第10話:月下の獣達


「ここじゃちょっとキツいかも!」


 オークの右手から弾丸が放たれ、それを避けた先に、左腕が薙ぎ払われる。轟音と共に、壁が砕ける。


 院長室は既に破壊尽くされており、足下もいつ崩れるか分からない。


 私は一旦外に脱出し、外壁を伝って孤児院の屋根の上と昇る。


「まあ、ついてくるよねえ」


 背後で屋根が爆発し、下からオークが這い上がってくる。天井と屋根をぶち破ってきたのだろう。


「さてと……どうしようっかなあ」


 月光の下。


 時計仕掛けのオークが魔蒸を吹き出しながら吼える。それに対峙するのは、ダガーを携えた白黒の兎。


 まるで――御伽噺フェアリーテイルだ。


「斬撃も銃弾も効かなかったしなあ……」


 肉と金属の重層構造が刃と銃弾を防ぎ、致命傷を与えれない。とはいえ、今回持ってきた武器はこれだけであり、あとあるのは集音器だのワイヤーだの、そういう類いの道具しかない。


「ふふふ……楽しいなあ」


 私は思わず、笑みを浮かべてしまう。こうなったら……少しは本気を出してしまっても良いだろう。


「オアアアアアアア!!」


 咆吼と共に、屋根を砕きながらオークがこちらへとやってくる。


「もう話は通じなさそうだし……殺すね」


 耳と尻尾を引っ込めるには獣化を抑えれば良かった。


 ならば――


「アアアアアア!!」


 全身の毛が逆立つような感覚。いや、違う――実際に足や手や身体に銀色の毛が生えてきている。それはアサシンドレスと一体化しており、まさに今、目の前に迫るオークと同じように機械と獣の身体が融合していく。


 魔蒸機関が、左右の手にあるダガーが、まるで手足のように感じ取れる。


 視界が驚くほどクリアになる。五感がこれまで以上に研ぎ澄まされ、それから得た情報が視界に反映されていく。


 だから私には――


 迫るオークの首。

 丁度、首の後ろ側の付け根にある頸椎けいつい辺りに、魔蒸をその巨体の全身へと送っている機関があることを。歯車とバネが目まぐるしく動き、その巨体を維持していること。


「見ぃーつけた」


 あれが――あいつにとって、致命傷になり得る箇所だ。


「〝致命点〟……とでも呼ぶのかな? それが視えたら……終わりだよ」

「ブモオ!!」


 オークが銃弾を放つ。だけど、余りに遅い。ゆっくりと迫る銃弾を歩いて躱し、ふさふさになった足で銃を蹴り飛ばす。


 その威力に耐えられず銃身がひしゃげ、次に撃とうとしていた魔蒸弾が暴発。銃が爆発し、右腕が吹き飛ぶ。


 その隙にオークの巨体を駆け上がった。


「ブモオオオ!?」

「バイバイ、豚さん」


 両手のダガー〝ハンプティ・ダンプティ〟を交差するようにオークの首へと放った。


 あっけなく、オークの首が飛ぶ。そして断面からようやく、致命点が露出した。血にまみれた歯車とバネとパイプがのたうつそれは、間違いなく魔蒸機関だ。


 私はオークの肩の上に立つと、右手のダガーをその魔蒸機関へと思いっきり突き刺し、トリガーを引いた。


 バガンッ! という音と共に魔蒸弾が頸椎ごとその魔蒸機関を破壊し、オークの身体が魔蒸の圧力に耐えられずに爆発。


「うっひゃあ……血の雨だ」


 空へと飛び散ったオークの血や肉辺、金属の破片が重力に従って周囲に降り注ぐ。


 月下の血雨の中、私は赤く染まりながら、ダガーを腰のホルダーへ仕舞いつつ、獣化を抑えていく。毛が消えていき、普段の姿に戻っていく。


「あはは……凄いや」


 血塗れになった私は月を見上げた。


 三日月は、この惨状に相応しいほど赤く、まるで祝福しているかのようだ。


「色々あったけど、任務完……ん?」


 私は気配を感じて振り返った。


 そこには、いるはずのない人物が立っていた。


「なんだよ……なんなんだよお前ら!」


 そう叫びながら、短銃をこちらへと向けていたのは――


 マヒューだった。



☆☆☆




 丁度、アリスとマヒューが対峙しているサマセット孤児院から少し離れた場所に、場違いなテーブルセットが置かれていた。


「……あの少年を行かせてよろしかったのですか、お嬢様。獣化を使い終わった今のアリス様だと危ないですぞ」


 そう言って、椅子に座っている金髪の少女のカップに紅茶を注いでいたのはアダムだった。


「良いのよ。それをどうするかまでを含めて……二次試験なのでしょうよ」


 紅茶を啜る金髪の少女――ベアトリクスが屋根の上の二つの影をジッと見つめていた。


「ふむ……私の時代にはこういった試験はありませんでしたからな。いやはや……意地が悪い」

「それぐらいでないと……きっと暗殺者なんて務まらないのよ」

「なるほど……さて、どうなるでしょうか」

「さあ……あの二人次第でしょう。それよりアダム、ターゲットについての情報は?」

「はい、こちらに」


 アダムから渡された書類を見て、ベアトリクスが顔をしかめた。


「孤児を、裏組織に密売するなんて……とんだ悪党じゃない、このババア」

「ええ。おそらくアイギスは意図的にその情報を資料から消去したのでしょう」

「性格悪いわね」

「今夜……おそらくはミレイユ・サマセットもアイギスも、あの来客は予測していなかったのでしょう。だが、アリス様はたまたまその取引の現場に居合わせてしまった」


 アダムがこっそりアサシンドレスに付けていた盗聴器のおかげで、孤児院で何が起こったかは大体把握していた。


「運が良いのやら悪いのやら。アイギスは、善人を利己的に殺してしまう事に対する罪悪感や躊躇いを試したかったのでしょうけど……無駄に終わったわね。ついでに私達の努力も」


 ベアトリクスがそう言って、資料を放り投げた。


 もし、万が一。

 アリスがこの暗殺で少しでも気を病むようであれば、〝実はあいつ悪人なので、アリスは正しいことをしたのよ! さあ感謝のキスを!〟とでも言おうと思っていたベアトリクスだった。しかし、結果としてターゲットが悪人であることをアリスはもう知ってしまっている。


「ですが、あの少年がやってきたことは、我々の予測すらも上回っていますな」

「〝Sometime fools goes over the wise〟……愚者を計ることは賢者にも難しいわ。それがどう転がるか……見物だわ。いぜれにせよ……」


 ベアトリクスは孤児院の屋根の上の影を見て微笑んだ。


「我々の刃……〝致命の兎ヴォーパルバニー〟は成長するのだから」

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