第二話 生還とその代償

 湾岸都市オマーンの首都、マスカット。

 道路の反対側の風景に海が見える場所。海岸沿いには防風林がきれいに並び、整地された区画と、その間に並ぶ、大小さまざまな建物。

 行き交う人々の多くは強欲な陽射しから、頭部を守るためにターバンや頭巾を掛けていた。

 幹線道路沿いに並ぶ様々な建物郡。その一角に大きな国立病院が建っていた。

 海から吹く、潮風のあおりを受け、外装の所、処に小さな亀裂が走っているが、それでもその建物は周りから比べると立派に見えていた。

 その病院の病室の窓からは広い、広いトルコ石、紺碧の海が望めていた。

 窓を開ければ、潮風のにおいが、その部屋の薬品くささを吹き攫う。流れる風に、はためく、少し黄ばんだカーテンの音が空間の静寂を和らげていた。

 やや狭い部屋に六つ並ぶ、簡易的な寝台。その内の一つだけが、異国の患者によって埋められていた。

 その患者は半身を起こしていた。

 薄い敷布の裾を両手で軽く握り、顔は窓の外を向いている。

 半そでの寝巻きから生える二の腕、敷布の下に隠れる両足と握った拳の甲、それと頭部全体にはまだ、包帯が巻かれていた。

 外を眺める患者は、外界から、聞こえてくる風の音と、廊下側から聞こえてくる声に、

「ここは、どこだ?そもそも、俺は誰なんだ?・・・、・・・、・・・、ハァ~ッ」

 小さな溜息を吐くと、男は正面を向く、病室の中の様子に一度目を通し、誰も彼以外居ないことを知った彼は正面に目を戻した。

 先ほどまで、視覚認識しなかった物が、彼の脳に投影されていた。それは現在の日付を示す、七曜表。

 紙面に書かれた文字は読めなくとも、数字でおおよその見当はつけたのだろう、

「二〇〇六の十二月か・・・、今日は何日だろうか」

 男は呟くと、そのまま、身体を寝せ天井の方を向いたのだった。

 扉のない、廊下から、意味が理解できない言葉のやり取りが聞こえる。

 うぅ~~~ん、なんとなく中東の言葉のような感じだな。

 少なからず、英語も聞こえていた。

 英語はなぜか、理解できていた。そして、俺の思考回路内を流れる主言語は・・・、日本語?

 俺は日本人なのだろうか、それとも日本語が堪能な英語圏の人間?

 いや、俺の顔や瞳を見ることは出来ないが、この肌からすると、日系何世とか、かもしれない。

 日系の何世だからといって、英語圏じゃない可能性もあるわけだし・・・、・・・、・・・、そもそも、俺は、誰だ?どうして、こんなところに居る?もし、仮に俺が日本人なら、ここは日本じゃないのか?しかも、怪我をしているようだった。

 病室なんかで寝かされているのだから、当たり前ちゃぁ~~~、当たり前か。

 名前も、自分が誰なのかも、分からないし、どうして、こんな状況におかれているかなんて、到底、理解できるはずもなかった。

 記憶喪失・・・、この俺が?

 だいたい、本当に記憶喪失の人間が、自身を記憶喪失だと理解できるんかねぇ・・・。

 ただ、俺は都合よく、思い出したくない過去があって、記憶喪失の振りをしているだけなのかもしれない・・・。って、それもやっぱり記憶喪失の類なのか。

 だけど、忘れちまって居るその過去、本当はすごく大切なものかもしれないし、まだ、俺は知らない。この記憶喪失って物の苦しみを。

 親友だった彼奴が今の俺と同じ状況下にあってどれほどの辛さを感じていたのか、これから、身をもって俺は体験してゆくことになる・・・、かもしれない。

 圧倒的な孤独感に、自分自身を見失いそうになるなんて、今の俺が理解できるはずもなかった。俺がアイツと同じ体験をしなくちゃならんとは、まったく、なんて因果だ・・・。

 ?俺は何を思っている。そもそも、アイツって誰だ。

 考えたところで、分かる筈もなかった。

 僅かな間に、体験する記憶喪失の苦しみなど、今、理解していない俺は、意味なく、ぼんやりと、無形模様の天井を眺めていた。そして、また、再び、すぐには明けない眠りに落ちていたのだった。

 俺が目を覚ましてから、数日後。

 海岸に打ち上げられていた俺を発見し、この病院へ、入院出来る様に手続きをしてくれた海岸警備隊の一人が、俺の様子を伺いに来ていた。

 最初、彼は母国語で、俺に話しかけてきたが、理解できない様子を見ると、黙って、俺の方を見ていた。

「E, Excuse me・・・、・・・if you could speak in English, please talk to me it!(あの・・・、出来れば英語で話してくださらないでしょうか?)」

「Humm, so you can speak English, right? Okay, my name is・・・(うむ、英語なら分かるってか。なら、私の名は・・・)」

 俺が英語で問い掛けると、相手は英語で話しかけてくれた。

 彼の名はパディンマールという・・・、苗字はあまりにも長すぎるし、舌も回らなかったので聞き返したら、笑われた。

「So, you can not remember everything right? You are loss of memory now・・・、Huhmmm・・・、・・・、Any way, Don’t worry about anything, just take a rest. I’ll come here when it’s necessary talk to you. See you later!!(なんだ、何も思い出せないっていうのか?うむむむ、しょうがない、今は何も心配するな。ただ休んでいろ。何か話があったらまたくるよ、じゃあなぁ)」

 俺には殆ど何もしゃべらせてくれないまま、愛称をパディーと教えてくれたその男は帰って行っちまった。

 何も心配するなと言われても、何を心配していいのかすら、分からない。それがたまらなく不安だった。

 もやもやする、頭をかこうとしたが、手を添えると、ひどい痛みが脳を突き刺した。まだ、傷がいえていない様だった。

「つうっっ」

 呻き、痛みで顔をゆがめたまま。しばらく目を瞑っていた。そして、その痛みから解放されると、意識を失っちまっていた。

 それから、二ヶ月が過ぎようとしていた。

 ほぼ怪我も、完治に近い。だが、記憶は戻らないままだった。

 その間、俺はたびたび、嘔吐してしまうほどの悪夢を何度も見せられていた。

 内容の意味がまったくわからないし、出てくる人物の顔には靄が掛かっていて、表情を伺う事は叶わなかったが話の内容は目覚めてもしっかりと記憶にとどまっていた。

 どの夢もが最悪な結末を迎えてしまう、そんな出来事を夢に見ていた。

「Are you okay? Did you have nightmare again?(おい、大丈夫かよ?また悪い夢でも見たのか?)」

 朝仕事の前に見舞いに来てくれたパディーはそう言ってくれながら、俺に洗面器を渡してくれていた。

 胃に残っていた物とそれ以上に胃酸がこみ上げてくる。

 出るものがなくなっても俺は嘔吐の姿を続けていた。

 パディーが不安な表情で俺の背中を摩ってくれている。

「Th…,….,….Thanks, Paddy. I’m ok now! Thanks(あっ、有難うパディー。もう大丈夫、大丈夫・・・)」

 言葉にし、大きく息を吸い込み、青ざめたままの表情でパディーの方へ顔を向ける。

「I can not see you are fine. Well…,….,…(大丈夫そうには見えないんだがね。まあいい)」

 パディーはそのまま言葉を俺に続けていた。何でも、俺に会いに今日の昼頃、客人が来るそうだ。

 彼はそれを俺に告げ終わると、職場に行くと残して、急いで行ってしまった。

「俺に客人か・・・」と、さっきまで見ていた悪夢のことなど忘れ、窓の外を眺めていた。

 その客人とやらが俺の所に訪れたのは昼食を終えてから、一時間と経たない頃だった。

 何も考えられず、ぼぉ~~~っと病室内へ目を泳がせていると、開放された扉向こうから、走ってくる足音が聞こえた。

 足音の数だけで、何人いるのかなんて俺には分からなかったが、その足音が病室と廊下の仕切りの処で止まり、来訪者達は俺の顔を見て、俺の存在が信じられないという感じの驚いた顔を作ってから、なんか知らないけど、急に涙を流し始めやがった・・・。

 なんでかねぇ?

 見舞いに来た連中は三人。何れも女性だ。

 一人は幼いのか、それともそうでないのか、まったく年齢の判定が出来ない者。

 もう一人はその中で飛びぬけて身長が高く、美人と言う言葉が、しっくりと来る上、何となく気品を感じる。

 最後におどおどしている中学生といわんばかりの少女。

 その三人が、三人、何故に俺の顔を見て、泣く?

 更に、そんな涙ぐんだ顔付きでその中の一人、身長が一番高い、もしかすると俺を超えているんじゃないかって女が、

「シンッ・・・、シンッ、本当にシンなのか・・・、本当に生きていてくれたのか、ウウゥウクッ」

 泣き叫びながら、俺の所へ駆け寄り、抱きしめられた。

 恥ずかしいとか、思うより先に、どうしてなのか、不快に感じた俺は、その女性を跳ね除け、

「止めてくれよっ、そんな事。それに誰だよ、シンって?誰かと間違えてんじゃないのか?」

とすらすらと日本語に対して日本語で答えていた。やっぱり、俺は日本人?

「シンッ、本当に私のことが、分からないのか?わたしのことがっ!」

「だからっ、シンっていうなよ。あんたの事、知っていたら、こんな言い方すると思ってんのか?」

「シンッ、キサマッ、姉である私のことを本気で忘れてしまったというのかっ!」

 さっきまで泣いていたくせに、俺の姉だという女性は急に怒り出し、拳をわなわなと震わせ、もう片方の手、左手で着衣の俺の胸倉を掴み、今にも殴らんばかりの姿勢だった。

 少女はそんな彼女を見て、怯えながら、

「さっチャンお姉ちゃん、シンお兄ちゃんにそんなことしちゃ嫌だよぉ」

と言い、本当に殴られるんじゃないかと俺は身を竦めるけど、年齢不詳の女性が、殴ろうとする女性の腕を掴み。

「そんなことをしてはいけませんよ、さっちゃん。ハァーーーッ、これが現実なら、吉凶の報せを同時に受け取った様なものですね。報せを受けていたことでしたが・・・、嬉しいけど、辛いですよ。タイちゃん・・・」

 涙を拭い、大きな溜息を吐きながら、落胆する仕草をその場に見せていた。そして、真剣でまじめな表情を俺に見せ、

「取り乱して、申し訳ございませんね。自己紹介させていただきますわね。わたくし、八神皇女と申します。

で、こちら二人は娘の」

「佐京だ・・・」と何か不満そうに名を告げる長身の女性と、

「うっ、右京です・・・、お兄ちゃん」と恥ずかしそうに自己紹介するかなり年下だと思える少女。

 内心、皇女と言った女性が、残り二人の親だとは想像も付かなかった。酷く吃驚したよ。だって、年齢を度外視した、外見の容姿でどっちかってえぇと、佐京って人の方が、年長に思えたからな。

 うぬぅ、今俺が思っていることに対して、何故か、佐京って人が鋭く刺すような視線を向けてきた。だから、俺はそっぽを向いて、

「自己紹介してくれたようだけど、すまねぇ、俺は貴女達に返してやれる名前がない・・・、知らないんだ。俺が誰だか・・・」

「ええ、その事はすでに知っております。いいですか、今からお教えすること、嘘ではありませんのでしっかりとお聞きください」

「ああ・・・」

「貴方はわたくしの息子。八神慎治・・・、シンジ・・・、シンジが貴方の名前よ。シンちゃん・・・、佐京ちゃん、さっちゃんがシンちゃんのお姉さんで、右京ちゃん、うぅ~ちゃんは妹」

