<9> 魔力の副作用
ルーニーが書き終えた報告書を木箱に収めて届ける用意をしていると、一度席を外していたグレイは果実水の入った水差しを持って戻ってきた。
「そちら早馬を出しましょうか? 頼んできます」
「いや、いい。仕事が済んだと知られたら、また女の子を送り込まれそうだからな」
苦笑するルーニーの言いたいことを理解できず、グレイは首を傾げる。食べきれないものを下げてもらいたいので、給仕に訪れてもらうことに問題はないと彼は思っていたため、師匠の態度が欠片も理解できないでいた。
そんな困り顔の弟子をよそに、ルーニーは箱に封印を施して端に寄せると、差し出されたグラスを受け取った。
「それにしても、多いな」
「ルーニーさんも食べてください」
クッションの積まれたカウチに移動し、三分の一も減っていない豪勢な食事を前にする。ただし、それを食べる為ではないようで、ルーニーは渋い顔をしてそれを眺めていた。
「……いや、見ただけで胸焼けがする」
「そんな、年寄りみたいなことを」
「年寄りだからな」
「誰も信じませんよ、そんなこと」
「師匠の言葉を信じないのか、お前は」
「そう言うことじゃなくて……」
わざとらしくむっとした顔を見せたルーニーだったが、グレイが困り顔になると、小さく噴き出して笑った。そして、妥協だと言わんばかりに白い指が果物に伸ばされる。
「食い物からとる魔力なんて、たかが知れてるんだけどな」
「魔力?」
「あぁ、多分、俺が相当魔力を消費しただろって、司祭が町長に報告したんだろうな」
実際、核を砕くには相当の魔力が必要だ。
本来なら、大きな術式の解除というのは、数人の魔術師で円陣を組んで行われる。魔力も時間も必要なのだが、ルーニーは持ち前の膨大な魔力にものを言わせ、半ば力業で術式を壊したのだ。
町長に魔術の心得がないことは、核のことを呪いと言って納得できる時点で明白だ。つまり、これらは司祭の入れ知恵だろうと、ルーニーには容易に想像がついた。
咀嚼した果実を飲み込みながら、大量の食事も女も必要ないんだけどな、と胸の内で苦笑する。
「今時は、魔力補充のための魔法薬の種類も多いしな」
「はぁ……せっかくの食事を無駄にしてしまいますね」
申し訳なさそうに言うグレイを見て、ルーニーはきょとんとする。
想像以上にグレイはいい環境で育ったのだろう。そう考えていると、不意に記憶の中の少年が、彼の困り顔と重なった。
──嗚呼、あいつも育ちが良かったからか……
食事を残すことも、食事をとらないことも良しとしなかった少年の厳しい眼差しを懐かしそうに思い出す。同時に、胸の奥に広がった切なさが小さな痛みとなり、ルーニーは無意識にため息をこぼした。
その様子を見逃さなかったグレイは心配そうに尋ねた。
「やはり、お疲れですよね」
「まぁ、長いこと馬に乗ったのは久々だからな」
「そっち、ですか?」
「ん? そっち?」
グレイの疑問の意味が一瞬分からなかったルーニーだが、しばし思考を巡らしてふと思い至った。彼も、司祭や町長のように魔力の消費を案じているのだろうと。
「魔力の心配はいらないぞ。だいぶ使ったが、あの程度で昂るほど若くもないしな」
「昂る……?」
「あぁ、そうか。お前はそう言った体験もまだだな」
「そう言った経験、とは?」
全くもってルーニーの言いたいことが伝わっていないグレイは眉間の皴を濃くした。
「魔術師は保有する魔力を大量消費すると気が昂ることがあるんだ」
魔力は命にも直結するため、枯渇した魔力を安易に取り込みたくなる傾向にある。同時に、子孫を残したい衝動に駆られることで、性的欲求が増す。この副作用は魔術師の中では常識であり、それを知る者が花街で魔術師専用の店を始めることも珍しくない。
つまり、町長はそういった性的意味を含めて大量の料理と共に、給仕と称して小間使いの娘たちをつけようとしたのだ。
──全く昂らねぇ訳じゃないけどな。
淡々と語っていたルーニーは、目の前で硬直してしまったグレイを微笑ましく見た。
さて自分が十八の頃は何をしていたんだっけな。遠い記憶すぎて思い出すのも大変だが、とりあえず童貞は捨てていたし、それこそ女も男も関係なく経験もしていた。
自分が擦れていたのか、グレイが純朴すぎるのか。
「まぁ、戦場に出れば騎士や戦士の奴らも同じようなもんだけどな。俺たちのは職業病みたいなもんだから、さっさとパートナーを見つけるか、そう言った店に通うかだな」
命のやり取りのある場では、少なからず命を繋ごうとするものだ。だが、魔術師は平和であっても、魔力のコントロールを見誤るとこの性的欲求に対して自制が効かなくなり、破滅に足を突っ込むことさえある。
「とは言え、お前はまずその魔力を使えるようにならなきゃ、関係のない話だな」
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