<10> 敵対者

 顔色一つ変えずに魔力と性欲の関係をつらつらと語ったルーニーを見て、グレイはなんとも言えない複雑な表情になった。


 十八にもなればそれなりに性欲もある。恋に落ちていれば、相手のことばかり考えて体の中心を熱くすることもあるだろう。だが、グレイは未だ恋というものを知らなかった。それどころか、女性との係わりに苦手意識すら持っていた。


 色々と我が儘で派手な姉が側にいたことも一つの要因だったのだろう。彼女はグレイのことを家族として本当に愛していたのだが、その行き過ぎた愛情ゆえに、ことあるごとに彼を呼んでは傍に置いたのだ。しかし、少年グレイがそのようなことに気づくわけもなく、気づけば姉の影響で年頃の少女は近づかなくなっていた。

 さらに、デール家の一員として、それなりに社交場でのあり方なども教育を受けてきたことにより、女性とは気を遣う対象という認識が強くなったのだ。


 恋に陥るような出会いがなかった。そう言ってしまえばそれまでだが、関わりのあった女性が限られたのだ。母と姉、デール家で働く小間使と取引先の令嬢達では、堅物に育ってしまったグレイが恋に落ちるには、少々難があるだろう。


 急に、性的衝動が起きた時のためにパートナーを見つけた方がよいと言われても、はいそうですかと納得するのは、果てしなく困難だった。


 ──そもそも性欲処理なら、一人ですればいいのでは。


 渋い顔をするグレイを横目に、ルーニーは葡萄の房に指を伸ばした。十粒ほどまとめて口に放り込み、静かに咀嚼したそれを飲み込む。

 赤い舌先がぺろりと唇を濡らした果汁を舐めとった。


「まぁ、そんなことよりも、今回のことで色々と聞きたいことあるだろ?」


 話題が変わったことに安堵したグレイは、少し考えると頷いた。

 聞きたいことは山ほどあったが、まず聞かなければならないことは──


「寄り道をしながら向かうと言われたのは、今回のことですか?」

「あぁ、これも含むな。俺の仕事ってのは幅が広くてな。例えば先日の大雨で山道の崩落があっただろ? そういった災害では、救援隊が到着するまでの現場の調査や救援をやる」


 他にも国家間の火種の処理、サマラの動向の調査、魔獣の討伐。そう指を折りながら話すルーニーは、一度言葉を切ると果実水で喉を潤した。


「で、妖魔の核が見つかれば、それを阻止するためガーランドのどこへでも向かう」

「随分幅が広いんですね。賢者っていうのは、もっとこう……」

「隠遁したジジィが偉そうに王様に意見してるようなイメージだよな?」


 勿論そんな時代もあった。

 しかし、ルーニーの知っている”賢者”というのは先代の大魔女であり、彼女の行ってきたことをそのまま引き継いでいるだけだ。


「元々は、魔術学校の校長兼専門機関の統括だったらしい。当然、国王の相談役でもあった」


 だが、革新的な者というのはいつの時代でも必ずいるものだ。

 誰でもできる仕事は分散すべき。そう言って改革を進めたのが、大魔女ミシェルの恩師ロンマロリーであった。

 今でも国王が”賢者”に意見を求めることはあるが、当時、ロンマロリーの働きで、その相談役に代わる機関が作られ、国立魔術学校の校長は教職員から数年おきに選出されるようになった。


 そして”賢者”は国政に大きく関わる有事、特にサマラ案件を中心に自由に動けるようになった。その下で若い頃から動いていた大魔女ミシェルが先代の跡目を継ぐようになったのは、自然な流れだったのかもしれない。さらにルーニーもに大魔女の代理として飛び回っていたため、今の立場に収まったとも言える。


「俺は、人よりだいぶ魔力量がある。転移魔法も日に十回くらいなら余裕でできるくらいには。だから、時間がある限りガーランド中を飛び回り、妖魔の核に関する案件は自ら足を運ぶことにしている。今はジェラルディンの案件を優先するから、しばらくは国の魔術師に任せる形になるが、その前に、お前に見せておこうと思ったわけだ」


 今回のことが落ち着けば、あらゆる現場に連れまわして見せるつもりだけどと付け加えたルーニーは、グレイがおおよそ理解を示して頷くと「他には?」と続けて尋ねた。


「……では、あの黒い仮面の男は何ですか?」


 ルーニーの表情が剣呑なものに変わり、軽く尋ねたことをグレイは僅かに後悔し、息を呑んだ。


「カトレアに核を埋め込んだ張本人。サマラの魔術師……俺の敵だ」


 それは想像通りの返答だった。しかし、ルーニーの表情は想像以上の憎しみに満ちていた。

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