「おい、よせよ。そんな冗談、どこもにてねぇじゃねぇか・・・」

「シンッ!こんな事で嘘をついてどうするというのだ?今、母様が言った言葉は紛れも無く事実だぞ、変え様もないな」

「シンおにいちゃんは、私のお兄ちゃんなんです、信じてください」

「そんなこと、急に言われて信じてくれだ?出来るか、そんな事、ああっ、もういい、出て行ってくれ、帰って呉れよっ!」

 折角、肉親と面会できたと言うのに、俺はぞんざいな言葉でそう吐き捨てるように口走っていた。

「しんっ、きさまぁあああっ」

「さっちゃん、辞めなさいっ!一番辛いのは、シンちゃんなのよ。・・・、・・・、・・・、ごめんなさい、シンちゃん。迷惑かも知れませんが、また、お見舞いに参らせてくださいね」

 言うと俺の母親だって言ったその人は佐京の腕を引っ張りながら、その場から退出してゆく。

右京って俺の妹らしき女の子は、悲しそうで不満そうな表情を俺に見せてから、その二人を追う様に出て行ってしまった。

 三人の姿が俺の視界から見えなくなると、

「ちっ、なんだってんだよ」

 言葉を吐き捨てるとベッドの上に俺は仰向けになって、煤けた天井を無意味に眺めていた。

 その頃、青年の家族と告げた者達は・・・。

「さっちゃん、分かってください。シンちゃんは今、記憶喪失なの。辛いのはさっチャンだけじゃないのよ。うぅ~ちゃんだってそう。たいチャンだって実際のシンちゃんを見たら・・・。でも、無事でいてくれたんだからいいじゃないですか・・・、無事だったのだから」

「皇女母様・・・、すまなかった。そうだな、一番辛いのはシンなのだろう。記憶の戻らないモドカシサに憤りをシンが感じていないはずがない・・・」

「お母様、シンお兄ちゃん、大丈夫だよね。記憶戻るよね?ねっ?」

「ええ、大丈夫よ。なんてって、私も、さっチャンも名医ですもの・・・」

 それから、数日間、毎日、俺の肉親だという三人が見舞いに来てくれていた。だけど、どうしても、嬉しい気持ちにはなれなかった。

 反対に嫌なくらい煩わしく感じていた。有難迷惑だって事さ。だけど、どうしてそんな風に思ってしまうのか理由なんて見つかるはずも無かった。

 何度も、俺のそんな気持ちが表情に現われていた。でも、母親らしき人の皇女も、姉らしき佐京も、当たり前のように話しかけてくる。ただ、俺の妹だって言っていた右京だけが、俺が嫌そうな顔を作ると、涙目になって申し訳なさそうに、悲しそうに謝ってきた。

 俺の所為で泣いちまっているって言うのに、本当に謝らなければいけないのは俺の方なのに、妹らしいその子なのに何も反してやれず、顔を背けているだけだった。

 つい、少し前まで右京がこの病室に居たが俺が口走った言葉に『そんなくだらない話、俺が知らない話を聞いて、俺が喜ぶとでも思ってるのか』の返答で悲しそうな表情で、泣くことを我慢した顔を作る。

「お兄ちゃんのことなのに、シンおにいちゃんのことなのに・・・、シンおにいちゃんのばかっ!」

って罵りの言葉を残して、走り去っていった。

 怪我はもう治っていた。後はリハビリテーションで体調を整える段階に入っていて、右京を追いかけることも出来た。

だけど、それもやらず、

〈はっ、最低だな、今の俺〉と心の中で呟く。

 慎治の病室を飛び出した右京は廊下を走る。

 前方から歩いてくる皇女と佐京、姉の方へそのままの勢いで抱きつくと、周りの事を気にしつつも大泣きし始めた。

 姉である佐京はそんな妹を軽やかに抱きとめ、頭をなでていた。

「どうしたのだ、右京・・・」

「さっちゃんお姉ちゃん、うぐっ、ひくっ、おねえちゃぁあん」

「ああ、泣きたいなら泣け・・・」

「シンお兄ちゃん、いつになったら、もとのお兄ちゃんに戻ってくれるの?優しかったお兄ちゃんに・・・、いつまで右京は、お姉ちゃんもお母様も辛い気持ち、悲しい気持ちでおにいちゃんと一緒に居なくちゃいけないの?」

 佐京に抱かれている右京の頬へ、皇女は手を伸ばし、涙を拭う。

「心配しないで、うぅ~ちゃん。記憶は直ぐに戻ることは無いかもしれませんが、もうちょっと、もう暫く一緒に居ればうぅ~ちゃんに優しいお兄ちゃんに戻りますから、なんたって、わたしの自慢の」

