第89話 ふたりっきりの不良と
夏休み明けにはいろいろなイベントが待っている。
その最たるものだと、体育祭とか文化祭とか。
ウチの学校は体育祭一日と文化祭二日をまとめて三日間の一大イベントになっていて、運動部も文化部もクラスごとにも最近は全くせわしなくうごめいている。
なにかと激しい図書委員ちゃんとそれはもう激しい夜を過ごしてすっかり寝不足な私は、だからその空気にちょっと耐え切れなかった。
みんな元気すぎる。学生かよ。若いなぁみんな……。
そんなわけで、私は屋上にやってきていた。
この空気から切り離された彼女は、たぶんそこにいるだろうと思ったから。
「―――よう」
はたして彼女はそこにいた。
不良のくせに人を思いやる心でできている彼女は、イベントごとにはほとんど参加しない。自分がいることでクラスの雰囲気を壊さないようにという、的外れで大げさにも思える、だけどひどく生々しい理由からだ。
そのせいか、なんてことない笑みもどこかざらついているような気がする。
「おはよ。今日もいい天気だねぇ」
愉快な喧騒は青空にまで届いている。
フェンスの向こうで体育祭の競技練習にいそしむ学徒たちは、見下ろしていてもわかるほどに楽しげだった。いや、中には嫌々やってる人もいるんだろうけど。でも、それを塗りつぶしてしまうだけの空気がある。
「つまんねえこと言うなよサボり」
「サボりにサボりって言われたくないなぁ」
なんて苦笑しながら、子犬のランチョンマットで隣り合う。
差し出したリルカはピピっと受け取られ、喧騒と背中合わせに押し倒される。
首筋に唇が触れて、つつぃと舐め上げる舌先につい声が漏れた。
「なんかてめぇ、感度よくなってねぇか」
「花も恥じらう高校生になんてこと言うの……」
いやはやまったく信じられない、と目をそらすと、グイっと抑えられてしっかり目を見られた。
「ゃ、べつにそんなことない、ょ?」
「Guilty」
「いやに発音がいい」
瞳の動揺が随分と分かりやすかったらしい、むき出しになった犬歯が脅すように肩に触れる。
「誰に仕込まれたんだ、あ゙ぁ?」
「や、だからそういうんじゃなくて……」
しいて言うなら昨夜の件と、最近姉さんとの触れ合いが減りつつあるから、多分そのせいだろう。別に夏休み中にいかがわしいことを仕込まれていたりなんかしない。してたまるか。っていうか何回か会ってるんだから信じてくれてもいいのに。
「チッ。ムカつくぜ」
いらだたし気に舌を打った彼女は、身体を起こしてそっぽを向く。
なんとなく、普段の彼女よりも刺々しい気がしていたのは気のせいじゃないようだ。
私は彼女を引き倒してむりやり馬乗りになった。
あまり気乗りしていないらしい彼女をじっくりと見下ろして、そっと耳の穴に指を差し入れる。
くぽ、と耳を閉ざして、彼女を世界と切り離す。
「いま、ここには、ふたりきりだよ」
彼女に届くようにハッキリと大きな声で。
まばゆそうに目を細める彼女の手がゆっくりとわき腹を包む。
制服の下に手が潜り込んで、シャツを透かして肌に触れる。
くすぐったくて身もだえする私を面白がって、彼女はくゅくゅと柔らかく肌をなぶってくる。
私は耐え切れなくて、それはもう散々踊らされた。
息も絶え絶え、腹筋の筋組織が蹂躙されておなかも痛い。そのうえひきつって喉も痛い。
マウンティングとったのにいいようにしてやられて彼女にのしかかる私を、オオカミのような力強い視線が見つめている。
「―――」
ささやくような声。
同時に耳を覆う彼女の大きな手のせいで聞き取れない。
だけどそれでも伝わって、ほころぶ頬を噛みつくように愛される。
かと思えば顔から投げ飛ばすようにして引きずりおろされて、逆光の中で彼女が私を見下ろした。
「今日は張り合いねえじゃねえか」
「たまには甘えさせてあげようかなって」
「ナマ言ってんじゃねえぞサボりがよ」
むぎゅうとほっぺを挟まれる。
けらけら笑う彼女が楽しそうなのが気に食わない。
楽しむっていうならもっとこう、笑顔とかさ、すてきなところの方がいいのに。
そんなことを思っていたら。
「ありがとよ」
「ふにゅ」
突然の言葉。
花も恥じらうくらいのはにかみで、なのに堂々と彼女は言った。
とっさに言葉を返せない私の目の前から、幻のように彼女は消えてしまう。
そして残ったのは獰猛なオオカミさんが一頭。
そいつはなんとも鋭い牙と嗅覚を持っていて、私なんてきっとペロリと平らげてしまうのだ。
それを思うだけで熱くなる身体に、思う。
たぶんきっと、ほかの誰よりあなたに仕込まれてる。
もちろんそんなこと、言ってやるわけもないんだけど。
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