第93話 教育的な担任教師と

なんだかんだイヤじゃない親友との学校での不純性交友は、けれど噂になったりすることもなく。夏前の噂の件でいろいろとみんな学んだのだろうかと思っていたら、廊下ですれ違った先輩に『キミはヤンチャがすぎるね』と意味深な笑みを向けられたりしつつ。


そして某日。


私は先生の家にいた。


もちろんほかならぬ担任数学教師であるところの先生の家。

に。

奥さんの居ぬ間に教え子が。


理由はちょっとよくわからない。

帰ろうとしていたら遭遇して、ユラギちゃんのこととかいろいろ雑談に花を咲かせて。

で、なんかそのまましれっと車にエスコートされて。

ちょっと待ってろって言われてちょっとどころじゃなく放置されて。

親友とメッセージのやり取りとかしてたら先生が戻ってきて。


で、なんかそのまま車が発進したのだ。

私を乗せたままに、先生の家へと。


……我ながらなんで大人しく従ったんだと思う。

でもなんかこう、先生が普通にやってくると、おかしなこととか思えないんだ。あの人にはそういう、人を押し流す不可解な空気感がある。教師ゆえなのだろうか。


それはさておき、先生宅にて。


おしゃれなソーサーにおしゃれなティーカップで湯気の立つ紅茶という、ちょっと世界観が違うおもてなしを受けていた。

対面に座って足を組みながらコーヒーを飲む先生はあまりにも様になっていて、私がじろじろと見ていると緩やかに頬を目立たせてカップを差し出してくる。


「やはりこちらの方が好みだったか?」

「あ、いえ。だいじょぶです」


そもそも紅茶と答えたのは私だ。

慌てて紅茶に口をつけて、もちろんあっさりと舌先をやけどする。

だけどここで取り乱すのはあまりにも恥ずかしいので必死に平静を装ってみるけど、もちろん先生は簡単にお見通しだ。ククッと喉を鳴らして笑うその様子に、なんだか大人と子供というのを強烈に自覚して消えたくなる。


うむむ。


「島波」


先生が私を呼ぶ。

伸びた手が頬に触れて、なでおろして、くぃと顎を引かれる。


「どれ、見せてみろ」

「はい。……?」


誘われるままに舌を出して、ようやくおかしなことをしていると気が付く。

だけど先生は気にした様子もなく、とても真剣なまなざしで私の舌を検分していた。


「ふむ。火傷してしまったようだな。赤くなっているぞ」

「……」


先生の鋭利な指先が、熱のこもる舌先に触れる。

ひやっと凍てつくような心地よさ。

くりゅ、ともてあそんだ手は、だけどあっさりと離れていく。


「そそっかしいやつめ」


からかうように弧を描く目尻、楽しげに揺れる眼差しに、心臓がうずく。

気がつけば私は、先生の手を取っていた。


左手。


どれほど離れていようとだれかと共にあるのだと、それを示すような銀の輪。

これを外してしまいたいと強烈に思う。

隠せないほどにかみついて、私のものだと言い張りたい。


―――そんな思いさえ子供みたいで、やるせない気持ちになった。


「お前はまったく、どうしようもないやつだな」


先生の手が優しく頭をなでてくれる。

呆れたような、慈しむような穏やかな瞳は、どこまでも教え子を見るものにしか思えない。


―――どうして、家に呼ばれたのだろう。


ふとそんなことが気になって。

だけどそれを問いかけるよりも前に、先生の表情から色がなくなる。


悪寒。


まるで自分がすでに罠の中に捕らわれていたと気が付いてしまったかのような。

せめてもの抵抗のつもりで反射的に取り出したリルカは、先生のスマホに叩き潰されるようにして撃ち落される。

おかしいな、この時点で立場的には有利なはずなのに先生に命令できる気がしないんだ。


……四面楚歌の中心で、きっと彼は同じような心境だったに違いない。


そう確信する私の頭を、先生はぐぐぐと押し込んでくる。

つらいほどではない。逃げ出せるくらいの些細な拘束だ。


だけどなぜだろう、逃げたらひどいことをされると言外に伝わってくるのは。


「島波。ある善意の通報者が、貴様が学内で不純な行為をしていたという情報を提供してくれたわけだが……異論は」


問いかけている割に異論を許容しようという隙がまったくない。

むしろ返答によってはこのまま縦に押し潰されそうというか、なんならもうほとんど潰れそうというか……。


っていうかなにしてくれてるんですか善意の通報者せんぱい……?


