<5> 導く光
開かれた鳶色の瞳には、確固たる決意の光が灯っていた。
「お前の腹に核を埋めたのは黒い仮面の男であろう?」
その静かな問いに娘は眉を寄せて唇を嚙んだ。
「それは長い時を生きるサマラの魔術師だ。生まれた魔人を必ず奪いに来るが、お前を迎えには来ない。こうして私と話しているのも、どこかで高みの見物をしているかもしれないな。いつ手駒を戻すか、それしか考えていないだろう」
そこに情愛などはない。
全ては仕組まれたことだと淡々と説き伏せるルーニーに、娘はゆっくりと頭を振った。認めたくないだろうことは明白だ。
「お願いです。お助けください」
「残念だが、お前一人を国を挙げて守ることは出来ない」
震える指でルーニーの外套の裾を握りしめた娘は、その膝にしがみつく様に縋った。
崩れるようにして膝に縋りついてすすり泣く娘に、胸が痛まないわけではなかった。だが、彼女のような例は他にもある。中には核の定着が完了してから発見されることもあり、ルーニーはその辛い末路を何度も見てきたのだ。何度と、全てを救えたらと思ったことか。それが出来ない己の無力さを嘆いてきたか。
娘に伸ばした指を一度握りこんだルーニーは、毎度のことながら損な役回りだと心の中で呟くと、その小さな背中をゆっくりと撫でた。
「慰めにもならないだろうが……その核はまだお前の体に定着していない。生体ですらない異物だと思うんだ。今、核を砕くことは赤子を堕胎するのとは話が違う」
娘の肩が強張るのが触れていた指から伝わった。
「サマラの魔術師にどのような睦言を言われたかは知らないが、全てはまやかしだ。あれはお前が出会うべき伴侶ではない」
上げられた顔がくしゃりとなり、涙が零れ落ちる。
「もう、分かっているだろう? あれは、お前の弱い部分に入り込んだまやかしだ。お前の望むものは与えられない」
ゆっくりと体を起こし、ぺったりとした腹を撫でさすった娘は「罪にはなりませんか?」と小さく呟いた。それを耳にしたルーニーは嗚呼と理解した。
彼女はずいぶんと信心深いディエリエール神の信者なのだろう。
場所によっては、ディエリエール神は子宝の神であり、堕胎を罪とする教えを信じている者さえいると聞く。
神を恨みこそすれ信じたことのないルーニーにとって理解のできないことだが、彼女は今、神への背徳と戦っているのだ。
「……この子を殺めるのは罪になりませんか? 一時の快楽とまやかしに溺れた私を、女神さまはお許しくださるでしょうか?」
「その核はまだ生体ですらないと言っただろう? 堕胎ではない。それでも許しを望むなら」
顔を上げ、鉄格子の向こうに立つ司祭を見る。
悲痛そうな顔で立つ司祭はきつく拳を握ると、表情を引き締めて頷く。
「私ではなく、司祭に祈らせればよい」
鉄格子の向こうに縋るような視線を動かした娘は司祭を探す。そして、ぼんやりとした光の中にその姿をとらえると、覚束ない足取りで鉄格子に縋りついた。
司祭は静かに頷くと「共に祈りましょう」と告げる。
暗い地下に、張り詰めた空気を裂くような、娘の号泣する声が響いた。
「今一度、名を聞こう」
娘の背後に立ったルーニーは仰ぎ見る彼女に笑みを見せた。仮面に隠されていても、娘を救おうとする彼の優しさが確かに伝わった。彼女はもう抗うことなく「カトレア」と名乗った。
「今から体内の核を砕く」
ルーニーの宣言に娘カトレアの体が強張った。
ゆっくりと振り返り、カトレアは震えながら下腹部に手をそっと寄せる。
「数日は体内の残留魔力で熱に浮かされるだろうが、砕いた核が再度癒着することはない。苦難を越えれば再び日常を取り戻せるだろう」
震えの止まらない彼女に優しく微笑んだルーニーは、涙で汚れた頬を拭った。
「カトレア、暗がりに何日も閉ざされ辛かったな。だが、悪夢は必ず終わる目が覚めた時、目の前に広がる光景をしっかりと覚えるんだ。それが、お前を愛する者たち。きっと共に歩んでくれるだろう」
その言葉にカトレアが頷くと、ルーニーは胸の前で掌を合わせ、すっと瞳を閉じた。
「黄昏よりも昏き闇の力。深淵に眠る朱き力。汝を求めしものの名は絶望なり」
ゆっくりと開かれた掌の間に灯った朱い輝きは、次第に輝きを増して白んでゆく。
眩い魔力の輝きに驚き、口を開いたカトレアはそこに救いを求めるように、小さな感嘆の声をこぼすと「お救いください。ディエリエール様」と祈りを口にした。
白い光となった魔力の塊がルーニーの左手に浮かんだ。それを目の当たりにし、司祭もグレイも息を呑む。
あまりにも眩い光は、まるで小さな太陽のようで狭い地下の隅々まで照らし尽くした。
「汝を阻む魔障を砕き、迷いし者を導く礎となれ」
カトレアの下腹部に左手を当てたルーニーは「少し我慢な」と彼女の耳元で囁くと、それをぐっと押し込めた。
眩い光が消え、一瞬目の前を暗闇に覆われたカトレアは、体の中を巡った熱い奔流に気づく。
まるで松明の炎が、いや、太陽の熱が体内を喰いつくそうとしているようだった。
「ひぃ、いっ、や、あ……ああぁあああっ!」
喉をのけぞらせ、声を荒げたカトレアの腕がルーニーをつき飛ばし鉄格子に激しくぶつかる。
細い腕を掴んだルーニーは、その背後から彼女を抱え込むと「耐えるんだ!」と声を張り上げた。
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