第37話 嫉妬深い先輩と
積極的な後輩ちゃんのケーキをそれはもう堪能してしまったせいか、私は本格的に夏休みまで我慢しようという決意を固めていた。
なにもしなくともじゃれついてくるようになった後輩ちゃんとか、意識しだすと意識してしまう先生や生徒会長さんの視線とか、すれ違うだけで真っ赤になりながら手を振ってくれる図書委員ちゃんとか色々と危険はあったけど、それでも我慢するという強い決意だ。
後輩ちゃんにもイロイロとバレてしまっている様子だったし、今のありさまだと他の生徒に気がつく人がいてもおかしくはない。陸上部な彼女とのウワサがある状態でまたさらになにかマズいことをしでかすのも気が引けた、というのもある。デートの時になじられたし。
それに、今回の期末テストには気合を入れているのだ。
ぜひともいい点数が取りたくて、未だかつてないくらいに努力をしている。
そっちに意識を向けているおかげで、決意は揺ぎ無くけっこう順調だった。
で、もちろんそう上手くいく訳もなく。
なんとなく予感はしていた。
最近顔を見ないなって。
学校には来ているのに、あからさまに私を避けているような気がして。
どこかのタイミングで、私から話しかけたいって、そう思っていた。
だけど、もしも嫌われてしまっているのならと。
そんな不安に足が竦んで。
やるなら、もっと早くするべきだったんだ。
―――下着姿の先輩が、私を見ていた。
下校途中、強引に腕を引かれて連れ込まれた人気のない路地裏。
そんな場所があるという意識も向かないようなそこで、投げ捨てるようにして手を離した彼女は、それからにわかに制服を脱ぎ捨てた。
綺麗で、お洒落なのになぜか見てはいけない気がする黒いショーツと濃い紫のブラ。
美しいはずなのに、どうしてか、どうしても目を逸らしたくなる。
「せん、ぱい」
「なあユミカ後輩」
「せんぱい、服を着ないと、」
「ボクはね。どうしようもないヤツなんだよ」
「先輩ッ!」
制服を拾い上げて押し付ける。
こんな場所で、そんな姿で居させるべきじゃない。
彼女の言葉を理解することを放棄して、私はそれだけを考えていた。
先輩はくしゃりと顔を歪めて、あ、と思う間もなく唇を重ねた。
理解ができずに硬直する。
先輩にたった今キスされたというありえない現実が、あまりにもありえないことだったから、どうしても異物のように飲み込めない。
思考の全部がそれを理解しようとするのに使われて、だらりと落ちた手から制服がこぼれていく。
「キミを大切にしようと思うんだ」
肩に爪が突き刺さって痛みを生む。
「キミがやっていることを応援しようと思うんだ」
懐をまさぐった手がリルカを取り出して投げ捨てた。
「キミの気持ちを尊重しようと思うんだ」
彼女はまた私の唇を奪った。
「キミの全てを受け止めようと思うんだ」
私の肩にある痕を、彼女の爪が抉る。
「キミのために、生きていたいと思うんだ」
彼女は強引に私を壁に押し付ける。
頭を打って呻く私を、彼女は見てさえいない。
そうと分かる。
彼女は私に煮えたぎるような視線を向けている。
だけどそれは向いているだけで。
私のことなんて見ていないと、そう分かる。
「無理だよ。無理なんだよ。ボクにはそんなことできる訳がなかったんだ」
彼女の手がスカートのホックを外す。
無理やり押さえつけられてスカートを脱がされているのに、なにもできない。
怖いわけじゃなかった。
恐怖なんてなかった。
驚きに身をすくませているわけでもない。
理解できなくても、できないなりに受け止めた。
ただ、先輩だから。
先輩のなにかを拒むということが、そもそも、私には選択肢として存在していない。
愛してくれて、甘やかしてくれて、頼らせてくれる、素敵な先輩。
それで彼女のなにかが満たされるのなら―――たとえその指で強引に膜を突き破られたとしても、私には逆らえない。
そう思えるだけのものが積み重なっている。
だから今流れる涙はきっと、私自身へのふがいなさのせいで。
それなのに先輩は唇を噛んで、裂けた皮膚から流血さえして。
そしてぺたりと、その場に座り込む。
私も座り込んで、彼女の手を自分の胸に当てた。
「いいです。先輩。してください。止めないでいいですから」
「違う、違うんだ、こんなことがしたかったんじゃないんだ、ボクは、」
無理やりに手を振り払われて、変に突っ張った関節が痛む。
そんなささいなことを感じられないくらい、胸が痛い。
泣きじゃくる先輩の状態は明らかに異常だった。
下着を晒して、強姦まがいのことをしようとして、それが今は小さな子供みたいに訳も分からず泣いている。
彼女をどうすればいいのか分からなくて、私は分からないなりにリルカを拾い上げた。
人目をはばかることは頭になかった。
制服を脱ぎ捨てる。
先輩の荷物を漁ってスマホを取り出すと、それを持って、うずくまって嗚咽する先輩に後ろから覆いかぶさる。
「先輩」
「止めてくれよ、違うんだ、ボクは、」
「それでもいいですから。いいですから。お願いします」
私がお願いすると、先輩はスマホを手に取って。
ぴぴ。
「ね。これで先輩のせいじゃないです。全部私が望むこと。そうでしょう、先輩」
