第百八十話 アドルフ その一

夜明け前に目覚め、素早く着替えて愛用の剣を腰に差し、外の訓練場へと速足で向かって行きます。

もう既に訓練を始めている同僚を横目に、剣を抜き素振りを始めました。

ある程度体が温まると、近くにいる同僚との勝負となります。

使用している剣は真剣で、一つ間違えれば死につながります。

しかし、私と同僚も剣の技量は上級者に近しい所にあり、寸止め出来る技量を有しています。

とは言え、油断をする事は許されず、一撃一撃に神経がすり減らされていきます。

「参りました」

今日の所は私の敗北で終わり、剣を鞘に納めて速足で自室に戻り、寝る前に用意しておいた水に布を浸して汗を拭います。

執事服に着替え、身嗜みを鏡で確認し、仕事場の情報分析室に向かって行きます。

廊下の窓からは薄日が差し込み、夜明けを知らせてくれていました。

定刻通りです。

ラノフェリア公爵家で私に与えられている仕事は、ローアライズ大陸中にいるラノフェリア公爵の配下達から念話で情報を集め分析し、それを纏めるのが私達の仕事です。

ラノフェリア公爵家で私の立場は執事ですが、情報分析室に配属されるのは、その中でも一握りの者達のみです。

私も長い下積みを経て、一年前にやっと配属されました。

入口の前に立っている同僚に挨拶をし、鍵を使用して入室します。

まだ誰も居ない室内を一回りし、昨夜の状況から変化が無いか確認します。

問題無いようですので、次は室内の清掃作業に移ります。

私は情報分析室の中では一番下になりますので、他の方々が入室する前に清掃を終わらせておかなくてはなりません。

素早く、そして丁寧に、隅から隅まで塵一つ見逃す事は出来ません。

清掃作業を終え道具を片付け終えた頃、他の方々が次々と入室して来ます。


「おはようございます」

挨拶を交わし、朝の会議の為に集合しました。

情報分析室室長のエリアートが前に立ち、仕事の振り分けを行って行きます。

「アドルフ、君は今日からヴァイスの補佐に転属です」

「えっ!?」

「何か不満でも?」

「い、いいえ、承知しました」

ヴァイスは私の父で、ラノフェリア公爵様の側近を努めています。

父はラノフェリア公爵家の使用人の中で最高の地位にあり、ラノフェリア公爵様が最も信頼している人物でもあります。

私もいずれは、この家をお継ぎになされるネレイト様の側近として勤められるように努力をしてまいりました。

ですので、父の補佐に任命される事は非常に嬉しい事なのですが、私はまだまだ父の補佐を努められるような実力を兼ね備えてはいません。

他にもっと優秀な方が大勢いられるのに、なぜ私なのか理解できないまま情報分析室の鍵をエリアートに返却して退室しました。

そして、父の執務室に向かいました。


「アドルフです」

「入りなさい」

父の執務室に入ると、父と私の母のメイド長ジドニーナが書類を手にして相談している所でした。

「アドルフ、早速だがこのリストに載っている使用人を至急ホールに集めなさい!」

「承知しました」

理由が不明のままリストを受け取り、早速私を含めた五十人の使用人達を集めに行きました。

リストに載っていた使用人は全員若手の男女で独身者のみでした。

何となく理解し、全員をホールに集合させた頃に、父と母がホールにやってきました。


「もう既に理解していると思いますが、一応説明します。

これから男女一名ずつ名前を呼ばれた者同士は夫婦となります。

そして、ラノフェリア公爵家を出てアリクレット男爵家の所に行って貰います」

父の説明を受け、集まった者達は動揺していました。

それは夫婦になれと言われたからではなく、アリクレット男爵家の所に行けと言われたからです。

ここに集められた使用人達は、若手の中でも優秀な者達ばかりで、将来はラノフェリア公爵家を支えていく存在となる者達ばかりでした。

ですので、動揺し不満に思うのも理解できますし、命令されれば従わなければならない私達でも、この命令はとても承服できるものではありませんでした。

