<12> 距離感
自嘲気味だった笑みとは打って変わり、心底幸せを願う慈愛の笑みをルーニーは見せていた。その事に安堵したグレイは、固くなっていた肩の力をふっと抜く。
「せっかく、核を砕いたんだ。間違わずに彼女を導いてほしいもんだよ」
「……司祭殿に、ですか?」
「あぁ、そうだ。あの二人の関係が何かは知らないが、少なからず、お互い思いあっているだろうからな。とは言え、部外者が出来るのはここまでだ」
二人の様子を思い浮かべたグレイは、確かにと頷けた。だが、自分達が二人の関係をどうすることも出来ないことも事実だ。そう考えると、少し虚しさを感じたグレイは、曖昧な笑みを口元に浮かべた。
彼の虚しさに気付いているのか、いないのか、黙り込んだ様子をしばらく見ていたルーニーは「なぁ」と声をかける。
「他に聞きたいことがないなら、少しは魔法の話をしようか」
少し気怠そうに「師匠らしいこともしないとだろ?」と言われれば、反論など出来るわけもないグレイはそそくさと教本を取り出す。
暇があれば目を通すようにしている教本だが、栞はほんの序盤に挟まれていた。それを見て、ルーニーは少しだけ唸って眉間にしわを寄せる。
「読みにくいか?」
「共通語しか学んでいないので、下位古代語は……」
「エルフ語は?」
「簡単な読みと会話くらいは出来ますが、筆記は無理です」
「親父さんに習ったのか?」
「いいえ、母です。商談に訪れる客は共通語が使える者ばかりですが、時には森や山の民と交渉するからと」
「オルクス語はどうだ?」
「簡単な聞き取りは出来ます。筆記はからっきしですが」
ふんふんと頷いたルーニーはちょいちょいっと手招きをすると、横に座るようにとカウチを示した。
「ちょっと、耳貸せ」
「耳、ですか?」
言われるままカウチに腰を掛けると、白い指が触れてきた。
ひんやりとした指が耳の形を探るようになぞり、そのくすぐったさにグレイは思わず首をすくめた。
「動くな。すぐ終わるからじっとしてろ」
「……あの、ルーニーさん、何をしているんでしょうか?」
そう尋ねると同時にパチンっと音がして、耳の淵を覆うように銀のカフスが嵌められた。
指で触れてみると、ひんやりとした金属面には何か文字もようなものが刻まれているようだと感触で分かった。しかし、その文字が何なのかは、全く見当がつかなかった。
「これは?」
「ちょっとした音を伝える魔具だ」
「音、ですか……?」
「風の精霊には音を伝えるって能力がある。その能力を使って精霊使い達は俺たちとは違う伝達技術を持っているんだが、その応用の品ってとこだな。まぁ、本を開けば分かる」
何のことかさっぱり分からず困り顔だったグレイは、論より証拠だと言われるまま教本を開く。すると、突然耳の奥で聞きなれない声が響いた。
目で文字を追うと、耳の奥で「魔法の発動条件について──」と講釈が披露された。
驚いたグレイがルーニーに視線を戻すと音は消える。どうやら、視線が教本に向かっている間は音が流れる仕組みのようだ。
再び視線を教本へと戻し、今度は違うページを開くと「魔力を体感しましょう──」と、異なる解説が流れた。適当に開いた項目は実践についての方法を解説する箇所だったようだ。
ひとまず教本を閉じ、グレイはルーニーに向き直る。
「凄いですね。ところどころ共通語で解説しているので、分かりやすいです」
「だろ? 昔さ、弱視の子を連れた母親が来たことがあってな。その子の夢が魔術師になることで、どうしたら学べるか相談されたんだ。そこで、友人の精霊使いに協力してもらい、それを作った。その教本の内容を分かりやすく解説してくれる便利な魔具だ」
解説部分にも共通語が入れ込まれていることで、教本を読むより遥かに理解しやすくなっていた。
何とかなりそうだと安堵したグレイは、もう一度、教本の冒頭部分を開いて視線を向けた。
聞き取りやすい声音が流れ、解説を始める。すると、冷たい指先が予告なしに耳朶をつまんできた。
「きつくないか?」
ふにふにと冷たい指が耳の形を確かめるように触る。その冷たさに、たまらずに背筋をぞわりと震わせたグレイは背筋を伸ばした。
「……はい、きつくないですが、あの……」
「ん、緩いってこともなさそうだな」
「くすぐったいので」
身じろいで距離をとろうとすると、きょとんとしたルーニーは特に表情を変えずそうかと呟いて指を放した。
ほっと安堵の声を零したグレイは熱くなった耳たぶに触れて教本を閉じた。今、講釈が懇切丁寧に流れても、頭に入るような余裕は持てなかった。
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