Ⅱ アーサー王と入間の天狗
――思い切り踏み込んだアーサー王は、次の瞬間落馬しそうになった。先ほどまで目の前にいた巨人が、いつの間にか跡形もなく消えていたのだ。
「む……?」
彼はぐるりと辺りを見回し、次いで景色の変化に驚愕した。頭の上には暖色に染まった木々があり、山鳥が呑気に空を泳いでいる。馬の足元には頑丈な橋が架かっており、清らかな水が延々と流れていた。
「これは一体、どういうことだ……?」
彼は頭に着けた防具を外し、困惑した表情で左右を向いた。滑らかな金髪が、涼しい風とともに揺れる。
「へへへっ、驚いた顔してやがるぜ」
……そのとき、山の奥から空高く、一人の男が舞い降りてきた。古風な衣装に身を包み、一本歯の下駄を履いている。しかし王が驚いたのは、彼の真っ赤な顔と高い鼻、さらには背中の白い翼だった。
「な、何だおまえは……!? 悪魔の使い、いや妖精か……!?」
「妖精? 違う違う。俺は天狗。この入間の山々を統べる、大天狗さまの部下さ」
天狗は面白そうにケラケラ笑うと、王の肩をポンポンと叩いた。
「ただ今武蔵野一帯は、大天狗さまの命令で改修中なんだ。俺たちがもっと住みやすくなるように、山を運んだり池を作ったりしているのさ」
ふわふわと宙に浮かびながら、天狗はアーサー王にこう話す。何でも、大天狗の言う事は絶対で、下っ端の天狗たちはひいひい言いながら働かされているらしい。
「でもよ、ずっと働いてばかりだと疲れるだろ? だからちょっと息抜きに、『人攫い』の練習をしてみたんだ。次の宴会で披露してやろうと思って」
王は彼の話を聞いて、思わず顔をしかめた。どうやら「人攫い」の獲物にされてしまい、このような辺鄙な場所にまで飛ばされたようだ。
「しかし、俺も驚いた! まさか日本を飛び越えて、全く別の国の男を攫っちまうとはな! びっくり仰天、俺にこんな才能があったとは!」
文字通り「抱腹絶倒」した天狗は、呆れ返るアーサー王をよそに、のんびりと翼の手入れをし始めた。あくせく働いている様子はないが、この天狗、さぼり癖があるのだろうか。
「このような場所に、勝手に連れて来られても困る。おい、早く帰せ」
「まぁまぁ、ちょっと落ち着きなって。せっかく入間に来たってのに、そんな急いで帰ることはないだろ?」
アーサー王をなだめながら、天狗はぐるんと後ろを振り返る。そこにいたのは、なんと立派な巨人だった。高い山々を遥かに上回る、強靭なその体躯。太い両腕の中には、大きな山がすっぽりと抱え込まれていた。
「あっ、あれは……! 巨人ではないか!」
そう言うや否や、王は槍を掴んで走り出さんとする。天狗はその様子を見て、「ちょっと待ちな!」と彼の行く手を阻んだ。
「あれは『ダイダラボッチ』って言って、大天狗さまの手伝いをしている仲間だ。ほら、よく見てみろ。あいつのおかげで、山の並びが良くなっただろ?」
確かに天狗の言う通り、巨人は山を荒らしているのではなく、むしろ山を並べ直しているようだった。アーサー王はそれを見て、警戒を解いて槍を下ろす。
「む、そうか……。あの巨人は、悪事を働かぬのだな」
「まぁ、そうだな。悪いやつもいるっちゃいるが、とにかくあいつはいいやつだ。あんたの知っている巨人は、ああいうのとは違うのか?」
「城を守護する巨人もいるが、大半は悪事を働く者だ。私もつい先ほどまで、子どもを食らう巨人を退治しようとしていたのだ」
王の言葉を聞いた天狗は、「ふーん、そうか……」と言って鼻をさすり出した。何か面白いことを考えようとするときの、彼の決まった癖だ。
「……あ、そうだ! 俺、巨人の悪い心をポキッと折っちまうような、とびきり美味い飯を知っているんだが、それをあんたの国でも振る舞えば、巨人も悪さをしなくなるんじゃないか?」
「何? それは本当か?」
「ああ、本当さ! ちょっとこっちに来てみな!」
天狗はちょちょいと手招きをすると、山の奥へと飛んでいった。アーサー王も馬を走らせ、彼の白い翼を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。