<4> 酔っ払っていも魔術師ですから
旅に出てからまだ十日と経っていない。
酔っぱらいの寝顔ではあったが、グレイは初めてルーニーの気持ち良さそうな寝顔を見ていた。
宿でのルーニーは、グレイが寝落ちるまでベッドに入ることはない。朝も必ず先に起きている。夜中にどこかへ出かけているのではないかと疑うほど、寝ている姿を見せないのだ。さらに野宿では、交代で火の番をすると言っても、寝入ったグレイを起こすことをしない。
長い睫が少し揺らぎ、起きたのだろうかと思った。しかし、何かもごもごと聞き取れない寝言を言ったルーニーは微笑を浮かべたまま寝息をたてた。
グレイはほっと安堵の吐息をついた。
出逢ったその日に夢遊病のような状態を見せたことを気にしているのだろうか。そう心配していた為、こうして穏やかな寝顔を見れたのは素直に嬉しく思えた。
しかし、このままにしておくことも出来ない。
「ルーニーさん、寝るなら部屋に行きましょう」
「うぅん……まだ、呑む……」
まだ呑む気なのかと、辛うじて返ってきた受け答えに頭が痛くなった。
これは当分酒場で飲ませてはいけないと思いながら、その肩を揺する。すると、ルーニーは小さく「ウィル」と再びその名を呼んだ。
──また、父上と……
グレイの心に暗く影が落ちた。
二人でこういった酒場で呑むことがあったのだろうか。こんな風に、無防備に寝てしまったのだろうか。
そっと赤毛を撫でたグレイは、ルーニーが小さく呻くと慌てて手を引っ込めた。そして、引っ込めた指先を見つめ、胸の奥につかえる暗い何かに首を傾げる。
──今、なぜ慌てた。この感情は一体……
いくら考えても確かな答えはなく、ただため息が出る始末。
ともかく、このまま居座るわけにもいかない。抱えてでも部屋に戻ろうと立ち上がった。その時、少し離れた所で悲鳴が上がった。
振り返ると、冒険者同士だろう巨漢と少女二人が対峙して何か喚き散らしていた。
男のその手が壊したのだろうか、テーブルが一つひしゃげているのを見ると、ただ事ではなさそうだ。
騎士道に動かされたと言う訳ではないが、グレイは騒ぎを止めに入るべく足を向けた。それよりも先に割って入ったのはパメラだった。
何事か言い合っていると、巨漢が腕を勢い良く振り払った。
「パメラさん!」
小さな体が飛び、椅子を跳ね飛ばすようにして床に転がった。どうにか受け身は取っていたようだが、パメラは痛みに呻いて背中を丸めている。
グレイが駆け寄って抱き上げると、パメラは涙目で礼を言い、彼の腕を掴みながら気丈にも立ち上がった。
巨漢は一瞬だけバツの悪い顔をしたが、開き直るように仁王立ちになっている。
「何があったんですか?」
「それが……この子達が、大切なものを盗られたって言ってて」
パメラも状況を正確には把握していないようで口籠りながら少女達を見た。その事実を確認するようにグレイは彼女達に声をかける。
「盗られたんですか?」
「そうよ。絶対、この男がモナのペンダントを盗ったのよ!」
「証拠はあんのかよ」
「だって、店に入るときはつけてたもの! あんたが通り過ぎた後よ。モナが首を気にして触ったら、なくなってたのは!」
まくし立てるように訴える少女は踏み出し、怯える様子の少女モナの前に立つ。そして、今にも噛みつきそうな顔で巨漢を睨みつけた。
「フィオナ、もう、いいよ」
「良くない! あれは、あんたのお母さんの手がかりでしょ!」
「でも……」
ぱたぱたと涙を流しだしたモナが俯く。その首筋は少し血が滲んでいる。何かが擦れたのだろうことは明白で、怒り狂う少女──フィオナはペンダントのチェーンが千切られた時に出来た傷だと思っているのだろう。
おおよその状況を理解したグレイが巨漢に持ち物を全て出すように申し出れば、男はわざとらしく顔を歪めて不快感を露にした。
「もしなかったら……どう償ってくれんだ?」
巨漢は待ってましたと言うように、歪んだ顔を汚い笑顔に変えた。
この一言で、グレイは挑発だと察した。
もうこの男はペンダントを持っていないし、仲間に渡しているのだろう。いくら探しても見つかることはない。その自信が彼にはあるのだ。
状況を厄介に思いながら、まだ店内にいるだろう男の仲間に悟られないようにグレイは周囲を見回す。
万が一、今、動く者がいればそいつが仲間だ。しかし、相手もバカではないようで動く気配はなかった。
どうすることが最善なのか。
ぐっと奥歯を噛み、グレイは思考を巡らせた。
「あんたが持ってるに决まってるでしょ! 出しなさいよ!」
怒りの静まらない少女フィオナが叫ぶと、その場にそぐわない気の抜けた声が「はいはい、ちょっと退いてね」と響いた。
振り返ると、少し気だるそうな顔をしたルーニーが、人山を割って顔を出した。
「パメラ、怪我してるけど大丈夫か?」
「私は平気。それより、この子達を助けてあげて」
手短に状況を話そうとしたパメラに頷いたルーニーは「うん、分かってる」と言って彼女の前に出るとグレイを見た。
「グレイ、魔力には色があるって話したこと、覚えてるよな?」
「……今、それどころじゃ」
突然何を言い出すのか。
周りも含め誰もが言葉を失うと、ルーニーは「見せてやるから」と言った。
「てめぇ、何わけ分かんねぇこと」
巨漢は状況が読めないことに苛立ちを見せ、ルーニーに殴りかかろうとした。
「待てない男は、嫌われるよ?」
顔色一つ変えず、ルーニーは巨漢の足元を指差すとすいっと弧を描いた。
足元の影から幾本もの線が突きだした。それは細い鉄線のように見えたが、まるで蔦か紐のようにぐにゃりと曲がると巨漢の身体を絡めとった。
巨漢はまるで縄で手足を縛られたように、拳を突き出したまま動きを止める。
「これで、待てるよな?」
歩み寄ったルーニーは人差し指で巨漢の肩を押すと、その身体は無様に床へと転がった。
周囲は察した。この男、魔術師だ、と。
ざりっと後退る音が響くと、ルーニーは手を静かに動かした。
「今から動くやつは、こいつの仲間と見なして、容赦なく縛るから、ね?」
にこっと笑うと、全員が背筋を強ばらせたのは言うまでもないだろう。
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