第38話 寛容な姉と

嫉妬深い先輩の手でインターネットに私の痴態が晒されたのを感知しているはずの姉さんは、しかしその後なにを言うでもなかった。

それとなく話を差し向けてもとくに反応なし。


とはいえ、じつはあの画像がインターネットの世界に存在していたのはほんの数分といったところだ。先輩にめちゃくちゃお願いしたら(色々と要求をされつつ)投稿を削除してくれたから。

だから、もしかしてただの勘違いだったのかもしれない。

姉さんがメッセ飛ばしてきたのはちょっとした偶然で、みたいな。


ひとまずそれについては考えないことにして。


先輩が始末をつけると言ったその数日後には、本当にウワサ騒動がほとんど終結していた。いったいどんな手を使ったのか、恋人云々という噂も片想いというレベルに落ち着いていたし。


だからいつの間にか、わりとあっさり平常運転。


そうしてのうのうと過ごしているうちにテスト期間も終わって。

その数日後返却された点数に満悦しながら家に帰った私が意気揚々と点数を見せびらかすと、姉さんはとても喜んでくれて、褒めてくれて。

ささやかなお祝いとかで、ケーキを買ってくれて。


そして夏休み初日。

姉さんは、そもそも私がテストを頑張る理由でもあった、ごほうびをくれることになる。

平均90点というなかなかに高いハードルだったけど、そのごほうびのためにいくらでも頑張れた。ほんとギリギリだったけど、クリアはクリアだ。


そしてそのご褒美っていうのが、姉さんとの遊園地デート。


お守り代わりにリルカを持ってはいるけど、使うかどうかは分からない。

もしかしたらリルカなしで……?なんて変な妄想をしてきゃーきゃー言ってるうちに昨夜は眠っていたから寝不足の心配もない。

全速力で、姉さんと遊園地を楽しめる。


という訳でやってきました遊園地。やったね。


ゲートをくぐると、なにかこう、ついに来てしまった!みたいなこう、上手く表現しにくい感動みたいなものがある。

まるで別の世界に来たみたいな高揚と、その傍らに姉さんがいるというこの、このね。

あ゛ぁっ、姉さんの妹に生まれてよかった……ッ!


「本当にごほうびがこれでいいの?」

「うんっ。えへへ。姉さんと遊園地なんて久しぶり」


姉さんと恋人つなぎなんかしちゃったりして腕を絡ませて、もうルンルン気分な私。

そんな私の浮かれようでごほうびというのにも納得したのか、姉さんは優しい微笑みを浮かべる。

そしてふと何か思いついた様子で、私の耳元にささやく。


「ねえ、ゆみちゃん。今日だけ……ここにいる間だけ、姉さんのこと、名前で呼んでみない?」

「ひょえっ」

「デートなんでしょう?それなら、ね?」


デートっていうのは、言葉の綾みたいなものだ。

姉妹で仲良く遊びつくして、ちょっぴり浮かれてみたりとか、それくらいのつもりでいて。


だけど。


「……え、えと、あみ、さん……?」

「ふふ。呼び捨てでもいいのよ?」

「やっ、それはちょっとハズい……です……」

「うふふふ」


謎に敬語になってしまう私を、姉さんの指が愛おしむ。


「いつも通りでいいのよ?ゆみ」

「が、がんばります」


おかしい。

いつもよりも近づこうっていう試みなのに、それなのにどうしてか、姉さんに普段通りに言葉を使うのが恥ずかしい。遠ざかってしまったわけじゃなくて、むしろ、あまりにも近いから、どうすればいいのか、分からない。


「ゆみは絶叫系好きよね。さっそくなにか並ぼうかしら」

「ぇ、とあの、はい、じゃあ、アレで……」

「うふふ。行きましょうか」


おかしい。

おかしい。

こんなはずじゃないのに。


ぐるぐるとああだこうだ考えながら、姉さんに引かれていく。

っていうか姉さん近くない?

指とか絡まってるのどうかしてない?

人間のこんな繊細な場所が絡み合ってるのどうかしてるでしょ

ウソでしょ人類ってこんなえっちな行動平気でするの……?大丈夫?捕まらないかなこれ。

公衆の面前で姉さんと手つないでるの犯罪じゃない?これ実質的にセックスじゃない?