「……ごめんね、ごめんね、ごめんね、」
壊れたように謝罪の言葉をこぼす先輩の頭をなでる。
普段はなでられる側だから少し新鮮だった。
甘やかしてくれる人を甘やかしているという感覚は、なにか不思議な興奮がある。
しばらくそうしていると、先輩は私の手を取って。
そうして体勢を変えて、正面から抱き合うようにする。
先輩の身体が密着して、ブラの布地を少しだけもどかしく思った。
「…………ユミカ後輩は、そのおかしなカードを使って。多分きっと、良いことをしているんだと思うんだ」
「そんなこと、ないですけど」
根本的には私の欲だ。
そこを勘違いしたことはない。
誰に何を思われようと私は、自分の欲を満たすためだけにリルカを使っている。
「キミはそう言うだろうね」
先輩は笑う。
その手が背筋をするりとなで下ろして、ゾクゾクと震えが走る。
「だけど事実として、キミの周りの人は、だれもがキミを好きになってしまう」
「それこそ、勘違いなんですよ。ほんとうは」
「ボクはそうは思わないよ」
先輩の強い言葉に、悲しくなる。
じわりと湧き上がる自責の念をゆっくりとほぐすように、先輩は言葉を続けた。
「キミは、いつも真摯だ。イタズラ好きで、調子に乗ってしまうことだってあるけれど。それでも、キミはいつだって目の前の人を見ている。その人の姿も、性格も、人生も、ありのままで受け入れようとする」
「そんな大げさな」
「大袈裟くらいがちょうどいいんだよ。ボクらみたいな子供には。キミのその好意は、とても特別で、大袈裟なくらいに、嬉しいんだよ」
先輩の口から自分を子供と呼んだことが少し不思議で。
だけどふいに、彼女が所詮高校三年生の女の子でしかないのだと気がつく。
自分よりいくつも年上のお姉さんというような気さえしていた彼女が、腕のなかでいつもよりも小さく感じた。
「―――それがね。ボクにはいっとう妬ましい」
ぎゅ。
先輩からの力が増す。
呼吸が乱れて、声が少しだけ震えてきこえる。
「もともと、それはとても少ない人に向いていた。キミの親友や、お姉さん。そしてボクみたいな、限られた人にだ。だから我慢できた。……いや、どうだろう。そのときも、嫉妬はしていたんだ。でもキミはボクにようく懐いていてくれたから、それで満足するべきだと思っていたんだ」
―――それなのに。
そんな先輩の言葉が胸を締め付ける。
痛くて痛くて、たまらない。
「でもキミのことをたくさんの人が知ってしまった。キミはもともとそうしたがっていた。キミにはたくさんの好きがあるんだ。キミにとってのボクはそんなたくさんのうちのひとりでしかない。キミが目の前にあるボクを見てくれるのは理解してた。だけどボクは、どんなときだってキミに想われたいんだ」
先輩の熱が私を苛む。
何人もの女の子と関係を持つ欲望に忠実なクズの私に、そんな気持ちを向けてはいけないと思う。先輩のような素敵な人が、私なんかを想って嫉妬するべきじゃない。
だけどいま腕のなかで震える彼女に、どうしてそんなことを言えるだろう。
そんな思いは、先輩には見透かされている。
「キミ自身も、そんな自分をとてもひどいやつと思っているね。たくさんの人に好意を向けることはとても不誠実だと」
当たり前のことを先輩は言っている。
そう、そんなことは当たり前だ。
ありえないことだ。
許されないことだ。
だから。
「だから、それを好意以外のものとして、援助交際なんていう形でごまかしてる」
いつか先輩は『あまり、無理はしないでいいからね』とそう言った。
私は答えたはずだ。『やりたくてやってるんです』。
ああくそう。
それならもう、そのときには先輩は、全部わかっていたんじゃないか。
「でも、それもきっと上手くいかないはずだ。キミからの好意はとても分かりやすくて。そしてキミは、相手からの好意を無視できない。どんなに言いつくろったって、キミは好きを裏切れない。そういう子だよ。キミは」
先輩の言葉が、縛り付けられた私の心臓を貫いていく。
ゆっくりと、その槍の先端の形を知らしめるように、ゆっくりと。
私よりも私を知る彼女は、だとしたら。
だとしたら初めからきっと、私を殺したいほどに、憎んでいたに決まっているんだ。
「だからキミが嫌われてしまえと思ったんだ。誰も彼もから。そうすればキミはボクだけのものになると思った。そのために、キミの悪評を広めたんだ」
先輩の告白は、やっぱりなと、そんな納得で受け止められた。
ショックはなかった。悲しみも怒りもなかった。
先輩はそんなふうにまで思っているのかと、場違いにも少し、嬉しいくらいで。
「それが無駄だったのは、意外でもなんでもなかったけれど。キミを知る人がキミを見誤ることなんてないさ。そのあげく、こんな無様な格好でキミをレイプしようとするだなんてね。ボクも大概救い難い」
―――ふと。
そういえばなんか先輩やけに冷静になっていないかなと。
そんなことを思う。
泣きじゃくっていたころと比べるとずいぶん淡々としていて。
まるでなにかに吹っ切れたような、そんな気配。
今日は先輩の思いを受け止めて、めいっぱい慰めてあげようと、そんなふうに思っていたんだけれど。
なにかもう、すでに手遅れになっているような……?
