<7> それでも朝はやって来る

 朝日の眩しさを煩わしく思いながら身じろいだグレイは、重たい頭を抱えて体を起こした。昨夜のことを思い返し、横のベッドを見る。


 ルーニーが部屋を出たのを慌てて追おうとしたものの、それは叶わなかった。すぐにドアを開けたというのに、扉の向こうの通路どころかすぐ傍の階段にも彼の姿はなかった。

 どこに行ったのだろうかと心配しながら、グレイは寝付けずに時間を持て余した。ただそうしているのも勿体ないので教本を開いてみたものの、いくら頁を捲っても内容は全くと言って良いほど頭に入らなかった。無駄に時間ばかりが過ぎることに苛立ちながら、寝落ちていたようだ。


 もぬけの殻のままのベッドを見ていると、説明のつかない苛立ちが胃の中で膨れ上がった。


 ──どこへ行ったのか。


 ため息をこぼしそうになったグレイが口を開きかけると、耳触りの良い穏やかな声が「おはよ」とかけられた。弾かれるように顔をあげると、そこにルーニーがいた。


「よく寝れたか?」 


 当然のように椅子に座って本を読む姿に既視感を抱く。

 いつもと変わらない温厚な笑みに、グレイは胃の奥がさらに軋むのを感じる。堪らずに、朝の挨拶を忘れて「いつ帰ったんですか」と責めるように語気を強めて尋ねた。


「陽が昇る前には戻ったよ」


 さも当然と言うように答えたルーニーは本を閉ざすと立ち上がった。

 その態度にさらに苛立ちが募り、グレイは顔を険しくした。

 寝食を共にしていても家族というわけではない。師弟関係といえど、お互い踏み込んではいけない線があって然り。そう頭で分かっていても、昨夜のことを思い返すと、心配をするなというのが到底無理な話だ。

 口元を抑えたグレイが昨夜のことをどう聞き出そうかと考えあぐねいていると、ルーニーはさっさと荷物をまとめ始めた。


「食料と水はオヤジから買えるよう、話をつけてある。飯食ったら出るぞ」

「……少しは寝ましたか?」

「ん……顔洗ってくる」


 その返事はどちらの意味なのか。

 笑顔のまま洗面所に入っていくルーニーの背中を見て、グレイは今日最初のため息をついた。




 宿の裏手、馬を預ける厩舎の前でパメラが待っていた。毛先を指でいじりながら不機嫌極まりない顔をしている。


「もう、行くのね。次、いつグレンウェルドに帰ってくるの?」 


 その問いかけに、ルーニーは「またな」と返して彼女の頭を軽く叩く。

 パメラがルーニーに思いを寄せていることを、彼自身分も分かっているのだろう。態度があからさますぎるのは、横で見ている鈍感なグレイでさえ察しているくらいだ。

 言葉を挟むことも出来ずに黙って馬に荷物を背負わせたグレイは、ちらりとルーニーを見た。


「半年か一年か……次帰ってくる時までにちゃんといい人作って、紹介してくれよな」


 手綱を受け取ったルーニーはパメラを振り返らず、その背にまたがると再び「またな」と告げる。馬の腹を蹴り、進みだしたのに従ったグレイも頭を下げると後を追った。

 すれ違い様に見たパメラは涙を浮かべ、唇を噛んでいた。

 悲しみと口惜しさに染まった様子に、複雑な思いを抱いたグレイは前を行くルーニーの背にかける言葉を探した。しかし、何が正解なのか分からず、一刻ほどそのま無言で街道を進んだ。


 憎らしいくらい晴れ渡った空を鳥が低く滑空する。

 収穫を終えた葡萄畑を過ぎ、町がすっかり遠くなった頃、意を決してグレイは口を開く決心をした。何か事情があるのだと察することが出来ても、見て見ぬふりをするほど大人にもなれなかったのだ。


「パメラさん、泣いてましたよ」

「……知ってる」

「女の人は泣かせちゃいけないんでしたよね?」


 昨晩、少女達に盗みを働いた男達に激昂したルーニーを思いだし、彼の言葉を借りて尋ねる。すると、鳶色の相眸が少し細められた。

 馬の歩みがわずかに遅くなった。


「俺じゃ、ダメなんだよ」

「でも、パメラさんは──」

「あいつを幸せにできるのは、俺じゃない」

「それって、たらしの言い訳ですよね」


 納得できずに語気を強めると、ルーニーは手綱を引いて馬の足を止めた。そして、一度俯いてため息をこぼしてから、横に並んだグレイをまっすぐ見る。


 瞬間、グレイは激しく後悔した。

 ルーニーは今にも泣き出しそうな、酷く傷ついた顔をしている。必死に泣くのも堪えているようだ。

 見るんじゃなかった。聞くんじゃなかった。立ち入ってはいけない事情があるのだと納得するべきだった。そういくら後悔しても遅い。


「……ルーニーさん」

「少し、話すか」


 そう言って、街道から横道に入っていったルーニーは再び押し黙った。

 重苦しい空気に飲まれるように、グレイはただ大人しく後をついて行く。そのまま少し下って行き、林道を抜けると大きな湖畔に出た。


 馬を休ませるにもちょうど良さそうな木陰で手綱を適当な木に結び付けると、ルーニーは腰を下ろした。

 少しひやりとした風が吹き抜け、立ち尽くしていたグレイは「座れよ」と言われると大人しく彼の横で胡座をかいた。

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