だって姉さん、あっ、ダメだ直視できない、なんだこの人ほんとに私と血ぃ繋がってるんだろうか。ウソでしょこんな素敵な人が私と……?ウソつけよ遺伝子。姉さんだけ三重らせんとか成してるでしょ。二本分の情報量でこんなクオリティになる訳なくないDNA。それか姉さんだけ6次元で構成されてるとかじゃないとおかしい。


「―――ゆみ、緊張してるのね」

「ひゃい!ごめんにゃさい!ね、」


姉さん、と走り出しそうになる口をふにっと指先で止められる。

そして口パクで『あ♡み♡』(絶対♡ついてる。私には分かる。そうじゃなきゃこのときめきは説明できない)としっかり訂正された。


「すっ、すみません。あ、あみさんとデートだと思うと、つい」

「うふふ。そうね。私も、とっても緊張しているわ」

「えっ。あみさんが、ですか?でも……」


―――御剣さんと、何回もデートしてるのに。


そんな言葉をとっさに噛み潰して、口内に広がる苦みに吐きそうになる。

浮かれていた気分がズゥンと沈んで、足元を踏みしめる感覚にここが『遊園地』だと思い出した。


けれど。


「だって、大好きなゆみとのデートだもの。ドキドキしてしまうし、失敗しないかしらって不安になるし……だけどそれ以上に、とっても幸せよ」


姉さんのことばは、また私に浮力をくれる。

すとんと、あっさり降ってきた納得をぎゅっと抱きしめた。


御剣さんがなんだっていうんだ。

恋人だとか姉妹だとか、そういう関係性はいまどうでもいい。


大好きなひととデートをしている。


それだけが全てだ。

目の前の人のことだけを想って、そうしていればいい。


つい最近、私はそういう人間らしいって知ったところだしね。


「私も、あみさんとデートできて幸せ。今日はステキな一日にしようね」

「もちろん。忘れられない一日にしましょう」


私たちは笑い合って、それからようやくちゃんとしたデートが始まった。

ふたりでローラーコースターに乗って叫んでみたり。その後ふらふらしちゃう姉さんに膝枕してあげたり。

お化け屋敷できゃーきゃー言ってくっついてみたり。こういうのに実はすこぶる強い姉さんにきゅんきゅんしたり。

テンションのままメリーゴーラウンドに乗ってみたり。やけに恥ずかしくなってふたりで爆笑しながら二週目とかしたり。

ジャンボターキーとかチュロスとか食べ歩いてみたり。食べ物全制覇しようとかいうノリになって、ふたりで分け合って色々食べたり。

ティーカップに初めて乗ってみたり。どういう乗り物かよく分からなくてとりあえずぐるんぐるんやってたらふたりで気分悪くなってしばらくベンチで撃沈したり。

またまた別のローラーコースターに乗ってみたり。姉さんと手をつないでるところをばっちり写真に撮られたり。

子供向けのちゃっちいローラーコースターにも乗ってみたり。案外これがちょうどよくてわいわい楽しんだり。


そんなふうに散々遊んだものだから、少し休憩をしようということになる。

姉さんと遊んでいると時間はあっという間に過ぎ去って、夕方と言ってもいいくらいの時間に差し掛かっていた。


「アイスクリームでも買いましょうか」

「それナイスアイデアです。チョコとバニラのがあると嬉しいな」

「たまには違う味も試してみたら?」

「あみさんと分けっこするので大丈夫です」

「まあ。うふふ。じゃあお抹茶の味にしようかしら」

「うっ、あんまり苦くないなら……」


そんなささやかなやり取りさえも楽しいっていうんだからデートっていうのは偉大な発明だ。その名前を与えたとたんに、時間が幸せ色に色づいて感じられる。


わいわいとソフトクリームを選ぶ。

私はチョコバニラソフト、姉さんはぱちぱちするハワイアンな味(?)のやつ。

実は姉さんはけっこう挑戦的なのが好きなのだ。


ふたつまとめて受け取ると、売店のお姉さんが私と姉さんを見てにこりと笑う。


「ご姉妹ですか?楽しんで行ってくださいね」


それはとても何気ない言葉だ。

声をかけたくなるくらいに楽しそうに見えたんだろう。

誇ってもいいかもしれない言葉だ。

姉さんと似ていると思ってくれたことは素直にうれしい。

その通り、私は姉妹デートを全力で楽しんでいる。

だからその言葉に、笑顔で頷きを返すのが普通で。


「……」


それなのにどうしてか硬直してしまう私の手から、ひょいとソフトクリームを取って。


「ありがと、ゆみ」


ちゅ、と見せつけるようにキスをした姉さんが、私の手を引いていく。

頬を真っ赤にして呆然とするお姉さんを尻目に私を引っ張って行った姉さんが、私をベンチに誘って、ふたりで並んで座った。


言うべきだなと思ったから、口を開いた。


「……姉妹って言われて、嬉しかったんだよ。仲良しに見えたかなって。姉さんと、似てるところがあるのかなって」

「うん」


姉さんが優しく頭をなでてくれる。


ああ、つい姉さんと呼んでしまったと。

そんなことに気がついて、まあいいかって、思った。


「姉さんは姉さんで、それ以外じゃなくて……あみさんって、呼んでる間も。特別だって思うんだけど、でもほんとは、姉さんのこと、姉さんって思ってた。姉さんは姉さんだし、それがいいって思う」


