<8> 「さぁ、俺は何に見える?」

 さてどこから話すか。そう考えあぐねいていたのだろうか。

 しばらく空を眺めていたルーニーは腰に下げる皮の鞄から小袋を出した。その中にはナッツが入っている。一粒二粒と口に放り込むと、カリコリッと小気味のいい音を立てた。

 ややあって、長い息を吐いたルーニーはグレイを見つめる。


「好きなやついるか?」

「何でそういう話になるんですか?」


 突然の質問を素直にとらえることが出来ず、グレイは顔をしかめた。


「お前が、パメラのこと食い下がるからだろう」

「俺のことは関係ないじゃないですか」


 湖畔の草を喰む馬たちを眺め、目を細めたルーニーは珍しくため息をつく。


「お前って、ほんと真面目すぎじゃね?……なら、ガートのこと忘れてないよな」


 ガートと言われ、グレイは妖魔の核を埋められた少女と彼女を強く思っていただろう司祭、そして黒い仮面の男を続けて思い出した。あれは忘れたくても忘れようのない、衝撃的な出来事だった。

 黙り混むグレイをしばし見ていたルーニーは、彼が何も言えない様子を肯定と捉え、話を続けた。


「あの二人を見たんだから分かるだろうか、誰かの思いに応えるってのは、その相手を優先することになると思わないか?」

「それは……」

「今の俺は誰か一人のために生きるなんて出来ないんだ」

「でも、いつまでも続くわけじゃないですよね? 黒い仮面の男を捕まえれば──」


 いつか終わりが来るなら待てるのではないか。そう食い下がる様子のグレイに、ルーニーはやれやれと再びため息をつくと、ナッツを口の中に放り込んだ。

 静かな湖畔にナッツを噛み砕く音が響き、ややあって話が続けられた。


「それはいつになる?」

「いつって……」

「やっと尻尾を出したけどな、アレはそう簡単に捕まるような男じゃない。そういった些末に気を使ってる余裕はないんだ」

「些末ってなんですか、些末って! パメラさんは本気だから、あんな泣きそうな顔を──」


 涙を堪える顔があまりにも印象的で、その思いを叶えてあげたいと思わずにはいられなかった。そう気づいたグレイは奥歯を噛み鳴らした。

 噛みつきそうな目で睨んでくるグレイに、少し動揺を見せたルーニーは小さく息を吐くと髪を掻き乱した。


「パメラのことは嫌いじゃないぞ。いい子だと思ってる。けどな、その好きとあいつが俺に求めるものは明らかに違うわけ。好意を寄せてきた女、全部面倒見ろとか、お前、バカなこと言わないよね?」

「……それは、そうですけど」

「百歩譲って、俺が賢者やめたとしても、パメラのとの生活は演じられない。俺は、あいつが思ってるような男じゃない」

「じゃぁ、きちんとお断りするべきですよね」

「だからパメラに言ったよな? いい人作れって」


 その意味が伝わったからこそ、パメラは黙ってルーニーを送り出したのだろう。それくらいはグレイにも分かった。ただ、どうしてもあの泣きそうな顔が心に引っ掛かっていた。

 どんなに思っていても報われないことがあることを目の当たりにし、歯痒く思っていたのだ。


「あいつに似合ったのは他にいるって。そもそも、俺、けっこういい歳なんだけど」

「……どこがですか」


 諦めに近いため息を溢したグレイは、湖畔の草を食む馬を眺めて肩の力を抜いた。

 納得したかと言われれば怪しかったが、元より自分が割り込める話でもないことは分かったいた。


 ──結局、俺はいつも……


 蚊帳の外にいることに気づき、疎外感を感じたグレイは横を見た。そこには不思議そうな顔をするルーニーがいる。


「お前、俺いくつだと思ってんの?」

「……三十くらいですか?」


 そう答えながら、もっと若く見えるけどと心の中で付け足したグレイは、つぶらな鳶色の瞳がさらに見開かれるのを見て首を傾げた。


「お前の倍はあるって言ったよね?」

「四十すぎには見えませんよ」

「なるほど……じゃぁ、少し外見を老けさせたらいいのか? 維持するとなるとそこそこ魔力も消費するけど、それはそれで都合がいいし」


 突然ぶつぶつ言い出したルーニーは、突然押し黙ったかと思うと息を深く吸った。そして、両手で顔を覆うと少し俯いて何かを唱え始める。


「ルーニーさん?」


 具合でも悪くなったのかと思ったグレイは、心配そうにその顔を覗き込んだ。すると、顔から除けられた掌の下から知らない顔が現れた。いや、正確には目元や口元に皴が刻まれたルーニーが笑顔を向けてきたのだ。

 度肝を抜かれたグレイは表情を凍らせる。


「おい、何だよその顔。お前の望み通りに四十くらいになってやったのに」

「……え、はい?」

「しかし、意外と魔力使うな。これ維持すんのはなかなか骨が折れる」


 少し皴の寄った口元を引き結んで、何か考えあぐねいたルーニーはガシガシと髪をかき乱すと「魔力の無駄遣いだな」とポツリ言った。そして、再び顔を両手で覆うと深く息を吐いた。

 ややあって離れた手の下から再び現れたのは、よく知るルーニーの顔だった。


「……どうなってるんですか?」

「顔だけ老けさせた」

「はい?」

「魔力を使えば姿を変えることも出来るんだが、その応用みたいなもんだな。ただ、老けた自分の顔を見たことがないから、いまいちイメージが沸かなくて無駄に魔力を消費することが分かった」


 むしろ赤の他人になる方が簡単だとぶつぶつ言いながら、ルーニーは首の付け根をもむように擦った。


「姿を、変える?」

「高等魔術にはなるけどな。自分と同じくらいの大きさの生物になら、魔術で変わることが出来る。そうだな……百聞は一見に如かずか」


 立ち上がったルーニーは長い指で宙を撫でた。そして、ゆるりと呼吸を繰り返しながら何か印を刻んでいくと、足元に魔法陣が現れた。浮かび上がったそれは少しずつ彼の体を昇っていく。


 引き締まっていた臀部はふっくらと丸みを帯び、元より細かった腰回りはさらに引き締まる。魔法陣が胸を通り過ぎると、たゆんとした膨らみが揺れた。そして、赤毛は黒々と染まりながら伸びてゆき、ふぁさりと音を立てて腰に垂れ下がった。

 魔法陣は消え、瞳を開けたルーニーは長い息を吐く。


「さぁ、俺は何に見える?」


 グレイを見下ろし、赤い唇をゆっくり動かして笑みを作る。

 その声すらもグレイの知るものではなく、どこか冷ややかな高い女のものだった。

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