第三話 辿り着いた大地

 俺、慎治らしい男は、悪夢を見た所為で、嘔吐しまくり、出すものだし尽くし、よろよろ状態ではあるが、何とか日本と言う国に到着したらしい。

 情けなくも、佐京という、姉と言い張る女の肩を借りて、入管管理局を通過していた。

「ああ、なんだろうな?あの人だかり・・・、誰か有名人が・・・」と回りの騒がしさに、蒼白な顔で呟いていた。

 その騒がしさは、徐々に、徐々に、俺の方へ近づいていた。

〈なんだ、俺の後ろの方に誰かすげぇ~~~奴でもいるのか〉

 内心思うと、後ろを振り返っていた。しかし、どこにも俺の記憶のうちにある有名人などいなかった。・・・、というか、記憶喪失の俺に浮かんでくる、有名人の顔など何一つ無いのが事実のようだ。

 正面を向いたとき、その騒がしさは俺を囲んでいた。

 小型の録音機を俺の方や、佐京の方へ突き付け、なにやら喚く者。確かな事を口にしているのだろうが、俺には雑音にしか聞こえない。

 カメラのシャッターを切る音、ストロボの焚付け音と眩しい閃光の数々。

 どうやら標的は俺の様だな。

 なるほど、そう言う事か、と独り納得する俺。

 今の所、俺が唯一の飛行機事故の生存者らしい。だからといって、こんな歓迎のされ方ではいい気分など、するはずが無い。こっちのことを考えやがれ。

 そんな風に思うだけで、おれ自身何も出来やしない。

 頭が朦朧とする、連中の言葉は黒板を引っかくような音と同じくらい、嫌気が差す。そんな連中を、佐京は、

「キサマラッ!撮られる者の気持ち、聞かれる者の心理状況。それらを考えて、このような戯言をするのかっ!見て判らないのか、この弟の苦しそうな表情をっ!失せろ」

 彼女はそう言い放ち威圧的なまなざしで、報道関係者を追い払う。

 格好のいい姿だと、俺はマジで思ったが、全く、連中は引く気が無いようだった。

 周りのあまりにも滑稽な状態に俺は失神してしまいそうになる。

 飴に群がる蟻の様に押し寄せる記者の連中の間を割って、数人の屈強の黒服を着た男たちが、俺達のところへやってくると、

「お迎えに参りました。八神様・・・、お車は既に用意してあります。ここの不躾な輩達は此方で対処しますので、あちらの方へ向かって下さい」

「すみませんね。お願いいたします」

 母親である皇女は言い、俺の手を引っ張り、裂けた空間の間を縫って、歩き始めた。

 運転手つきの車に揺られて二、三時間。

 知らない人物が、車の扉を開け、俺の家族らしい連中を外へ出るようにと促していた。

「ここが、私達の家だ」

 姉らしき人物は俺に顔を向けて、そう言っていた。

 俺は指で示された三階建ての結構広めの家宅を漠然と眺めるも、何の感慨も沸かないし、脳が触発されて記憶もよみがえってくることは無かった。

 ただ、『ああぁ』と無気力に言葉を漏らしているだけだったようだ。

「シンお兄ちゃん、なかにはいろっ!」

 妹かもしれない彼女は取り繕ったような表情ではなく、普通に笑顔を見せると、俺の手を彼女の小さく柔らかい手で握り、その家の中へと導こうとする。

 反射的に右京の手から逃れようと引っ込める動作に入ったが、即座に俺の行動を理解した彼女は逃れられないようにその手の握る力と、前進する速度を上げていた。

 俺は勝てなくて、そのまま、もつれてしまうように前へと進みだし、まだ上手く歩くことが出来ない俺は見事に転んでいた。

「こら、右京。嬉しいのはわかるが、シンはまだ、足元がおぼつかないんだ。その様に急かしては駄目だぞ」

 かなり歳の離れた妹らしき彼を窘める姉。

 背にする、皇女と言う人物はその光景が微笑ましかったのだろうか、淑やかに笑みを浮かべていたみたいだが、俺がそんな事に気を止めている余裕などあるはずが無い。

 目が後ろについている訳でもないしな。

 室内に入っても右京は俺の手を離してくれることは無く、初めに案内された場所は、

「ここが、シンおにいちゃんの部屋。ちゃんとさっちゃんお姉ちゃんがお掃除していたから、埃なんて溜まってないよ。勿論、私もだからね、クスッ」とおどけた表情で、言う、妹らしき彼女へ、

「あの人がね・・・、まるでそう言う事が出来るような人には見えないんだがな」と小声で呟いた積りだったが、

「そんなことないのっ!さっちゃんお姉ちゃんは何でも出来ちゃう、自慢のお姉ちゃんなんだからっ!」

 ふくれっつらで右京は抗議し、背中に戦慄が走った。

「ほぉ~~~、貴様。そんなめで、姉である私を見ていたのか?」

 冷ややかで、鋭いその声、俺は何故か、直感的に死を覚悟してしまっていたが、

「まあ、良い。シンよ、今はゆっくり休め。行くぞ、右京」

 佐京って人はそう言い残すと、澄ました顔で、右京の頭に手を載せながら、俺の前から去っていった。

 一人残された俺は無意識に九畳位ありそうな俺の自室らしい部屋を漠々と目の中に映していた。

 凄く明瞭な所に置いてある大切な、無くしちゃいけない大事な想い出が込められた親友達と俺の入り込んだ写真が収められた写真立てがあるのに、全く意識する事もなく、寝台の方へ向かい、その上に仰向けに寝転がると天上を馬鹿に眺め始める。

「やがみ・・・、しんじ・・・、・・・・、・・・・・、八神慎治。それが俺の名前か」

 朧気に皇女から聞かされた俺の名を呟く。

 それから、他にも聴かされた事を整理しようと思ったが、面倒くさくなって、体を寝台の上で二、三ごろつかせ、向いた方の壁を目にする。

 黄ばんだところが全く無い、真っ白な壁紙。

 俺が戻ってくる前に張りなおしたのだろうか?

