<2> 酒場での再会
グレンウェルドからドラゴンウィングを目指す場合のルートは三つある。
一つは、多くの者が使う海路だ。ジェラルディン国内南方に位置するドラゴンテイルの港に着いた後、さらに陸路でドラゴンウィングを目指すことになる。大きく迂回するため時間を要するが、魔獣との遭遇率はもっとも低いとされる。
最短ルートと言えるのが、グレンウェルド国とジェラルディン国の間にあるライゼル山を越えるものだ。そこを越えればドラゴンアイがあり、さらに南下するとドラゴンウィングへとたどり着く。
ただし、ライゼル山は野生の狼の群れや小型の魔獣なども生息しているため、腕に自信のある者しかその山を越えて向かうことはない。
そして三つ目のルートが、ルーニーの提示した樹海を越えるもの。森を守る不可視の魔法がかかっているため、森の民の協力がなくては通過することなど到底無理だ。当然のように、一般的には使用されない。
ルーニーは賢者だ。その真の実力がいかほどか知らないグレイであっても、森を抜けるよりもライゼル山脈を越えることの方が難易度が低そうに思えた。
「山より森を経由する方が最短距離だ」
「そ、そうですけど、森を迂回したほうが安全なのでは……?」
「時間は金で買えるだろうが」
「……はい?」
言いたいことが全く見えずに聞き返すも、地図をたたみ始めたルーニーは「大丈夫だから」と笑うだけだった。
「さーて、飯食いに行くぞ」
この先、しばらく野宿も続くだろうから保存食も補充したいところだと話しながら部屋を出た。
日が暮れ始めたこともあってか、宿屋の一階にある酒場は宿泊客以外の冒険者や町民も集まり、ずいぶんと賑わっていた。
カウンター席に座ったルーニーは、早速、葡萄酒とナッツの盛り合わせを頼む。すると、注文を受けていた店員の後ろで、甲高い声が「ルーニー!」と彼を呼んだ。
姿を見せたのは、木のトレイを持った給仕の少女だった。ふわりとした柔らかい薄茶色の髪を高い位置で束ね、大きなリボンで結んでいる。彼女が歩けば、その髪の先がゆらゆらと揺れた。
「ルーニーでしょ? 久しぶり!」
「あー……パメラ。まだここで働いてたのか」
「ふふーん、今はここの看板娘よ!」
丈の短いスカートの端を持ってくるりと回った少女パメラは、ずずいっとルーニーに近づいた。その服から溢れんばかりの大きな胸を押し付ける様子を横で見たグレイは、何とも言えない気持ちになり、ついっと視線をそらす。
「いつ、グレンウェルドに戻ってきたの? 全然顔出してくれないんだもん!」
「これでも忙しくてね。あー、母ちゃんは元気か?」
「うん。今度、逢いに来てよ。お母さん、喜ぶよ! それとね──」
まだ話し足りないと言った様子のパメラは木の盆をカウンターに置くと、再びルーニーの腕にしがみついた。
ぐいぐいと胸を押し付けるものだから、彼女の柔らかな膨らみがたゆんたゆんと揺れる。それを盗み見る周囲の男たちは、すました顔をしながらも目尻を下げていた。
パメラの好意は駄々洩れだ。そういった色恋に鈍感なグレイでさえ、そういう事かと察して僅かに顔を赤らめるほどに。
「仕事中だろ?」
「他の子もいるから、ちょっと話すくらい」
良いじゃないと言い終わる前に、カウンターから咳払いが聞こえた。
顔をあげると、髭をたくわえた長身の男が眉を吊り上げて立っている。歳は五十路と言ったところか、貫禄も筋肉もある冒険者も顔負けしそうな男だ。男の厳つい顔を見るなりパメラが顔を引きつらせたのを鑑みれば、彼がここの店主なのだろう。
「料理が上がるぞ、パメラ」
「ちぇっ。それじゃ、またね。ルーニー」
ひらひらと手を振ったパメラはスカートを揺らして厨房に入っていった。
「いつまでたってもあの調子だ。もう少しお淑やかにならんもんかね」
ナッツとチーズが盛られた皿と葡萄酒の瓶とグラスを順にカウンターに降ろした店主は、厨房から食器のひっくり返る派手な音と料理長の叫びを耳にして、深々とため息をついた。
「今ではパメラに会いに来る男も増えたが、浮いた話は一つもありゃしない」
「すっかり、パメラの父親してるじゃないか」
「よしてくれ。せいぜい、ジジィだろう」
そう言って笑い飛ばした店主は、グレイを見て「旦那もゆっくりしていってくれ」と言い残し、その場を離れた。
「ここは、お知り合いの宿だったんですね」
「昔、ちょっと仕事でな」
「……仮面なしで?」
「そんな時もある」
ナッツを噛み、何事もなかったように葡萄酒をグラスに注ぐルーニーは、届いた肉と野菜の煮込みにフォークを刺した。とろとろに煮込まれた肉を口に運び、熱さに目をうるませながらも「うまっ」と声を零す。
──今日は食欲があるようだ。
ルーニーの様子に少しほっとしたグレイは、彼と視線がかち合うと思わず目を逸らした。
「羊肉、嫌いか?」
目の前の食事に手を付けないグレイを不思議に思ったルーニーが声をかけると、彼は声をひそめて「いいんですか?」と尋ね返した。
「ん?」
「……さっきの子と、ルーニーさんって、その」
どう形容したら良いのだろうか。恋仲なのだろうか。いや、雰囲気はパメラの片思いのような気もした。どちらにしろ親しそうだったし、師匠もそう嫌がっているわけではないのを見れば、何かしら深い関係でもおかしくはない。
そんなことを云々と考えて口籠ったグレイは、横でフォークを咥えたままきょとんとするルーニーを見る。
「出てきても良いですよ」
「……何言ってんの、お前」
グレイの言いたいことの意味を解せずに、首を傾げたルーニーは焦げ目の着いたソーセージに齧りついた。
「俺に気を使うこと、ないです、よ?」
顔を赤らめるグレイをじっと見たルーニーは、はたと目を見開き、少しばかり面倒そうな顔をしてため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます