんだよね」

「ああ。まあ、それもそうだね」


そもそもされてみる感覚を知りたいという理由だったのに、これじゃああまり意味がなさそうだ。

まあでも自分を相手にするなんてそれはそれで面白そうだし別にいいけど。


そんな風に思う私に、彼女は笑う。


「どうせお金は自分のものなんだから、30分終わってから交代しよっか。ほら、だってどちらかというと私のほうがニセモノ? ドッペルゲンガー……鏡人間? とかまあそういうのだしさ」


あっけらかんとした彼女はまるで大してその事実を気にしていないようだ。

なるほど確かにリルカを触れたのは私だ。

そして私が彼女を買っているのだとそう認識しているということはそうなのだろう。


―――我ながら、わざと言ってるんじゃないかなって思うよね。


「あっ。いや違くて」


即座に察して、それとも私と同じように思い至って、彼女は慌てて首を振る。

だけど私は気にせずその手を取って引き寄せた。


「あなたがどういう存在かは知らないけどさ。そういうのは嫌だよ」

「あ、あはは。出たよ私のそれ」

「うん。出ました。でも、そもそもあなたってホントに私?」

「え。そりゃあだって私でしょ」

さっきまではね・・・・・・・?」


私の言いたいことを理解したのか、彼女は少しだけ動揺する。

うろたえた瞳が私の瞳を見て、まるで鏡をふたつ合わせたみたいな感覚になった。

やっぱり彼女は私なのだろう。

だけどそれだけのことだ。


例えば一卵性の双子だって、存在した瞬間にはふたりとも同じだ。

だけど育っていく中で違いが生まれて―――いや、お腹から出てくるときの順番、もっと前のおなかの中での位置でさえ、違う。

あの双子ちゃんは一卵性双生児で、だけどあんなに違うんだ。


存在した瞬間に同じということは、ずっと同じという根拠にするにはあまりにも弱すぎる。


「―――もしも私なら、本心でそんな風には笑わないよ」

「ッ」


見開かれる目。

そんなことに驚く彼女は、だからやっぱり私と全く同じではないんだろう。

震えだした瞳がむくりと膨らんで、しら、と静かにあふれて落ちる。


「わた、し……やっぱり、お、終わったら、……消えちゃうの、かな……?」

「……」


そんなことないよ、とか。

大丈夫だよ、とか。

そんな無責任な言葉をかけてあげることも時には大切なことなんだろう。

根拠がなくたって、時にはただ強いだけの言葉がうれしいこともある。


だけど。


もしも私なら―――


「ユミカ」


彼女の名を呼ぶ。

そっと頬を包んで、親指で涙をぬぐう。


―――自分との口づけは、ほかの誰よりも、ずっとしっくりくる。


凹凸がかみ合うみたいに。

継ぎ目なく、私と彼女はつながっていた。

身体的な触れ合いはきっと、愛する人ともっと近づきたい、ひとつになりたいという願望で。


だから彼女とのそれは、必然的に、なによりも愛おしくて。


「私でもいいだなんて、ほんとに見境ないんだね」

「知ってるでしょ。私って、けっこう自分のこと気に入ってるんだ」

「あはは。知ってた」


今度のキスは、彼女から。


「でも、あなたをこんな風に想えるだなんて知らなかった」

「えぇ。気になる。教えて?」


なんど触れ合っても、もっともっと欲しくなる。

まるでもともと同じだったものがまたひとつになりたがるような、そんな感覚。


繰り返し繰り返して。

そうしていると、彼女はたまらない喜びが溢れるみたいに突然笑う。


「ああ。ふふ。そっか」

「どうしたの?」

「ううん……私って、あんまりクズでもないのかもって」

「それは……どうだろ。都合のいい解釈かもよ」

「そうかも。そうだね。やーい、クズ」

「クズにクズって言われたくないやい」

「きゃうっ」


つん、とわき腹をつつくと彼女は小さく悲鳴を上げる。

負けじと彼女もつついてきて、ふたりで息切れするまでつつきあった。

それは少しずつエスカレートして、衣服の乱れさえ気にならなくなって、もっとくすぐったい場所を―――もっと感覚の鋭敏な場所をと、お互いの指先が探しあった。


そうしていると、30分なんてあっという間で。


―――そのときは、ふたりとも同時に理解した。


そっか。


……そっか。


「ありがとね」

「こちらこそ」

「寂しい?」

「ちょっとだけ。怖くない?」

「そっちこそ、怖くない?」

「どうしてさ」

「ふふ。じゃあおんなじだよ」

「そっか」

「そうだよ」


そして―――




「―――……んむ……?」


目を覚ます。

時計を見る。

まごうことなき朝だ。

なんだか不思議な夢を見ていた気がする―――なんてね。


「夢と呼ぶには、どうだろ。ちょっと惜しいね」


この場にいるたったひとりへと向ける言葉。

応えはなくて、だから代わりに笑った。


「そうだね。もっと一緒に……ううん。もっと別々でいたかった」


このほんのわずかな喪失感は、いったいどちらの思いなのだろう。

そしてこの胸を満たす喜びは、いったいどちらの思いなのだろう。


どちらにしても多分同じことだ。

だって彼女も彼女も―――そして私も、どれも私なんだから。

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