姉さんが私の肩を抱き寄せる。

見上げると、姉さんはやっぱり優しい微笑みを浮かべていて。

そんなところを見ると、やっぱり姉さんだなって、そう思う。


「ウソじゃないし、強がりじゃないんだよ。たぶん、姉さんもそうだと思う」

「……ええ。そうね」


姉さんの肯定にホッとする。

姉妹という関係性が揺ぎないことへの安堵は、今日感じたどんな感情よりも大きかったと思う。


そうだから、今のこれは、ほんとうに、とてもちっぽけな気持ちで。


「でもね、なんか……もしも私たちが恋人で、その私が今の私たちを見たら……たぶんきっと、悲しくて、泣いちゃうと思う。思った?なんか、変だけど」


親愛は形を変えつつあるかもしれない。

向けるべきでないような情を向けているかもしれない。


でも。


そのどれもが、姉さんに―――『姉』に向けられたものだ。

形は歪でも、どんなにたくさんのものが混ぜ込んであっても、私にとってはそれを姉妹愛としか表現できない。

それくらいに大きい。

私と姉さんの間にあるほとんどを、姉妹愛と呼んでいる。

それ以外のことは、姉妹であることに比べればちっぽけだ。


たとえば姉さんに、姉妹じゃないものになろうって。

恋人や、なんでもいい、そんなものになろうって、言われたら。


私は、素直に嫌と思う。


姉さんとならキスができても、姉さんじゃないならキスなんてしたくない。

そんなふうに、想っている。


それが悪いとは思わない。

それが良いと積極的にさえ想う。


だけど。


だけどそれはある意味、もしかしたら、とても悲しいことなんじゃないかって。

急に、そんなふうに、思って。


「あっ」


気がつくと手に垂れていたアイスを舌で拭う。

姉さんのは少し溶けやすいみたいで、しずくがぽつぽつとスカートに落ちていた。


「シミになっちゃうよ」


姉さんの手をスカートの上から非難させて、ハンカチで染みをぽんぽんと拭く。

渇くまでは少し目立ってしまうだろう。


「ごめんね、変なこと言っちゃった」


謝りながら、姉さんの手を拭く。

水色の液体は、肘の先にまで伝っている。


「食べたら手洗わないとね」

「……ええ、そうね」


姉さんはようやく頷いて、アイスをぱくりと咥えた。

それからはなんとなく、アイスを食べ終わるまで無言だった。





「ゆみちゃん。観覧車にでも乗りましょうか」


アイスを食べ終わって近くのトイレで手を洗っていると、姉さんが提案した。

私は二枚目のハンカチで手を拭きながら、大人しくそれに頷く。


ああ、今日はこれでおしまいかな。


そんなふうに思ったけど、仕方なかった。


待機列に並んでいる最中に、姉さんがふと私の顔を見る。


「今日も、持っているのよね」

「うん」


頷いた直後に、姉さんの問いかけがリルカについてなのだと気がつく。

ふしぎと、私もそのことを考えていたような気がした。


やがて私たちが乗り込んだ観覧車が、ゆっくりと地表から遠ざかっていく。


観覧車の中はけっこううるさい。

機械的な音とか、身じろぎとか風に揺れたりとか、そんな音たち。

だから隣に座った姉さんの音も、あんまり聞こえない。


私がリルカを取り出したのと、姉さんがスマホを取り出したのはほぼ同時だった。


私がなにかを言う前に、姉さんの唇が触れる。


決済の音は音に紛れて、いつ鳴ったのか、よく聞き取れなかった。


「―――ゆみちゃん。あなたとキスをするとき、私はどんなことを考えていると思う?」

「どんな、……大好き、とか」

「うふふ。実はね、何も考えないようにって、考えてるのよ」