そもそも、ここは俺の本当の家?彼女たちは俺の実の家族?そんなことを思いつつ、いつしか眠りに落ちていた。

「XかXとぉーーーーーーーっ、みXぁーーーー!!」

 俺は夢の中で高層建築物の屋上から落ちて逝く誰かの名前を愕然とした面で叫んでいた。

 夢の中で、堕ちて逝くそれらを追いかけ、到着した場所で見た残酷さに悲鳴を上げる。

 両手を頭に乗せ、爪を立て、眼球が恐れと共に不規則な動きをしていた。

 目下まで広がる血の海。血海の源にある歪な形の造型。

 その不自然な造型を目にし、身震いしている夢の中の俺。

 真っ赤な景色がやがて、TVの受信不良の様な乱れ画像の様に揺れ、其れが激しくなると、遂に砂嵐となって・・・、


「はっ、・・・、・・・、はぁ、はぁ、はぁ。くっ、またあの夢か・・・、ナンなんだ、いったい?」

 上半身を勢い良くベッドから、起こすと開いた左手で顔を覆いつくすと少なからず頭痛のする額に力を込め、呼吸を整えるために暫くそのままの格好でいた。

 痛みが治まった頃、

『ふぅ~』と軽い溜息と一緒にゆっくりと首を上げ天井に向けて、左右に振っていた。

 顔の位置を水平に戻すと体の向きを変え、壁を背に足裏を合わせ、ひし形の様に脚を組み、その足首を握った格好で、机の方をぼんやり見ていた。

 そこには写真立がある。だが、俺の興味は其れに注がれていない。

『こんっ、こん』

「シンお兄ちゃん、夕食の準備が出来たよ。一緒にたべよっ!」

 扉を叩いてからそんな風に挨拶し、俺の部屋に右京が入ってくる。

「俺はいいよ・・・」と無気力に答えた。

「だめっ!一緒に食べるのっ!」と言い俺の方へ向かってくると腕をつかまれ引っ張られた。

「だから、いいって」

「だめなのぉ」と半泣き状態になる右京を見て、

「はい、はい、わかったよ。だから、そんな顔をするな」

 そう諦めると、おい、おい、さっきの表情はナンだったんだと、またにっこりした顔に戻っていた。

 一度返事してしまった手前、頭を掻きながら、寝台から降りて、彼女と一緒に食堂へと向かった。



「ご馳走様・・・」

「どうした、シン。殆ど箸をつけていないではないか」

「お兄ちゃん、折角一生懸命皆で作ったのに・・・、ちゃんと食べようよぉ」

「わりぃ、食欲がわかないんだ」

 気だるそうな感じで、その二人に返答していた。

 実際、前方左右の彼女等に囲まれて、食事を摂る事が、居心地悪くて、どうしても、その場に居辛かった。それに・・・。

「シンよ、しっかり食べねば、これからのリハビリテーションに体力が付いて行かぬぞ。だから、た・べ・よっ!」

「そうしたいのは山々さ。ここに並べてくれたものはドレもおいしそうさ・・・。でも、胃に入れても、戻しちまったら、体力付く、付かないかの問題じゃなえぇだろが・・・」

 言って、食卓の淵を杖の代わりに体を持ち上げ立つと、ぎこちなく移動し、壁に手を当て、体を支えながら、おぼつかない足取りで、自室らしい所へ戻ろうとした。

「シンッ!」

「おにいちゃん、まってっ!」

 姉妹二人は言うが、俺は振り向きもしなかったし、その二人が、席を立って、俺の所によって来る事は無いみたいだ。

 本当に母親かもしれない、皇女が娘二人に目で、今は俺の行動を見守れとでもいう風に訴えかけていたからのようだ。

 三階にある今の俺にとっては客間と同じ様な感覚を受ける自室へと向かっていたが、到着するのにどれだけ掛かっただろうか?疲れを身体が認識する度に、階段に座り、一休みしてしまっていた。

 彼女等三人は食堂から出てこない。

 俺が自室へと戻れるように手を貸してはくれなかった。だけど、気を使われて、そんな事でいちいち、俺と一緒に行動されるよりも、清々すると今は感じてしまう。

 そう思ってしまうのは俺が薄情な男だからなんだろう・・・、と記憶喪失な俺は考えちまったよ。

 客間まで、後数段とちょっとの所に座りながら。

 過去を忘れちまっている俺と俺を知っている彼女たち、その事で、すれ違う互いの心。

 目を瞑り、睡眠に墜ちる度に騒ぎ立てるあの悪夢。

 其れが暫くの間、俺を苛ませる様だった。果たして、いつ俺は真実を知り、本当の自分を取り戻せるのだろうか・・・。また、其れは俺にとっていい事なんだろうかね?

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