しかし、私は情報分析室に在籍していましたので、アリクレット男爵家がラノフェリア公爵家にとって、とても重要な家だと言う事は理解しています。

私はそんな重要な家に行かせて貰えるのを、とても名誉な事だと思ったほどです。

それを知らない者達は、父に対して不満を漏らすのも仕方のない事なのですが…。


「アドルフ、後の事は任せます。しっかりと纏め上げてください」

「はい、承知しました」

両親は、私に全て任せて退出して行ってしまいました。

その途端、集められていた者達の不満が一斉に私に向けられました。

この程度纏める事が出来ないようでは、この先やって行く事は不可能だと私に対しての試験の様な物でしょう。


「お静かにお願いします。これより夫婦の発表をし、その後アリクレット男爵家の重要度を説明します」

先ずは夫婦となる相手を知らせる事で不満を躱し、その後アリクレット男爵家の事を説明して行きました。

余談ですが私の妻はカリナと言い、気立てのいい女性で上手くやって行けそうで安心しました。

私の説明で皆納得して貰い、この日よりアリクレット男爵家に仕えるその日まで通常の仕事を行った上に、さらに厳しい指導を受けることになりました。

そして、いよいよアリクレット男爵様、いいえ、アリクレット侯爵様の所に仕える日を迎える事となりました。

私達はホールに集められ、ラノフェリア公爵様からお言葉を頂きます。


「諸君、今日までラノフェリア公爵家に仕えてくれたこと嬉しく思う。

アリクレット侯爵家はラノフェリア公爵家、そしてソートマス王国にとっても重要な侯爵家となる。

アリクレット侯爵はまだ若い。

諸君らでアリクレット侯爵をしっかりと支えていってくれたまえ!」

「「「「「承知致しました」」」」」

私達はラノフェリア公爵様のお言葉を頂いた後、アリクレット侯爵様の魔法で一瞬のうちに旧アイロス王国城へと運ばれて来ました。

アリクレット侯爵様の魔法に驚愕している暇はなく、早速城へと入り中の状況を確認しました。


城の中は想像以上に酷い状況でした。

内装は汚れ、廊下の絨毯も所々破けた個所もあります。

全てを取り替えたい所ですが、予算も限られておりますので、補修と清掃で何とか見栄えだけは整える事にしました。

全員で五日掛って補修と清掃を終え、二日掛かって家具の搬入を終えました。

予定以上の時間がかかってしまいましたが、限られた人数では仕方がありません。

これで新たな使用人を採用できますので、少しは楽になるはずです。


新たに採用する使用人達は、旧アイロス王家や貴族達に仕えていた者達で、職を求めて毎日の様にここに訪れていた者達です。

採用した使用人は夫婦で来ていた者と、若い者に限定しました。

不採用になった者達には、旧アイロス領地に新たに来られる貴族様方に向けての紹介状を手渡しましたので、そこで働けることでしょう。

私は新しく採用した使用人を前にして、注意点を説明する事にしました。


「これは仮採用となります。

アリクレット侯爵様がいらしてから本採用か否かの判断をして頂きます。

それまでしっかりと働きぶりを見させて頂きますので、そのつもりで頑張って下さい」


アリクレット侯爵様がこちらに引っ越されるまでの期間が迫っております。

それまでに、出来る限り領内の情報を仕入れなければなりません。

急ぎはこの城がある街の状況です。

それ以外の場所は、人員も時間も足りてない状況ではラノフェリア公爵家を頼るほかないでしょう。

しかし、それが出来るのは今だけですので、一刻も早く情報収集網の構築を急がなくてはなりません。

やる事は満載で休む間もありませんが、とてもやりがいを感じております。

ラノフェリア公爵様と両親の期待を裏切らない為にも、頑張らなくてはなりません。

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