<4> 悲劇を繰り返さないために

 見下ろせば、動揺を隠せない娘は忙しなく目を泳がせている。


「お前のその状態は、体に入れられた核が魔力を吸い上げ、体に定着しようとして起きる飢餓状態だ。想像を絶する空腹感だろう。食事からとる魔力量など高が知れているからな」


 彼女はルーニーの言葉を必死に理解しようとしているのだろう。だが、警戒心を解く様子はない。


 ──完全に、ヤツに飲まれてはいないのか。


 それならばと、ルーニーは話を続けた。


「よく耐えていると思うよ。それを乗り切れば、核はお前の腹に定着して新たな生命体となる。産み落とされるまで共存し、お前とその周りの魔力を少しずつ吸い上げ成長する」


 少しずつ間を詰め、ルーニーは娘を壁際に追い詰める。

 尻もちをつくようにして壁に背をつけた娘は、前にゆるりと腰を下ろしたルーニーから視線をそらした。伸ばされた手を払い除け、それでも近づく指から逃れようと体を丸めて蹲る。

 その姿は、まるで腹を守ろうとしているように見えた。


 そっと震える肩に触れたルーニーは「次第に腹が膨れるだろう」と告げた。


「だが、生まれるのは間違いなく人ならざるものだ。そしてその命は、サマラの手駒となるしか生きる道はない……なぜだか、分かるか?」


 淡々とした言葉に、娘はただただ首を横に振った。

 分からないのか分かりたくないのか。彼の言葉を受け入れる様子は微塵も感じられない。


「生まれてすぐ、その命は狩られるからだ」

「……狩られる?」


 堪らず顔を上げた娘は困惑に眉を歪めた。


「生まれたばかりは人の子の姿をしているだろうが、サマラによって作られたものに違いない。いずれ我らに仇なす存在だ」

「この子は、人の子です。私が、私がちゃんと育てます!」


 だから許してと懇願する娘の双眸に涙が浮かんだ。

 可笑しさが込み上げ、ルーニーは堪らず口元を手で覆い隠した。意識しなければ気が緩み、笑い声をこぼしてしまいそうだった。

 緊迫した空気に似合わない笑みを一瞬だけ見たグレイは、不思議そうに眉をひそめた。


 ルーニーは深く息を吐くと、娘から手を離した。


「……昔、お前と同じようなことを言った娘を知っている。その情熱に絆された騎士と共に、娘は産んだ魔人を育てようとした」


 突然のことに、娘は口を開いたまま話を聞き入った。そこに、救いの道があるのではないかと考えていたのかもしれない。

 哀れみだろうか。ルーニーは悲しげに目を細めて娘を見て話を続けた。


「周りの反対を押し切ってまで出産した赤子の見た目は、人の子と特に変わらなかった。ただ違う点は異常な食欲と成長の遅さだったが、牙をむくような獣ではなかったため、時が経つにつれて周囲の者もその赤子が魔人であることを忘れていった」


 鳶色の瞳が一度閉ざされ、短い息が吐かれた後、再び開かれた。

 仮面の下であっても、とても真剣で厳しい光を湛えた眼差しが娘の狼狽える表情を捉える。


「警戒していた魔術師や司祭も杞憂だったかと思ったほど平穏が続いた」


 平穏という言葉に希望を見出した娘の目が大きく見開かれ、かさついた唇がうっすらと開かれて笑みを浮かべた。


「だが、ある日悲劇が起きた」


 期待を裏切る言葉に娘だけでなく、鉄格子の向こうにいる二人の男の顔が強張った。


「その赤子が言葉を発するようになった頃だ。サマラに浚われた。気が触れた娘は生涯幽閉されることになった。時が経ち、周囲の者たちがその赤子のことを忘れたころ……成長したその子は、娘が幽閉されていた町を襲った」


 淡々と語られる事実は、魔獣の脅威すら知らない若者には想像も難しいのだろう。

 いくら事実だと言っても聞き入れようとしない娘は「サマラが悪いのです!」と金切り声を上げる。しかし、冷静なままのルーニーはまだ先があると言うように頭を振った。


「年老いた娘はその妖魔が己の子だと察したんだよ。短い間だったとしても、我が子を愛した母の愛がそうさせたのか、何者かの導きがあったのか、真実は分からないが……」


 悲痛そうに瞳を細めたルーニーは僅かな息を吐くと──


「老いた娘は幽閉先を飛び出し、妖魔にあっけなく殺された」


 淡々と告げられた言葉に、嗚咽を漏らして泣き出した娘は腹を抱えて蹲る。その様子を見守る司祭は奥歯を噛み締めていた。


「サマラに、奪われなければ……サマラにいいように育てられなければ!」

「そうかもしれない。だが、そんな事件が立て続けに起きれば、国は保護を約束などできなくなる。妖魔や魔獣と異なり、見た目は人と変わらない。それがどれほどの脅威か、想像できるか?」


 潜伏しているだろう魔人がガーランドに何体存在しているかすら把握できていない。

 未だに浚われた子ども達が見つからないわけは何なのか。魔人として成長しているなら、いつ牙をむき、ガーランド中で火の手が上がるのか。

 早急に、保護から排除へ方向転換したとは言え、後手に回ったことは否めなかった。


 当時、人道的にどうなのだと話が上がらなかった訳ではない。それでも、国は少数ではなく多数を選んだ。残念なことに、それが当事者たちの幸せかどうかは問題ではなかったのだ。


 ふと、謝罪の言葉を繰り返す大魔女の姿を思い出したルーニーは瞳を伏せた。

 多くの魔術師が、この命を狩る所業に心を痛めてきた。非道になり切れずに記憶の消去を願い出て去る者もいた。

 その者達を責めることもなく、大魔女は、そしてルーニーは魔人の排除を進めてきた。

 すべての根源を討つその日のために。

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