<17> 相通ずる

 朝日が昇る前に目を覚ましたグレイは、薄暗い部屋を見回す。そして、ルーニーの帰りを待ったまま長椅子で教本を読んでいたことを思い出した。

 どうやら、寝落ちたようだ。

 慌てて体を起こしたが、手をついたのはざらりとした布張りの長椅子ではなく、滑らかな生地の寝具の上だった。薄暗い中でもベッドの天蓋は刺繍の施された上質のものだと分かり、自分が別の部屋に移動していることを理解した。


 部屋を見回せば、大きな窓が目に入った。そこから見えるのは東の方角のようで、うっすらと地平線に近い空が茜色に染まろうとしている。

 それと対する場所に首を巡らせば扉が一つ。その扉からは明かりがうっすらと漏れていた。


 静かに扉を開ければ、旅支度を整えたルーニーが長椅子でくつろいでいた。


「……おはようございます」

「おはよう。先に寝てていいって言っただろ? 長旅なんだから、ベッドで寝れるときはしっかり寝とけよ」


 野宿の時だってあるんだぞと言い、ルーニーは湯気をくゆらせるカップを口に運ぶ。

 昨夜、テーブルに積み上げられていた食事は下げられていた。その代わりに茶のセットとパン、果物、そしてナッツが盛られた皿がそこにある。


「ルーニーさんが、俺を運んでくれたんですか?」

「ん? 他にお前みたいなでかいやつ運べるのはいないだろう」


 齧ったナッツを飲み下したルーニーはそう言い、指で宙を撫でた。すると、グレイの足が床から離れて浮き上がった。

 突然吊り上げられたような浮遊感に、重心をどこに持っていけばよいのかグレイは戸惑った。そのせいで瞬間的に体へ無駄な力を込めたのだろう。体勢が崩れ、後ろに倒れるような錯覚に陥った。

 しかし、グレイの腰が砕けることはなく、浮いた体は得体の知れない引力によって椅子へと移動した。

 まるで見えない紐にくくられ引きずられているような感覚に、昨夜も同じように魔法で移動させられたのだろうと納得した。椅子に腰を沈めると、迷惑をかけたことに対して謝罪の言葉を口にした。


「ご迷惑をおかけしました」

「……まぁ、俺もちょっと無理なこと言ってたなって、反省してる。無理して寝る間も惜しんで教本読んでたんだろ?」


 ルーニーが指さした先には、教本がそっと置かれていた。

 無理をしていた訳ではなかったが、彼が戻るまでと思いながらそれを読んでいたことに違いはなく、グレイは頷くことも出来ずに押し黙った。

 それを肯定と捉えたのだろうか、ルーニーは「悪かったな」とばつの悪い顔で言う。


「ウィリアムのとこに行ってたんだけどさ、五日で読めって話をしたら怒られた。魔法学び始めたばかりの少年少女にも同じことを求めるのか、って」

「……はぁ」

「だから、方針を変えることにした」

「方針?」

「ん。俺さ、もともと机に向かって論議するのとか苦手な口なのよ。師匠もそのタイプだったんだけど」


 何を言いたいのだろうかと首を傾げてると、ルーニーはにっと笑った。


「つまりだ。魔法も体で覚えちまった方が早い」


 論より証拠ってやつだと言ったルーニーは、まずは魔力を体感することを目指すことを新たな目標にすると打ち出した。


「体感するというのは……?」


 今しがた身をもって体験した浮遊感や移動のようなことだろうか。もしや魔法弾を体に叩き込まれるのだろうかと物騒なことを想像したグレイが眉間にしわを寄せていると、ルーニーは面白そうに笑った。


「違う違う」

「はい?」

「お前、今、魔法の攻撃受けるの考えただろ? 剣の稽古じゃないんだから、いくら受けてもあれは魔力を感じることにはならないぞ。まぁ、威力を身をもって体感したいって言うなら、やってやるけど」


 物騒なことをさらりと言うルーニーだったが、そんなことよりも、しっかりと見抜かれたことに顔を赤らめたグレイは小さく唸った。

 自分はどれほど分かりやすい顔をしたのだろうかと首を傾げていると、ルーニーが懐かしむような顔をして「まったく」と呟く。


「……ウィルと同じような顔しやがって」

「父と、ですか?」


 ウィリアムの顔を思い浮かべたグレイは、父はそれほど表情豊かだっただろうかと首を傾げた。

 厳かとまでは言わないまでも、日頃から厳しい表情をしている。だが、時折見せる優しい眼差しが良いのだという話も聞いたことがある。それほどに誰もが憧れて慕う総騎士長だが、それほど分かりやすい表情を見せていた記憶はない。

 それと同じとはどういうことなのだろうか。


 ──そもそも、血の繋がりがないのに似るものなのか。


 理解に苦しんだグレイだったが、そこを追及することも出来ずにルーニーを見るに止まった。すると、彼は口元を手で覆い隠し、何とも言えない困り顔で笑った。そして、小さく「似ているよ」と呟く。


 カップに茶が注ぎ足された。

 温かな茶の香りを楽しむように、ゆっくりとそれを啜ったルーニーは深く息を吐く。そして「新しい方針だけど」と話を切り替えた。


「魔力とは何かを知ることも必要だが、頭で理解するよりも、魔力の流れを感じることから始めよう」

「魔力の、流れ?」

「あぁ。体を常にめぐる魔力を感じることは、とても重要だ」


 読んでいた教本に、魔力は全身を流れていると書かれていたことを思い出したグレイは、自分の掌を見つめた。

 しかし、どれほど集中してみても、その一欠片すら感じることはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る