『息子ですもの(弟だからな)』と皇女と佐京が同時に右京に伝えていた、力強く。

 俺は飛行している旅客機の窓の外の味気ない雲だけの風景を気怠そうに眺めていた。

 俺は海上遥か上空で起きた飛行機事故によって大怪我を追ったが、オマーンの海岸に流され、意識を失っていた所をパディーに助けられたようだ。

 幸い、その事、飛行機墜落の事すら記憶にとどめていない様で、こうやってそれに乗っていても、恐怖に怯えることは無かった。

「ふっ」

 溜息を吐き、伸び過ぎた髪を掻き揚げながら、どうして、今、飛行機に乗っているのか、どこへ向かっているのかを思い返してみた。

 それはたった数時間前の事だというのに思い返すのが辛い。容易じゃなかった。

 過去が記憶として留まる事に拒否反応を起こしているような感覚さえ思えた。


~大凡六時間前~


「シンッ、これに着替えろ・・・」

「はあん?」

 俺は訝しげな声を上げていた。

 姉らしき佐京は男物の服を俺に差し出すと、それを着る様に頼んでいるとは思えない・・・、鋭い目がそうする事を強要している。

「いいから、着替えるんだ、シン」

「ああ、わかったよ。着替えるから、出て行ってくれ」

「何をいまさら、姉弟の私が、そんなことする必要もあるまい」

 腕組みをして、当たり前のように返してくるその女性は、俺を威圧するような視線を送っていた。

 いや、実際そうではないのだろうが、俺にはそう感じてしまっていた。

 どうしようもなく、佐京に逆らえそうも無い俺はおずおずと、その女性の前で着替えを始めていた。そして、それがちょうど終わる頃に、

「さて、帰り支度は出来たなパディー殿に挨拶をして、日本へ戻ろう」

 彼女のその言いに、さっきよりももっと訝しげそうな表情で、

「はああん?かえるだ?日本へ。おいっ、まてよ。まだ、リハビリだって終わってないよな?なで、そん急に」

「体の調律など、ここでなくとも出来るであろう?シン、お前がここにいる意味が無い。それが理由だ」

「勝手なこと言うなっ。俺が誰であるかも分からない、あんた等が本当に俺の家族かも分からないのに、はいはい、ついていけるかよっ!」

 俺の〝家族かも分からない〟と言う言葉で、佐京の秀眉がピクリと釣りあがり、着たばかりの服の胸倉を掴み、

「シンッ、貴様、まだその様なことを抜かすか?お前の記憶喪失がどうであろうと、お前は私達の家族だ。嘘偽りなど無い。日本に帰れば分かることだっ、いいから着いて来い」

 激しい言葉で言い終わると、俺の腕を掴み歩き出した。

 その後はもう場に流されるままパディーら、世話になったこっちの国の連中に挨拶をし、慌しいまま、飛行機に乗っていた。

 その間、俺はうまく歩けなかったから、妹だと言う右京に押される車椅子で移動していたんだっけ?本当に俺が彼女の兄なら、なんとも恥ずかしい姿であった。


~旅客機内~


 俺はそれだけの内容を思い出すのに数時間、大凡の正確に言えば四時間近くも掛けてしまっていた。

 俺がそれを思い出している最中、苦しそうな、辛そうな表情でもしていたのだろうか、左となりに座っている右京が心配の色を瞳に塗り、ずっと俺の方を窺っていたようだ。

「シンお兄ちゃん、だっ、大丈夫?」

 彼女は言いながら、何かの飲み物を俺に渡してくれる。

「すまないな、君・・・」

「君じゃないよぉ、お兄ちゃん。うきょう、右京なんだから、そんな言い方いやだよ。何でそんな他人行儀なの?ちゃんと名前で呼んでよ。お兄ちゃんのばかぁ」

「しょうがないだろう、少しは俺の気持ちも察してくれると嬉しいが・・・」

 言うと右京は涙を目じりに溜め始めた。なんだ?俺が悪いって言うのかよっ!まったく。

「ああああぁ、俺のほうが悪いよな。右京、ごめん」

 たった、そんな些細な言葉だけで俺の妹だと言い張る彼女の表情は一変しにっこりと微笑んでいた。

「すまん、右京。暫く寝かせてくれ・・・」

「うん、お兄ちゃん、疲れている顔してるもんね。ゆっくりと休むといいよ」

 口にするとアイ・マスクを手渡してくれた。

 それを掛ける前に左となりその隣の佐京と皇女をちらりと覗いて見た。

 姉らしきは、ラップトップで素早く何かを入力していた。

 一瞬それが止まると、何かを考えているような仕草をし、また、入力装置を叩く。

 俺の母親らしい、皇女は何かの専門書を読んでいた。

 日本語とは違う様だが見たことがある文字だったが英語でもない。

 ちゃんと見れば理解できるかもしれないが、今はそんなことよりも寝る事に専念しよう・・・。

 これは夢なのだろうか、それとも忘れてしまっている過去の記憶?

 俺は幅広の階段を駆け上り、屋上を目指す。

 夢の所為なのか、幾ら上り詰めても、前に見えている、出口に辿り着けない。不安と焦燥が階段を上る速度を異常に加速させてゆく。

 暗闇の出口。

 その場所が、やっと近づきつつあった。

 俺は歯を食い縛り、全力疾走し、その場所を目指す。

 走っているために体温の上昇を避けられず、汗をかき始めた。

 着ていたコートを脱ぎ捨て、長袖の袖をまくり、軽装になりながら、頂を目指した。そして、遂に入り口に辿り着いた俺は出口の枠に手を当てると、体を前方へ屈め、荒れた息を整えようと、何度も深呼吸した。

