<14> 賢者の片腕

 突然、薄暗い部屋に光が浮き上がった。

 執務机に向かっていたウィリアムは視線を上げると、手にしていた羽ペンを青銅のペン立てに戻した。


 弾けるように霧散した光の柱から姿を現したルーニーは、ふうっと息を吐くと、挨拶もそこそこに報告書の入った木箱をずいっと差し出す。


「ガートで発生した妖魔の核を処理してきた。詳しく指示も書いておいた。研究機関に回しておいてくれ」

「ガート? その報告は受けていなかったが」


 受け取った箱から取り出した文書に目を通したウィリアムは、眉間にしわを寄せる。


「急を要する申告だったってのもあるけど、旅の途中でグレイにも見せとこうと思って、そっちに回さなかったんだよ」

「あぁ、そういうことか……グレイは、どうであった?」

「まぁ、衝撃は大きかったみたいだけど、思ったより冷静だったし……色々とよく見てるよ」

「そうか。では、何とかなりそうだな」


 安堵するように息をついたウィリアムは、再び報告書に目を落とした。

 その横で、ルーニーは戸棚に歩み寄ると蒸留酒の瓶とグラスを取り出した。勝手知ったる部屋なのだろう。遠慮する様子は微塵もなく長椅子に腰かけた。

 丁寧に磨かれた二つのグラスに琥珀色の酒がとぷんっと落とされた。


 報告書を箱に戻したウィリアムは、手招かれて彼の横に腰を下ろすと、疲れの見えるその顔をじっと見た。

 視線を感じたルーニーは、ちらりと横を見るとため息をつく。


「わざわざジェマの息子を呼ぶとはな。そっとしといてやれば良いのに」

「あなたの片腕になるには申し分ないと思ったのだが」

「……今のままじゃ無理だな。基礎魔法が出来ないどころか、下位古代語も読めないところから育てるのは骨が折れるぞ」


 苦労も分かれと言いたそうに、不満そうに唇を少し突き出したルーニーの子どもっぽい表情に、ウィリアムは顔をほころばせた。

 そこはほのぼのするところじゃないだろう。と、内心呆れながら、ルーニーは酒を口に含む。


「メレディスでは、商会の護衛として育てられたようだ。仕方あるまい」

「それ分かってて預けたのかよ……せめて、下位古代語くらい教えておけよな。全く読めないんだぞ。あんなん三日もあれば読めるだろうに、五日でも無理そうだ」

「……ルーニー、魔法を習おうとする少年少女にも、同じことが言えるのか?」


 少し厳しい眼差しになったウィリアムから視線をそらしたルーニーは「だから育成は苦手なの」とぼやいた。


「……真面目一辺倒って感じだし、雑用係くらいにはなれそうだけど」

「それはそれで、問題ない」

「は? ジェマの息子を雑用係にしろって? それこそ宝の持ち腐れだぞ」

「だから、あなたに預けた。あなたなら、せっかくの宝を腐らせたりはしない」


 うっすらと笑みを見せたウィリアムに反し、ルーニーは顔をしかめた。

 長い付き合いだ。彼の行動の意味は大概分かるし、彼が常に周囲の利を考えて動いていることもよく知っている。だが、どうしてこのタイミングで弟子をとらせたのか、それもジェマ──かつて”賢者”の片腕を期待された魔術師の息子なのか、さっぱり分からなかった。

 そもそも”賢者”の片腕に育てるなら、幼いときから預けた方が良いに決まっている。ウィリアムやジェマがそうであったように。


「なぁ、何が目的だ、ウィル」

「……目的、か」


 掴んだグラスの中、琥珀色の液体を揺らしたウィリアムは、言葉を切って視線を彷徨わせた。


「グレイには、お前が息子にも自分と同じように夢を抱いてほしいんだろうって感じに誤魔化したけど……そうじゃないんだろ?」

「なるほど。そう捉えられても可笑しくない年ではあるな」

「納得してんじゃねぇよ」

「まぁ、当たらずとも遠からずといったところだが」

「はぁ? なんだよそれ。そもそも魔法騎士は──」

「魔法騎士である必要はなかった。いや、そうなれば最善だが」


 ルーニーの言葉を遮ったウィリアムは、いぶかしむ彼をじっと見た。

 瞬きを繰り返す鳶色の瞳が、時おり光の加減で紅く光る。まるで宝石の輝きのように見えるのは、出会った時も今も変わらない。

 愛おしそうにルーニーの頬に触れたウィリアムは黒い瞳を細めた。


「あなたを自由にする。そう決めた。そのためには、あなたに代わる存在を作らなければならない」

「……俺に代わる”賢者”なんて、そう簡単には見つからねぇぞ。ジェマでも無理だったわけだし」

「賢者である必要はない。そもそも、”賢者”というものが本当に必要なのか、私には疑問でしかない。大魔女ミシェルとその先代が、職務に対し熱心だったため、今の形になったのであろうが、そろそろ見直すべきだ」


 七星軍総騎士長であると同時に、魔法にも精通しているウィリアムは国防に係る研究所や特殊部隊との調停役も担っている。だからこそ、そうだと言い切れる節があるのだろう。

 しかし、ルーニーは難色を示して口を引き結んだ。


「そもそも、”賢者”に頼りすぎだ。能力もなく年功序列的に充てられていた時代よりは機能しているが、まだ──」

「……俺に、何もしないでただ生きろって言うのか?」

「そうではない」

「同じことだろう!」


 ガンっとテーブルに叩きつけられたグラスから、琥珀色の液体が飛び散った。

 怒りゆえだろうか。ルーニーの顔が歪み、その奥歯がギリギリと音を立てる。それを見てウィリアムは深く息をついた。彼が怒ることは、その過去を知るウィリアムにとって想像にたやすかった。だが──


「私は、譲るつもりはない。それが出来るところまできたし、そうなるべきだと導いたのは、あなただ」


 淡々と告げるウイリアムに反し、荒々しい感情をあらわにしたルーニーの白い指は、グラスを割らんばかりに握りしめている。


「まずはヤツを討つ。そうすれば、あなたの気もきっと変わる」

「変わらねぇ。俺は……」


 グラスを握りしめて白くなった指に、ウィリアムの指が重なる。そのまま無言でいると、僅かに緩んだ指からグラスが取り上げられた。

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