第25話 彼女持ちの姉と

お料理下手な後輩ちゃんは愛のお菓子をごちそうしたところで帰ってしまって、暇だから部屋でのんびりしていた。なんとなくやっちまったなぁっていう気持ちだけが胸の中にあるのを持て余しながら、今日はたっぷり姉さんに甘えようかなあとか、そんなことを考えていた。


だから『ただいま』の声にすぐに立ち上がった。


そして『おじゃまします』の声に足がすくんだ。


私は部屋から出ることができなくて、階段を上がってくる足音と話し声が近づいてくるのをただ黙って聞いていた。


やがて足音は扉の前で止まってノックが響いた。


「ゆみちゃん?眠っているのかしら」

「あ、うん。起きてるよ。おかえり、姉さん」


応えながら、私は扉に手をかける。

手の中にあるリルカにそのときはじめて気がついた。

だから無意識は意識下に変わった。


私は扉を開いた。

驚いたように目を開く姉さんが、すぐに優しい微笑みを浮かべる。

その後ろには爽やかな好青年風といった見た目の姉さんの彼女がいて、いつもどおりに人好きのする笑みを向けている。


「やあ、由美佳ちゃん。こんにちは」

「……こんにちは。御剣さん」


笑みはぎこちなくなっていないだろうか。

そんなことを思いながら、私は姉さんにだけ見える角度でリルカを晒す。

姉さんの目がひいらと細まって、私の視線だけを通した。


「―――また、後でね」


姉さんのささやきが耳に触れる。

扉が閉ざされて、ひとりぼっちとふたりきりに別かたれる。

部屋は防音がしっかりしているから、だから隣からの音は聞こえない。


私はベッドにもぐりこんで、すこしだけ眠ることにした。

身体が冷たくなって、まるで冬眠みたいだなって、そう思った。


―――――

―――


「―――、―――て、」


身体をゆすられる感覚。

目を開いても暗闇があって、闇の中には彼女がいる。

愛しの彼女だ。

夢にまで見た。


ぴぴ、と音が鳴る。

彼女が全てを許してくれたから、私は―――


わたし、は……?


「ゆみちゃん。おはよう」

「ぁ」


姉さんがいる。

姉さんは私をそっと抱き上げて、優しいくちづけを頬にくれた。

凍り付いた身体が解けていくのが分かった。


私もすがるように姉さんに抱き着いた。

姉さんはやわらかくて、あたたかくて、まるで親に抱っこされる赤ちゃんみたいな気分になる。そんな気分を本当は覚えていないけど、そんな気持ちになる。

そして同時に胸が痛む。

気持ちを拒むみたいに、形のあるほうの心がひどく捻じれた。

気持ちがいいのに痛いんだ。


御剣さんのせいだ。


御剣さんが姉さんのそばにいるから。

御剣さんが手を姉さんの腰に回していたから。

御剣さんが姉さんの恋人なんてしてるから。

御剣さんなんかが、私の姉さんを―――ッ!


「怖い顔をしちゃいやよ、ゆみちゃん」

「え……あ、ああうん。ごめんなさい」


姉さんにたしなめられると、ぐるぐると渦巻いている汚い気持ちがあっさりなくなる。

キャンディをもらった幼女みたいに、思考の全部がそれを喜ぶために使われる。


姉さんのやわらかさを身体いっぱいに堪能する私を、姉さんはいっぱいなでてくれる。

姉さんの口づけが頭の横側に触れる。

吐息が耳を浸した。


「嫉妬してるのね」

「あぅ……ごめんなさい」


醜い嫉妬に狂う私が、姉さんの言葉でただの駄々っ子みたいになってしまう。

私がうつむいてしまいそうになるのを、姉さんの優しい手が持ち上げた。


「うふふ。どうしてあやまるの」

「だって、うっとおしいでしょう?」


私は御剣さんに、姉さんの恋人に嫉妬した。


いや、正確にはずっと嫉妬はしていた。

彼女を名字で呼んでいるのは、他人と思い、他人と示すためのささやかな抵抗だ。

その嫉妬がいつもよりも強くなってしまったというだけでこれはずっとあった。

妹が姉を取られるのをいとうのは不自然じゃない。

姉さんとの触れ合いが増えればその気持ちが強くなるのはおかしくない。


リルカのせいで少しおかしくなっていても、これはまだ・・親愛の形をしている。


なんにせよ私は、その愛情でもって彼女に嫉妬した。

それはよくないことだと思う。少なくともこうして向けるべきじゃない。

だってそれは姉さんを困らせてしまうことだ。

姉さんは好きな人と付き合っているのに、それを邪魔しようとするなんて間違っている。


だけど姉さんは笑った。

まるで私が嫉妬することを喜んでいるみたいだった。


「鬱陶しくなんてないのよ、ゆみちゃん」

「でも姉さん、私、せっかくのデートなのに邪魔したよ。御剣さんの前であんなこと、」

「いいのよゆみちゃん。邪魔なんかじゃないわ。ゆみちゃんが妬いてくれるとね、ゆみちゃんが私のことを好きだって思えるから嬉しいの」

「うん好きだよ。姉さんのこと大好き」

「そうでしょう?私も大好きよ。ゆみちゃんのことが大好きな私が、どうしてそのゆみちゃんからの気持ちを鬱陶しく思うのかしら」


好きと、姉さんはなんどだってささやいてくれる。

不安定になっていた私の心が揺るぎない愛に支えられる。

姉さんが愛おしくてたまらなくて、姉さんの下唇を食んだ。

ふにふにと味わって口を離すと、姉さんは鼻先を交わしてくすくすと笑う。


「甘えたさんね。姉さんとキスがしたいのかしら」

「それは……ダメだよ、そんなの浮気だよ」

「したいの?したくないの?」

「ぅ……」


姉さんとキス。

したい。

してもいいんだろうか。

姉さんは、姉さんは許してくれているように見える。


でも、してはいけない。当然だ。

姉さんには恋人がいる。

それに私は妹で。

だからこれはイケナイことで。


そんなふうに思うのに、姉さんは私の答えを待たずに唇を重ねた。


あまくて、きもちよくて、とろけてしまいそうなくらいにあつい。

ねえさんのあじがする。


「ふふっ。私がしたいからしてしまったわ」

「ねえ、さん……」


驚きはなかった。

姉さんとキスをしたことはとても嬉しくて、むしろもっとしたくなって今度は私からした。

姉さんはそれを受け入れてくれる。

悪いことをしていると思った。

でも、姉さんと一緒ならそれでもよかった。


「ねえさん、ねえさん、いまだけ、悪い子になっても、いい?」

「ええ。そうね。いまだけ……うふふ。このまえ、約束したものね」


姉さんが許してくれるから、私は姉さんといっぱい、夢中になってキスをした。

姉さんはたくさん好きと言ってくれるから、私もそれにお返しをした。

このときだけは姉さんは私のものだから、独り占めしているから、だから姉妹も恋人もなにもなくて。

指を絡ませて、腕を擦り合わせて、足をもつれさせて、足先でくすぐりあって。

そんな度の過ぎた触れ合いを、時間いっぱいに楽しんだ。


―――この日からたまに。


姉さんとの、30分間の特別な時間が設けられるようになった。

でもふたりの関係に変わりはない。

私たちは血の繋がった仲良しの姉妹で、それはきっと永遠に、変わらない。

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