<5> こんな時ですが講義の時間です

 緊張で静まり返った酒場で、一人涼しい顔をしているルーニーは少女達に向き直る。


「ペンダント探してあげるから、ちょっと髪をもらっていいかな?」

「……髪、ですか?」

「うん。一本だけね」


 少女達は顔を見合わせ、それぞれの髪を一本抜いた。


「さてと。グレイ、見てるんだよ?」


 ベルトに下がる革の小物入れから小さなガラス瓶が二つ取り出される。その中では無色の液体が揺れていた。

 蓋を開けたルーニーは、それぞれに髪を入れるとすぐさまそれを閉める。


「生き物は全て魔力を持っている。それは絶えず、全身くまなく巡っているものだ。二人が同じ茶色の髪、青い瞳であろうと、その色は似て非なるものであるように──」


 ガラス瓶を小刻みに振ると、その中に入っていた液体が、次第に色づき始めた。まるで、インクが広がるようにゆらゆらと広がり変わっていく。


「魔力も一つとして同じものはない」


 コンコンっと長い指がガラス瓶を小突いて鳴らすと一瞬だけ光が灯った。そして、穏やかな灯火が消えた直後に液体の揺らめきが安定する。

 無色だった液体は菫色と若葉色へと変わっていた。

 周囲からどよめきが上がる。

 二人の髪は柔らかい茶色であることを考えれば、何かの薬液で髪を溶かしたとしても、その色にならないのは容易に分かる。


「はい、これが君の色。で、こっちが君ね」


 若葉色の液体の瓶をフィオナに手渡したルーニーは、もう一方をモナに渡さず「ちょっと待っててね」と言って蓋を開けた。


「魔力ってのは移る性質がある。移り香って言葉、聞いたことあるだろ? それと似ている。長いこと身につけていたものなら、まだ、残っているはずだ」


 掌に菫色の液体を零し、ふっと息をかける。すると液体は意思をもった生き物のように揺らめき、膨れ上がって小さな人形となった。


「さぁ、君の香りを探しておいで」


 人形はルーニーの手を蹴るとガラス瓶を持つ手に移る。それじゃないと言えば、泣いていたモナを振り返って指さした。


「違う違う。もっと小さな、仄かな香りだ」


 そう言われた人形はルーニーの手を飛び降り、トントントンッと軽やかに跳ねながら進む。

 一度、床に転がる巨漢の前で立ち止まり、その手のあたりを嗅いだ。そして、小首を傾げると辺りをきょろきょろと見回す。

 小さな人形の手がゆっくりと上がり、一点を指差した。


 その場にいた全員──いや、一人を除いた人々が小さな手の指し示す先を見た。

 人形に指差されたのは人相の悪い男。彼は集まる視線にわずかだが動揺を見せ、奥歯を噛み鳴らした。


「お兄さん、ポケットの中身、出してくれる?」


 ルーニーの声に顔をしかめた男は、直ぐ側のテーブルをひっくり返した。

 騒ぎに乗じて、仲間を置いてでも逃げるつもりなのだろう。しかし、足を踏み出そうとした途端、びたんっと音を立てて顔面から床に倒れ込んだ。見事に顔を強打したようで、痛みにもんどり打とうとするが、その身体は動かず苦悶の声だけが上がった。


「動いたら、縛るって言ったよね?」


 ゴミでも見るような顔で男の横に立ったルーニーは人形に「どこにある?」と聞く。

 小さな人形は男の胸元から中に入っていき、十数秒後には、その両腕にペンダントを抱えて姿を現した。


 ルーニーが差し出した掌に乗った人形は、そこにペンダントを下ろすと瓶の中に入り、もとの液体に戻ってしまった。


「はい、探していたペンダント。それと、これもあげる」


 菫色の液体が入ったガラス瓶と共にペンダントを渡したルーニーはにこりと笑う。


「君たち、もう少し自分を大切にしなよ。いくら冒険者になったとしても、女の子だけでこんな時間まで酒場にいちゃダメ。大切なものを失ってからじゃ、遅いよ」


 優しく諭したルーニーは二人の頭を優しく叩く。それに顔を赤らめた少女達は顔を見合わせ、口々に謝罪とお礼を述べて頭を下げた。


「そのガラス瓶は、一度だけ君たちを救ってくれる魔法をかけてある。どうしてもって時に助けを願えばいい。ただし、一度だけだ。こういう輩に使わないようにね」


 笑顔でガスンっと巨漢を蹴ったルーニーは、そちらに視線を移す。


「お兄さん達。俺ね……楽しい酒を邪魔されるのと、女の子泣かす男が大っ嫌いなんだよね」


 いつもの温厚な顔はどこへ行ったのか。口の端を歪めたルーニーは「どう償ってくれんだ?」と、巨漢が言った言葉をそのまま投げつけた。


 男達の顔から血の気が引く。

 その場にいた全員、まるでショーを見ているような気分になっていたが、突然上がった男達の叫び声で我に返ると、慌ててルーニーを止めに入った。そうしなければ、この二人はどうなっていたことか、考えるに恐ろしい。


 顔が腫れ上がった男達は泣きながら謝罪を繰り返し、殴りたらないと騒ぐルーニーはグレイに抱えられてその場を立ち去ることになった。

 グレイの肩に担がれる形で部屋に戻ったルーニーは「殴りたらない!」と怒鳴った。


「あいつら、女の子の持ち物スったんだ。泣かせたんだよ! パメラにも怪我をさせた!」

「分かりました。分かりましたから! 相手が二人だったから良かったですけど、もし他に仲間がいたら」

「全員ぶちのめすに決まってるだろ!」

「……これ以上はルーニーさんが加害者になりますから! 落ち着いてください」


 借りた部屋の扉を閉ざしたグレイは、その前に仁王立ちになった。ここを通す訳にはいかないというように、ルーニーと睨み合う。

 しばらくそうして顔を突き合わせたものの、ルーニーとて彼の言いたいことが分からない訳ではない。ふくれっ面のまま「分かってる!」と怒鳴り、背を向けるとローブを脱ぎ捨てた。


「くそ、せっかくの酔いがさめた」


 悪態をつき、体をベッドに横たえたルーニーは頭まですっぽりと毛布を被ると黙ってしまった。

 グレイは今日一番の深いため息をついて、その場に座り込んで天井を見上げた。そして、酒場での一連を思い返す。


 魔力には色がある。

 話を聞いてもいまいち理解できなかったが、実際目にしても現実味がないと言うか、何かのショーを見ているようであった。キツネにつままれたよう、とでも言うのか。


 ──自分の色は何色なのだろうか。それと、ルーニーさんのは。


 いつか見せてもらえたらと思いつつ、酒場の一見が脳裏を掠めた。

 当分、彼に酒を飲ませるのはやめた方がいいかもしれない。そんなことを考え、もう一度、ため息をついた。

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