第百九十六話 ルノフェノ
≪ルノフェノ視点≫
私は男爵家三男との剣での戦いに挑み、完膚なきまで叩きのめされた…。
相手が子供だからと言って侮っていた訳ではない。
アイロス王国軍との戦争にて男爵家三男は剣での一騎打ちをし、敵を打ち破った話は知っていたので、最初から全力を出したのだが、それでもなお敗北した。
二度も暗殺者を退けたのが偶然では無く、実力で退けたのだと言う事を嫌と言うほど理解させられた。
それに、正面から戦って敗北したのは、ネレイトに続いて二度目だ…。
私は誰にも敗北する事は無いと思っていたのは、単なる思い上がりに過ぎなかったと言う事が良く分かった…。
更に屈辱的なのは、男爵家三男が私の罪を無かった事にした事だ!
私は今でも自分の考えが正しいと思っている。
男爵家三男を放置していれば、いずれ大勢の人々が苦しむ事になるだろう!
だから私は、そうならない様に努力し続けなければならない!
男爵家三男の帰宅後、私は父上の書斎に呼び出されていた。
この部屋には今、父上と私の二人しかいないので、誰に聞かれる心配も無いと言う事だ。
父上は表情は厳しいままだが、少しだけ安心したような雰囲気も感じられる。
それもそのはず。
男爵家三男が私を許した事で、ラノフェリア公爵家に傷がつく事が無かったのだからな。
私としても、ラノフェリア公爵家を傷つける意図は全く無かった。
仮に暗殺が成功していたとしても、アイロス王国はソートマス王国の手に落ちているし、その領地は実質的にラノフェリア公爵家の物だから全く問題は無かったはずだ。
男爵家三男と言う戦力を失うのは痛手だろうが、ルリアもそれなりの戦力になっているので、そこまで大きな影響はなかったと予想する。
父上は、椅子の背もたれに体を預けて大きく息を吐きだし、私を真っすぐ見てから口を開いた。
「ルノフェノ、お前の罪はエルレイ君によって全て許された。
今後どうやって過ごして行くかは、お前自身で考えなさい」
「はい、父上、もう既に決めております!」
「ふむ、ならば聞こう」
「私はけじめを付けるべく、ラノフェリア公爵家を出て行きます!」
「そうか、お前がそう言うのであれば止めはしない」
「はい、ありがとうございます。
しかしながら、私は世間を知りませんので、少しばかり支援を頂けたら幸いです」
「うむ、そちらは考えておこう。
しかし、その前にやる事があるのは分かるな?」
「はい、アリクレット侯爵に謝罪し、クロスフォーレ侯爵家のブレンダに婚約破棄を申し渡して来ます」
「うむ、クロスフォーレ侯爵のお嬢様には、この時期の婚約破棄は大変だろう。
私も行って、新たな候補を提示させて貰う事にする」
「はい、よろしくお願いします」
男爵家三男…いいや、私はもうラノフェリア公爵家の次男では無くなるのだから、アリクレット侯爵様とお呼びしなくてはな。
アリクレット侯爵様に謝罪するために、面会を求めたのだが忙しいと断られてしまった。
何でも、自分の街のスラム街を綺麗にするらしい。
教えてくれたネレイトも呆れていたが、アリクレット侯爵様ならやり遂げるだろうと確信している様子だ。
私にとってその様な事はどうでもいいが、時間が出来たので先に婚約者の元に行く事となった。
「ルノフェノ、今日この時を持ってラノフェリアを名乗る事を禁ずる。
これからはウィルハート男爵とし、お前が治める予定だった領地を与える」
「父上、ありがとうございます」
「うむ、男爵にしては広すぎる領地だが、お前なら問題無く治められると信じている。
それから、お前が望んでいた薬草の栽培を試してみるのもいい。
直ぐには結果は出ないだろうが、諦めずに頑張りぬくのだぞ!」
「はい、必ずやり遂げるとお約束します!」
出掛ける前に、父上からウィルハート男爵と名乗る様に言い渡された。
本来であれば、爵位は国王陛下から賜るものだが、父上はアイロス王国の件での功績により、男爵位を授けられる権利を国王陛下から与えられている。
ウィルハート家は私の母上エーゼルの実家なので、私が名乗る事になっても不思議ではない。
男爵位なのを周囲から色々言われそうではあるが、そこは父上が力でねじ伏せるに違いない。
私は父上と共に、婚約者がいるクロスフォーレ侯爵家へとやって来ていた。
事前に連絡していたとはいえ、予定に無かった訪問に、クロスフォーレ侯爵と婚約者のブレンダは僅かながら動揺している様子だ。
私と父上も硬い表情をしているので、良い話では無い事を察しているのだろう。
応接室に案内されて着席を求められたが、私と父上は立ったまま謝罪をした。
「クロスフォーレ侯爵様、ブレンダお嬢様、この度は私の事情により、ブレンダお嬢様の婚約を破棄させて頂きたいとお願いに参った次第です。
理由としましては、私がラノフェリア公爵家を離れ、ウィルハート男爵家になる事が正式に決定した事による物です。
一方的な申し出により、クロスフォーレ侯爵様とブレンダお嬢様にご迷惑おかけする事を謝罪致します」
私は深々と頭を下げて謝罪した。
「頭を上げてください」