「え?」


どういうことかと首をかしげると、姉さんはもう一度くちづけをくれる。


「だってあなたのことを想うと、それだけでドキドキしてしまうから。そんな姿を見られたら、姉として恥ずかしいじゃない」


そう言って笑う姉さんの頬が、緩やかに染まる。


「だから後でね。あなたとキスしたことを思い出して。ひとりで、内緒でドキドキしているの。おかしいでしょう?」


くすくすと笑う姉さんに釣られて、私も笑う。

姉さんにもそんなかわいらしいところがあったとは、とんでもない新発見だった。


笑いながら私は、姉さんに寄り添った。

姉さんの鼓動を聞きながら、今姉さんは私のことを想っているんだなって、そう思う。


今度のキスは、私から。


姉さんの真似っこで姉さんのことを考えないようにとしてみたけど、考えないようにすればするほど姉さんのことが思い浮かんで、もっとしたくなってしまう。


たっぷりと姉さんと愛し合って。

それから口を離すと、姉さんは私を胸に抱いた。


「もしも恋人同士の私たちが私たちを見たら、きっと呆れてしまうと思うの。呆れるくらい同じことをしているって。私はそう思うわ」

「うん。……うん。そうかも」


姉さんに言われると、そんな気がしてくる。

そんな自分がちょろいなってふと思って、窓ガラスを見たら、ああやっぱり、呆れられちゃっている。でも笑ってる。それはそうだ、だって、幸せなんだ。


なんだ。簡単なことだった。


嬉しくなってじゃれつく私を、姉さんはぎゅっと抱きしめてくれる。


「降りたら、もっとたくさん遊びましょうね」

「えっ、でも観覧車乗っちゃったよ!?」

「いいじゃないそんなこと。それとももうお終いがいい?」

「それはやだ!姉さんともっと遊びたいな」

「うふふ。じゃあ決まりね」


頭をなでてくれる姉さんに満悦する。

この後なにに乗ろうかなって、そんなことを妄想していた。


していると。

姉さんは、優しく囁く。


「―――けれどその前に、ひとつだけ。どちらの私も悲しんでしまうことが、じつはあるのだけれど」

「え?なぁに?」


見上げると姉さんはにこにこしている。

にこにこだけしてる。

笑顔ではない。


おかしい。

とてもいちゃいちゃなムードだったはずなのに。


困惑する私に、姉さんがスマホを見せつける。


そこに表示されているのは、下着の女の子二人(顔の上半分は見切れている)。


……あ、あはは……?


「ねえゆみ。あなた、私以外に下着を見せてしまうような子だったかしら。ねえ」

「ひゅっ」


恐怖に身が竦んで、空気が通過しただけの音がする。


そのとたん、急に観覧車が停止する。


がたん、という揺れが姉さんの胸に吸収されてわぁい耐震性ばつぐんだぁうふふあはは。


『ただいま運転トラブルにより観覧車が停止いたしました!故障等は現在確認されておりませんので、安全確認の後速やかに運転を再開します!』


速やかっていつですか。

はぁ?もう三秒経ちましたけど全然速やかじゃないんですけど食べ物だったらアウトだぞどうしてくれる。


「ゆみ。もちろん説明してくれるのよね」

「や、やだなあみさん。そんな大した」

「ゆみ」

「ひゃい……」


語るまでもなく。

私はその後姉さんに、それはもうみっっっっっっっちりと尋問されるのだった。


でもまあそれくらいで許してくれるっていうのは、ある意味寛容と捉えられなくも……?

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