<8> 町長の屋敷で

 町長はカトレアを抱えて現れた司祭を見るや、外聞を憚ることもなく声を荒げて走りよった。震える指で瞳を閉じる娘の頬にそっと触れ、静かな息を繰り返していることを確認し、彼は安堵に涙をあふれさせる。


「しばらくは高熱にうなされるだろうが、彼女に接触していたサマラの魔術師もこの地を去った。ゆっくり休ませてあげると良い」

「賢者様、ありがとうございます」


 地面にひれ伏した町長はおいおいと声を上げて泣いた。よほど心配をしていたのだろう。


 それは人の親であるのだから当然かと思いつつ、グレイはほっと息をついた。しかし、これほどまで大切に育てられた娘が、なぜサマラへ堕ちる道を選ぼうとしたのだろうか。そう疑問に首を傾げていると、ルーニーが「あぁ、それと町長殿」と話を続けた。


「私は深い事情は分からないが……娘のことは、そこの司祭に任せてやってはどうだ?」

「……そ、それは、どういった意味で」


 突然の提案に困惑した町長は明らかに狼狽え、司祭とカトレアを交互に見た。司祭もまた、目を一度見開いて驚きの色を見せる。


 二人の関係に何かあるとルーニーが思ったのは、単なる勘だ。しかし、人生において勘は一つのきっかけになる。良くも悪くも、新しい道を見出すきっかけに。


「呪いというのは複雑そうでいて単純だ。サマラは娘の心の隙間にちょっとばかり付け入った。その隙間が埋まらなければ、また──」

「再び、呪いを受けるということですか?」

「その可能性は否めない。だが、奴らは隙に付け入るのが上手いだけだ。だったら、奴らが付け入らぬよう、それを埋めてやれば良い」


 そもそも、一度失敗した宿主を再び手に入れようとは考えないだろうが。と、心の中で思いつつ、ルーニーは司祭をちらり見た。

 辛そうな表情をうまく隠せていない彼の指はしっかりとカトレアを抱きしめている。

 ただ運ぶだけならそれほど強く抱えなくてもよいものだ。地下で彼女に伸ばされた手も、今、抱きしめているその手も、司祭としてではなく彼自身の意思が感じられた。


「司祭殿、老婆心ながら言わせてもらうが」


 この勘はあながち間違ってないだろう。そう思うと同時に、司祭というのはやはり面倒な生き物だと、ルーニーは改めて感ぜずにはいられなかった。

 困惑する司祭に向き直り、言葉をかける。これが彼らの背を押すものになれば良いのだがと思いながら。


「見守るだけが愛し方ではない。大切なものを失ってからでは遅い。後悔なきよう生きられよ」


 その忠告に、町長は驚きを隠せない様子で司祭を凝視し、そして司祭は辛そうに目を細めると「心に刻みます」と答えた。


「ひとまず、私の仕事はこれまでだ。後ほど、配下の魔術師を遣わし、サマラとの接触の経緯などの事情を聞かせてもらうことにはなる」

「賢者様、娘が幽閉されたりは……」

「必要ないだろう。それほど心配なら、そこの司祭と共に生涯、神へ祈りを捧げればよい」


 ルーニーの返答に大きく安堵した町長は、今夜は屋敷に立ち寄ってほしいと申し出た。

 日もとっぷりと沈んでいることもあり、その申し出をありがたく受けることにした。


 屋敷に到着して早々、食事をふるまうと言われた。しかし、今夜中に報告の書状を認める必要があり、早朝にも立たねばならないことを説明して丁寧に断った。

 せめてものお礼をしたいと言われ、案内された客間には次々と豪勢な食事が運ばれた。さらに若い娘たちを給仕だと言われ、置いていかれそうになったことにルーニーはほとほと困り果てた。


 仕事が残っているからと繰り返し説得し、ようやく静寂が訪れた。

 窓の外から小さな虫の音が届き、やれやれとため息をつきながらルーニーは文机に向かう。仮面を外し、眉間をつまんで揉み解す姿には疲れが滲み出ていた。

 深々と息が吐き出され、グレイは「お疲れ様です」と声をかけた。


「あぁ、適当に食べてていいぞ。俺は、ナッツがあればいいから」


 そして、一度背伸びをすると「面倒だなぁ」とぽつりこぼす。

 聞きなれた軽い口調に戻った様子に、ほっと息をついたグレイは、ナッツとチーズが盛られた皿を文机に置いた。


「何か、手伝えることはありませんか?」

「ないな……おい、そんな傷ついた顔をするなよ。現場慣れしたら、報告書の代筆を頼みたいとこだが、どう考えても今は無理だろう?」

「……そうですね」

「今お前が出来ることは、初級の魔法を覚えることだ」


 ナッツを一粒つまんだルーニーは、少し残念そうに眉尻を下げるグレイの顔を見て、さてどうしたものかと思った。

 見放された仔犬のような顔をされては、放っておくことも出来ないだろう。

 やれやれと内心思いつつ、酒しか見当たらない卓上にちらりと視線を向けて「それじゃぁ」と、とってつけたような頼みごとをすることにした。


「食い終わってからでいいから、果実水を頼んできてくれ」


 落ち込みを見せていた表情がぱっと明るくなる様子は、まさしく仔犬が尻尾を振るようだ。

 堪らず笑いそうになったルーニーは口元を覆い隠した。


「分かりました。他には?」

「それだけでいい」

「食事も召し上がってください」

「……気が向いたら、食う」


 足の低いテーブルに並ぶ食事は、夕餉にしては量が多い。それらを見て口元を引きつらせたルーニーは、弟子の小さなため息を聞かなかったことにし、ペンを走らせ始めた。


 妖魔の核を確認し破壊したこと、サマラの魔術師と接触があったこと、対象者に経緯を聞く必要があること等を綴り、今後の動向をいくつか提案する。

 最後に娘に付き添う司祭に、彼女を任せるよう言葉を添えた。

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