3 旅は道連れ世は情け
<1> 醸造の町ヴァンス
ガートの町長夫妻に惜しみない感謝の言葉で送り出された二人は、街道を南下することになった。
数日、野宿をすることもありながら平穏に旅は続いた。
大きな都市から離れると盗賊や蛮族に旅人が襲われることもしばしばだが、運が良かったのか、はたまた王都からそれほど離れていないためか、何とも緊張感のない日々が過ぎた。
だが、そのおかげでグレイは教本をだいぶ読み進めることができた。
この日も、昨夜読み進めた教本の確認をするべく、グレイは馬上でルーニーを質問責めにしていた。
「ルーニーさん、魔力と血に関連があると書いてありましたが、血の流れを感じることが魔力の流れを感じることになるんですか?」
「そうだな。魔力の感じ方は人それぞれだが、脈動として捉えるヤツも多いと思うぞ」
馬の歩をゆっくり進めながら、ルーニーは語り始めた。
「それで自分の魔力を捉えるのは、イメージ出来るのですが、人や他の動植物の魔力はどうすれば良いのでしょうか?」
イメージは出来ても、まだ自分の魔力を一度も関知できていないグレイは渋い顔をする。
「そうだな……魔力には色がある」
「……色、ですか」
いまいち腑に落ちないという顔をしたグレイが眉間にしわを寄せると、ルーニーは小さく噴き出して笑った。
グレイは質問をして答えるたびに、理解できないとあからさまなしかめっ面をする。それでも真剣に話を聞いて考えるものだからさらに厳しい顔になる。
せっかくの色男が台無しだと、何度その眉間の皴を指で押して指摘したことか。
「まぁ、匂いでもいいんだけど」
「……今度は匂いですか」
これまた理解に苦しむ。そう言葉にしなくても、さらに眉間のしわが深まった。
「しわ残るぞ」
ぷふっと再び吹き出したルーニーは、自分の眉間をトントンッと叩いて告げた。この忠告は今日だけでも三回繰り返されている。
額に触れたグレイは困っているのか照れているのか、何とも言えない表情をした。
「魔力に同じものはない。その違いがよく表れるのは、匂いや色だ」
「そういうもんですか?」
「髪や目が同じ色に見えても、微妙に違うだろ? 魔力を視覚化して見分けたり、嗅覚で識別することは基礎中の基礎だな」
「はぁ……」
人のもつ色素の話ならと、身内を思い浮かべてみた。母ジェマの髪も黒ではあるが、グレイよりもやや艶のないくすんだ黒だ。遠目には同じでも、肌の色と同じく並べばその違いが分かるだろう。しかし、それと異なり、見えない魔力を視覚化するというのは簡単ではないような気がする。
さらに、嗅覚に頼ることは視覚以上に想像すら難しかった。嗅覚に頼るような場面はそうない。想像するに、それが求められるのは食べ物が腐っているか否かを判断するくらいではなかろうか。
考えれば考えるほど、分からなくなった。
堪らず肩を落としたグレイに、ルーニーはやれやれと苦笑った。
「まぁ、すぐ出来るほど柔軟な歳でもないか。後で実際に見せてやるから。それより──」
自信なげにため息をつく弟子を笑い飛ばすルーニーは、街道の先を指差した。
「この先の町で宿を取ろう」
そう言って、馬の歩みを速めた。
程なくして辿り着いたのは、ヴァンス──城壁に囲まれた町の東側には大きな葡萄畑と醸造所が隣接している。葡萄酒造りが盛んな町だ。
まだ日が沈む前だと言うのに、目抜通りは大いに賑わいを見せていた。
メレディスにある町を思い出させるような活気に、グレイはわずかに気持ちを高揚させて通りを見回した。
「賑やかな町ですね」
「ヴァンスの葡萄酒は上質で、国外からも買い付けに来る商人がいるからな。いつもこんな感じだ」
買い付けに来る商人だけでなく、その酒が目的で立ち寄る旅人も少なくない。酒好きが集まれば日が沈む前から酒場が賑わうのはよくあることだ。
馬宿を兼ねる酒場に向かいながら、ルーニーがヴァンスの葡萄酒は良いぞと語り始めると、グレイは困ったように苦笑した。
「酒はよく分かりません」
「ん? もう飲める年だろ?」
「飲めますが美味しいとも思いませんし、どうして皆さんが楽しくなるのかも分かりません」
「あー、お前、ザルか」
「ザル?」
「いるんだよな。いくら飲んでも酔わないヤツ。ウィルもだぞ」
しみじみと「可哀そうに」と付け加えたルーニーは、大きな酒場を見つけて指さした。今夜の宿が決まったようだ。
馬を預けて部屋に上がると荷物を下ろした。
小綺麗な部屋は男二人が泊まるにはやや狭かったが、掃除も行き届いていて野宿と比べれば雲泥の差だ。
ルーニーは地図を引っ張り出すと、備え付けられた簡素な机にそれを広げた。そこにはガーランド東部──グレンウェルド国とジェラルディン連合国、その二国に挟まれた樹海が描かれていた。
「今いるのは、ここだ」
「……この方角じゃ、ドラゴンウィングに向かうには遠回りですよね?」
「言っただろ。寄り道するって」
なるほど。賢者の仕事を見せるだけが目的ではなかったのかと理解したグレイは、地図をなぞるルーニーの指を目で追った。
地図をたどる白い指は、エルフが住まうと言われる樹海で止まった。
「昔馴染みに会いに行く」
「エルフ、ですか?」
「いや、ハーフエルフだ」
その言葉にグレイが思わず表情を険しくすると、ルーニーは苦笑する。
「哀れみが顔に出てるぞ」
「そりゃ、ハーフエルフですよ。不憫でしょう」
ハーフエルフは古くは忌み嫌われる存在であった。森では半端者と言われ、町では異種族と交わった汚らわしい証として蔑まれたのだ。小さなうちに親に見捨てられ、売られる子も少なくなかった。
この百年ほどで森の民との歩み寄りもあり、ずいぶんその偏見は減ったと言われているが、ひと昔前は花街の裏で使われ、時には手荒に扱われることもしばしば。親子心中とみられる亡骸が川で見つかることも少なくない話だった。
未だに、地方の都市ではそのような悲しいことが起こるため、グレイのように育ちのいい者はハーフエルフを不憫だと思うことも少なくない。
「不憫ねぇ……そういう目がなくなるのはいつなのか」
「……はい?」
「いや、こっちの話だ」
さらりと話を流したルーニーは指でトントンっと地図を叩いた。
「まずは、ここで協力者を得る。次は森を越え──」
「森を越える!? 樹海をですか?」
突然のことに、開いた口が塞がらないとはこのことだろう。グレイの驚きなど想定内なのか、涼しい顔をしたルーニーは「おうっ」と笑顔で頷いた。
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