クロスフォーレ侯爵様から声がかかり、私はゆっくりと頭を上げると、クロスフォーレ侯爵様は困惑した表情を見せている。
その理由は、ブレンダお嬢様が両手で顔を覆い、声を殺して泣いていたからだ。
ブレンダお嬢様を泣かせてしまい、本当に申し訳なく思う。
しかし、私には声をかけてあげる権利も無く、ただただ見守る事しか出来ない。
クロスフォーレ侯爵様は、泣いているブレンダお嬢様を部屋の外に連れ出そうとしたが、頭を横に振って拒絶したのでそのまま話し始めた。
「婚約破棄の件は…」
「お父様!私はルノフェノ様を愛しております!どうか、どうか…」
「し、しかし…」
ブレンダお嬢様はクロスフォーレ侯爵様にしがみつき、涙ながらに訴えていた…。
クロスフォーレ侯爵様は困惑しながらも、ブレンダお嬢様を何とか落ち着かせようとしていた。
私には、ブレンダお嬢様の気持ちは分からなかった…。
ブレンダお嬢様とは、パーティーの席で何度か話した程度しか無く、特に親密になったと言う事も無かったはずだ。
私自身も、ブレンダお嬢様の事を好きになったりしたことは無いと思う。
ただ…ブレンダお嬢様とは話しやすく、必要以上に自分の事を話したという記憶はある。
それで好意を寄せられたのかも知れない…。
「ルノフェノ」
「はい、分かりました」
父上の言葉を聞かずとも、私のやる事は分かっている。
私は、泣きながら訴えて続けているブレンダお嬢様を説得するべく声を掛けた。
「ブレンダお嬢様、私はブレンダお嬢様のお気持ちを大変嬉しく思います。
しかしながら、私は男爵になりましたので、ブレンダお嬢様を幸せにする事が出来ません。
どうか、ご理解いただけますようお願い致します」
「…ルノフェノ様は、私の事がお嫌いなのでしょうか?」
ブレンダお嬢様は、泣いて赤く腫れあがった目で私を真っすぐ見て質問して来た。
思い返せば、ブレンダお嬢様は私と話をする際には、今と同じように真っすぐ私を見て話をしていたな。
あの目に見つめられると、私は素直に何でも話してしまいそうになる。
そうか…。
私はブレンダの瞳に魅かれていたのだな…。
今頃気付くとは、情けない限りだ…。
だから、今の気持ちを真っすぐ伝える事にした。
「いいえ、ブレンダお嬢様の事を嫌いになった訳ではありません。
ブレンダお嬢様との会話はとても楽しい物でしたし、その気持ちは今も変わりありません」
「それを聞いて安心致しました…」
ブレンダお嬢様は、私の問いに対して優しい笑みを浮かべ、心の底から安堵している様子でした。
「お父様、お聞きになった通りルノフェノ様のお気持ちも、そして私の気持ちも変わってはおりません。
私はルノフェノ様と結婚したく思います」
「そうか、後悔しないのだな?」
「はい!」
ブレンダお嬢様はクロスフォーレ侯爵様の問いに、しっかりした声で答えていた。
「ラノフェリア公爵様、娘もこう言っておりますので、婚約破棄の件は無かった物とさせて頂きます」
「それでよいのか?ルノフェノは男爵なのだぞ?」
父上は、再度クロスフォーレ侯爵に確認していた。
男爵に嫁ぐ事になれば、今までのような贅沢は暮らしは出来なくなるのは分かっているはずだ。
私も公爵家に生まれたので、男爵家の暮らしがどの様な物なのかは分からない。
想像によるが、平民に毛が生えた程度の生活になるに違いない。
ブレンダお嬢様が、そんな生活に耐えられるはずもないはずだ。
「はははははっ!」
クロスフォーレ侯爵は突然大声で笑いだした。
「失礼…ラノフェリア公爵様も、大切にしておられたルリアお嬢様を、男爵家の婚約者になされたではありませんか。
まぁ、策略があっての事だと今になれば分かる事でしたが…。
それと同じく、ルノフェノ男爵もそのままで終わるつもりは無いのでしょう?」
「これは一本取られたな…ルノフェノ、どうなのだ?」
「はい、アリクレット侯爵様の様な急激な出世は難しいですが、出来る限り追いつけるよう努力致します」
「それならば何も問題は無いでしょう。
ルノフェノ男爵、改めて娘を貰っては頂けないか?」
「はい、ブレンダお嬢様を妻として迎えさせて頂きます」
「うむ、よろしく頼む!」
ブレンダお嬢様は、再び両手で顔を覆い、今度は声を出して泣き出してしまっていた…。
私はブレンダお嬢様の傍まで行き、優しく抱きしめてあげた。
「ブレンダお嬢様、苦労を掛けてしまう事になりますが、私は貴方を幸せにしたいと思います」
「はい…」
ブレンダお嬢様は顔から手を離し、その手を私の背中に回して力強く抱きしめて来た。
「ですが、私だけが幸せになっても困ります。
ルノフェノ様と共に幸せにならなければ意味がありません!」
「はい、二人で幸せになりましょう」
気付けば、いつの間にか父上とクロスフォーレ侯爵様の姿が消えていた。
気を利かせてくれた事に感謝し、私はブレンダお嬢様と長い間抱擁を交わし続け、お互いの温もりを感じ続けた…。
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