「危うく、ボクとしたことが、キミの好意なんかに縋り付いてしまうところだった。そんな十把一絡げに収まってしまうところだった」
凄いこと言われた気がする。
というか先輩なにか楽しそうじゃないですか?
気のせい?
「そんなのでボクが我慢できるはずもないのにね。キミに受け入れてもらうだなんていうだらしない関係で、ボクが満足できるはずない」
だらしないというなら今の状態はずいぶんとだらしないわけなんですが。
そう思ってちょっっっっっっっと全力でがんばって身体を離そうとするんだけど、先輩は異様な頑なさで顔さえ見せてくれない。
頑として。
「ユミカ後輩」
「ひゃい」
「まずは謝っておきたいんだ。くだらない噂なんて撒き散らして、キミに不要な迷惑をかけてしまって。ごめんなさい」
「あ、えと、はい」
「その件はボクが責任をもって『始末』しよう」
「しまつ」
なんだろう。
ふと誰かの未来に死が待っている気がした。
おかしいよね。人間なんて結局最後には死んでしまうんだからそんなの人類共通なはずなのに。ふしぎだね。
「もうそんなくだらない手を取るのは止めにするよ」
「は、はい。とてもいいことだと思いますですはぃ」
「これからも先輩として、困ったことがあったらたくさん頼ってくれていいからね」
「よ、よろしくお願いします」
「まったく、ボクのやきもち焼きにも困ったものだね。うふふ」
うふふとか先輩の口から聞いたことない笑い声なんですけど……?
なにが起きているんだろう。
なにかヤバい気だけはする。
あとやきもち焼きで片付けるのはどうなんですか……いやいいんですけど、えっと、自分で言っているあたりにそこはかとない恐怖感があるんですよ。膨れ上がっちまうんですよ。
というか
「あの、先輩?そろそろ服をですね」
「ああ、そうだね。あ、かわいいかわいいユミカ後輩。ちょっと右上の方を向いてくれるかい」
「そんなおざなりに言われても……」
ちかちかっ、カシャッ。
……?
え。
今写真撮った?
混乱していると、カバンのなかでスマホが震えるのが分かる。
なんとなく気になってぐいと手を伸ばして拾い上げてみると、ツイッターの通知だった。
先輩がツイートしたらしい。
嫌な予感以外の何もないままに開くと、暗がりのなか下着姿で抱き合う女の子(顔の上半分は途切れている)のがぞうががががががががが
「くぁwsでrftgyふじこlp」
「大丈夫だよ。普段使ってないし鍵アカだから」
「あ、そうでしたね……じゃないですよッ!?相互フォロー6人もいるんですけどッ!?っていうかなんで当然のように姉さんのアカウントフォローしてんですか正気かッ?!ひぃっ、っていうかこれことごとく知り合いなんですけどッ!?たまきのアカウントとかあるし嘘だろコイツ信じられないメディアリテラシー凍結済みかよ常識のブロック解除しろよタイムライン爆速で流れますよそしたら!」
私が先輩と下着で写ってる画像がインターネットの海に高飛び込みキメてる。
しかもなんか先輩の適当な『かわいい』でによによしてるからまんざらでもない感出てるしっていうか待って姉さんからメッセ来てるんだけど。『今どこ』ってそんなの応えられる訳ないんだけどどうすればいいのこれ。
血しぶき上げそうだよこちとら。
うがぁあああ!と咆哮を上げて頭を抱える私を見下ろして、先輩は笑う。
「安心してよ。どうなってもちゃんと責任は取るから。ちゃあんとね」
安心の要素が欠片もない。
いったいどういうつもりなんだと。
恨めしく睨み上げても、先輩はそれ以上なにも言うつもりはないようだった。
ただ分かるのは。
多分きっと、これからもっと大変なことが起きるのだろうということ。
な、夏休み前に死ぬんじゃないかな私。
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