「言っておくが性交の付随行為であれ公共の場では犯罪となる。そうでなくとも停学処分くらいは検討するが」

「ま、待ってください先生。誤解です。なにもしてない、っていうことはないですけど……えっ、き、キスは大丈夫ですよね?」

「部位によるが」

「口ですよ!? ほかにどこを想定してるんですか!?」


絶叫する私に、先生は表情の温度をさらに低める。


「額や頬であれば問題なしと言っていたところだが」

「あっ」

「神聖なる学び舎で他の生徒を刺激するような行為は慎んでもらいたいのだがな、島波」


ぐうの音も出ない……ッ!

ぐうの音も出ないけど先生にだけは言われたくない……ッ!


なんだこの釈然としない気持ち!


「そうなんども貴様のために生徒指導室を借りるのはほかの先生方からの印象も悪かろうとわざわざ自宅に招いてやったわけだが……どうやらこの私に無駄な気遣いをさせたらしいな」

「ご、ごめんなさい」


言っている人は人でも言っていることとか気遣いの内容はどこまでも誠実でしかも優しいのでもう私は縮こまって謝るしかない。


なぞの悔しさに唸っていると、先生は身を乗り出して間近にまで迫ってくる。


「―――それとも、してはいけないことをひとつひとつ教えてやらねばならんか? なあ、島波よ」

「え」


思考が硬直する。

いつもの冗談だとそう思おうとする私は、ゆらりと誘う指に連れられて寝室へと―――


「やっほー! こんにちわっ」

「えっ!? あ、はい、こんにちは。……え?え?」


入ったとたんに諸手を挙げて迎えられる。

はちみつ色の髪をした、見るからに元気いっぱいな女の人。

きらめく八重歯がチャーミングな、どこか少年めいた彼女の左手には先生とおそろいの指輪が……?


「お、奥様ですか……?」

「あはは! そだよ! そだっちの奥さんやってるー!」

「そだっち……」

「いつの呼び名だいつの」


隣り合ってベッドに座った先生は、あきれたように奥さんをつつく。

今まで見たこともないあまあまな顔だ。


……は?


なに。まさか今からふたりのいちゃいちゃでも見せられて『お手本』とでも抜かす気なのかこの淫行教師は。教育委員会に通報するぞこのやろう……!


「一瞬でやさぐれるな愚か者め」


たぶんそれはもうありありと不満が顔に出ていたのだろう、先生にくいくいと手招きされる。

しぶしぶ近寄ったら、捕食されるように先生の腕に捕らわれる。



「心配するな。アスミは見ているだけだ」

「はぁ……は? え? なゃ、なにをですか……?」

「決まっているだろう。教育的指導だ」

「あははははは!」


いや笑い事じゃないですよ奥さん?

目の前で妻が教え子にいかがわしいことしようとしてるの止めなくていいんですか……?


「あー。ふふっ。ほんとだ、面白い子だね!」

「せ、先生? いったい私のことなんて言ってるんですか普段」

「そうだろう。からかい甲斐のあるやつでな」

「無視ですかそうですか」


もう訳が分からない。


ちょっといいなって思ってる先生の家に招かれて怪しげな雰囲気になったと思ったら奥さんと一緒に笑われてるっていう。

しかもやっぱりからかってるだけなんだ。

……いや知ってたからショックではないんだけど。

ないんだけどっ。


むむっと口をとがらせていると、気がついた先生が嗜虐的に目を細める。


「案ずるな。そう心配せずともちゃんと指導してやる」


先生の手が、ゆっくりと私の唇に触れる。


「ただ、聖職者たるものが不貞などするわけにもいくまい」


だから奥さんの前で……?

どういう思考回路したらそんなことになるんだ?????


「この子って昔から熱くなるとすぐ暴走しちゃうからねー。ストッパーも兼ねてるかな?」


熱くなるようなことする時点でダメなんじゃないですかね?

こちとら教え子なんですけど?


「私は不要だと言ったのだがな」

「いやいやぁ。ほら、大事な教え子さんの初めてをこんなおばさんがもらっちゃダメでしょー」

「いえ、先生も奥さんも十分お若いと思いますけど……」


……いや違う。

そういう問題じゃない。

そこじゃない。


「あの、わ、私って結局なにをされるのでしょうか……?」

「心配せずとも、顔向けできんようなことはせんよ」

「そうだよー。安心して! めちゃくちゃうまいから! ワタシがほしょーしちゃうよ!」


なにが?


と問いかける言葉はついぞ口から出てくることはなく。

私はそれはもう念入りに、奥さんの見ている前で、おてんとうさまに顔向けできる範囲を多分やや逸脱しつつ、先生に指導された。


結構なお手前で……

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