 額にたまる汗を拭い、体を起こし、前方を見ていた。今の距離からははっきりと顔を窺う事はできない二人が居た。

 ただ、状況だけを確認すれば、二人とも危険な状態だと言う事に気が付かないはずがなかった。

 俺は二人の名前を叫びながら、その場からまた走り出した。だが、名前を叫んでいるはずなのに、声が出ていない。

 男の大きな手でも握るには太すぎるパイプを掴む巨躯とその男のもう片方の手に掴まれている男とは対照的に小柄な女性。

 男の手から力が抜ければ、二人の運命はともに費えてしまうそんな状態だった。

 男の表情が分かるような間合いまで近づく。

 そいつの顔は苦しそうだった。

 ただ、同じ苦しいといっても、今、その体勢を保つのが苦しいというのではなく、何かの痛みに耐えている様な感じ。

 二人と再び走り出した俺の距離はもう少し。

 手を伸ばせば、掴める所まで、後一歩。

 俺は手を伸ばし、あっても意味のないような高さの囲いから、落ちそうになる体躯の大きくしっかりとした男の手を掴もうとした。

 男の腕を掴もうと、俺の腕を振る。だが・・・、・・・、・・・、間に合わなかった。

 振り切りすぎた腕は虚空を掴んだまま、俺の顔の位置まで上がっていた。そして、

「Xジミやぁああぁあぁぁっぁぁああッ!たXとォオォッォォッォォオオオォオオォォッ!!」

 落ちてゆく二人を胸が潰されそうな思いで眺めながら、二人の名前を絶叫していた。

 直ぐにその場を走り出し、今度は登ってきた階段を下へと、地上へと向かった。

 今度は昇るよりも早く地上階へと到達すると、直ぐに外に出て周囲を見回し、二人がおちたと思われる方角を探して、また走り出す。

 茂みを超え、駆ける間に木の枝で多くの擦り傷を作るが気にしてなんていられない。

 ただ、目的地に向かって必死に走る俺。そして、茂みの向こう側に到達した俺の見たものは・・・。

 その光景に胃にあるもの全てを吐きそうな、いや実際、吐いている。

 両膝を地に打ち付け、口を押さえながら、何度も、何度も、嘔吐した。

 吐く物がなくなってからも、胃酸だけが喉を焼き付ける様に通り抜け、口から外へと出ていた。胃までも、吐き出してしまいそうなほど・・・。

 それが終わってから、もう一度、眼前を見る。

 あまりの惨状に目を伏せてしまい。再び、胸が苦しくなりそうなところで、俺は目覚めた。そして、現実でも、

「うぅううっ」

 胸元が苦しくなり、素早く、手で、口を押さえ、身を屈めていた。

「おっ、おにいちゃんっ!」

 突然目覚め、そんな行動をとった俺に右京は不安の表情を作りながらも、直ぐに備え付けのキタロウ袋を俺の眼前に広げる。

 俺は抑えていた手を離し、その中にあるだけの物、全部吐き出す。

 夢の中と同じ様に胃の中に溜まっていた物がなくなると胃酸を、何度も漏らしていた。

 暫くして、それが止み、下唇を一瞬かんでから、小さく、息を吸ってその袋をとじた。

 顔を上げた俺に無言で佐京が、ぬれたタオルを渡してくれた。俺はそれを受け取り、口の周りを拭う。

「シンお兄ちゃん、大丈夫・・・」

 心配の表情を浮かべたまま、俺の顔を覗き、聞いてくれる、右京に、真っ青な顔のまま、

「大丈夫だ・・・」

「ふん、そんな顔でいっても説得力がないぞ、シン。一人で苦しまず私たちに頼れ」

 佐京はいい、吐いたことで痩せた俺の頬に手を添えていた。

 その時の彼女の表情、あまりにも眩しかった。

 この人が本当に血の繋がりが無かったら、心を奪われてしまいそうなくらい、魅惑的な表情に。

 恥ずかしい思いになった俺は、彼女の手を払い、反対の方向を向き、

「やっ、やめてくれよ、そんなこと・・・」

 言葉にしてから、瞼を開けると、そっち側には右京の顔があった。

「クスッ、おにいちゃん、顔が真っ赤だよぉ」とおどけて、笑った。

 手を払われて、残念がる佐京に、今の俺の表情を見て、さっきまで作っていた顔から、笑顔に変わっていた右京。

 左右に顔を向けられなかった俺は上を向き、佐京に渡されたtowelで顔を隠していた。

「さっちゃんも、うぅ~ちゃんも。しんちゃんを苛めちゃだめでしょう?フフッ」

 最後に笑う皇女の声が聞こえた時、着陸を告げる放送が流れた。

 俺の故郷らしい、日本に辿り着いたらしい・・・。

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