その③

 四日かけて市街地を抜けた一行はN県の南部に到着した。


このあたりからО市と比べ様子が一変していた。とにかく静かだ。不気味なくらい


市雄たちはダメ元で少しでも少しでも食料を分けてもらうべく民家の戸をたたいた。


だがどこも頑なに扉を閉ざし誰も出てこようとはしなかった。外部の者に警戒してい


るのだ。


仕方がないので畑に植えられている大根、茄子、キャベツなどを適量拝借した。皆良


心が咎めたが生きていくためには他に手立てはない。少なくともこれまでのように人


を傷つけたり殺したりして奪わないだけマシだ。各々の民家に手を合わせながらさら


に北を目指した。


「いずれにせよ水は必要不可欠だ。ここからこの川に出て沿って北へ進むのがいい」


足の傷がようやく癒えかけた徹が提案する。徹は学生時代に登山部に属していたこと


があり日本国内の山岳地帯はほぼ熟知していた。従ってN県の地理にも詳しかった。


それから一行はその川の上流に向かって進んだ。


流れる水にも多少の放射性物質が含まれているかもしれない。だが大半は標高の高い


山岳部の雪解け水だ。それほど過敏になることはないかもしれない。水がなければ人


は生きられないのだから。



三日後、大きな山脈に出くわした。


徹はこのあたりの山は山菜やワラビが多く採れるという。皆力を振り絞って山を登っ


た。食べられそうな草、木の実、きのこなどを各々のリュックに詰め込む。しかし必


死で探してもそれらの量は絶対的に少なかった。


皆は疲れ果て気づくと山脈の尾根に到達していた。


「これだけの食べ物じゃいつまでもつかしら」美也子は元気なく呟いた。


「やっぱりこんな山奥にはなんにもねえ。街に戻る方が賢明だぜ」マサルが腰をおろ


しながらいう。


その時だった。サムが素っ頓狂な声を出して指さす方角に皆が目をやる。




尾根の遥か前方の谷間に鉄筋コンクリートの建物が立ち並ぶ近代的な街がまるで霧の


かかった海面に浮かび上がる蜃気楼のように揺らめいている。


皆それを遠い過去の幻影を眺めるようにしばらく見入っていた。


「あれは幻だ。ここにあんな街は存在しない筈だ」このあたりの地図に詳しい徹がい


う。


「そうだろうな。皆街が恋しいあまり幻を見てるんだ」サムもいう。


「あれが幻なのか現実に存在するものなのか行って確かめようじゃないか。食べ物も


あるかもしれないし・・」市雄は皆を先導する。


「いや、まて、あそこにどんな人間たちが住んでいるのかわからない。ならず者の支


配地なら危険だぜ」マサルは用心深い。


しばらく沈黙の時が過ぎた。そしてどう行動するかを皆で多数決で決めることとなっ


た。その結果五対一でその街を目指すこととなった。


六人は何かに期待するように急ぎ足で尾根を下った。谷に降りるとそこは広大な盆


地が広がっていた。雑草が生い茂る湿地を進むと前方に高さ二十メートルはある石垣


の塀が連なっている。ここからでは山の尾根から見えたコンクリートの建物は見え


ない。おそらくこの向こう側にあるのだ。


頑丈そうな石垣の塀は広大な盆地に左右果てしなく連なっているように見える。皆


こんな景色を見たのは生まれて初めてだった。まるで異世界にでも舞い込んだかのよ


うに立ちすくんでいた。


ふと横に目をやると左斜めに高さ五メートルはある木製の巨大な門があるのに気付く


まるで戦国時代の城門だった。


「さっきまでこんなものなかったぜ」皆が狐につままれたような顔をする。


意を決した市雄は門の正面に立つと拳で思いっきり三度叩いた。


中からは何の応答もなく静まり返っている。それでも諦めずに何度も叩く。


五分も経過しただろうか。突然、ギギーッという大きな不快な響きとともに門の扉が


内側に開き始めた。



門の内側から姿を現したのは四人の男たちだった。


四人のうちの二人は背広姿でサラリーマン風。あとの二人はスーパーの店員かなにか


だろうか。白いワイシャツに緑色のエプロンをしている。


六人が予想もしなかった者たちに出迎えられ唖然と立ちすくんでいると背広姿で小太


りの中年男性がつかつかと市雄たちの前に歩み寄る。


「ようおいでなすった。道中さぞ疲れなすったじゃろう。ここでごゆるりとされるが


ええ」ともてなす。


市雄たちは皆黙っていた。何と返答してよいのかわからなかったのである。


市雄たち六人は中年男に招き入れられて塀の内側に足を踏み入れた。


塀の内側は外側とはまったく様子が違っていた。立ち並ぶ建物、緑ゆたかな木々、花


壇に咲く色とりどりの花。そして頬を撫でるそよ風、澄んだ青い空に浮かぶ雲。すべ


てがそれまでとは一変してしまったと皆が感じていた。


やがて門はふたたび閉じられ市雄たちは中年男に導かれるままに歩いた。そこは最終


戦争が起こるまではどこにでも見られたような街だった。


市雄は中年男に尋ねた。


「いったいここは何という街なんですか?」


それは市雄以外の五人もまず知りたいことだったに違いない。


「この街に名前なんぞないんじゃよ。ま、あえていうならここに来た者は皆が理想郷


と呼んどるからそれが名じゃろうかのう」中年男は他人事のようにのらりくらりとし


た口調でいう。


「とにかく皆さんが住む場所をご用意しよう。それからゆっくり仕事のことを考えな


すったらいい」


こうして市雄たちは八畳間ワンルームマンションを三部屋用意してもらうこととなっ


た。




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