<3> 宿主

 叫びながら娘は鉄格子から手を伸ばし、司祭に掴みかかろうとする。だがその指は一寸ばかり届かず、汚れた指先が空を握った。


「落ち着いてください」

「ここから出してください!」


 状況が読み込めないグレイはルーニーを振り返ると、仮面の下の鳶色の瞳が辛そうに細められるのを見た。


「まだ、核は定着していないのだな?」

「はい。腹部の紋様はうっすらと浮かんではいますが、この五日でその色に変化はありません」

「食欲低下は?」

「ありません。むしろ食欲は増しております」

「魔力不足による衰弱か。サマラの魔術師との接触は途絶えているようだな」


 二人の会話を後ろで聞いていたグレイは、ちらりと娘を見た。

 子を産むにはまだあどけなさが残る少女だ。その体に、得体の知れないものを埋め込んだ者がいると思うと、言いようのない怒りが腹の奥で湧き上がった。


「彼女は、自ら望んでサマラの魔術師と通じたようです」


 司祭の言葉に耳を疑ったグレイは小声で「まさか」と呟いた。そして、町長の言葉を思い出す。

 それが聞き間違いでなかったとすれば、彼女は五日前までは一般的な生活をしていたことになる。町長の娘であるのだから、それこそ裕福な環境であっただろう。そのような娘が、どうして破壊を望むような者と通じ合い、その闇に加担することを選んだのか。

 薄汚れた装いがより痛々しく映った。


「再度問うが、異変に気付いたのは、五日前で間違いないな?」

「はい。彼女の腹部に浮き出た紋様に気づいた小間使いから報告された夫人が、何か悪いことの前触れではないかと泣きながら訴えに来たことで発覚しました」

「確実に五日以上経過しているということか……核の自然消滅は望めないな」

「やはり、そうですか……」

「相性が悪ければ十日経っても紋様は浮き出ないが、紋様が浮き上がり始めているのは、術式が発動している証といえる」


 とは言え、五日前と比べて目立った変化がないのであれば、術の発動に何か障害が起きていることもが予測できる。あるいは、娘が拒んでいることも考えられるが、高等魔術師でもない限りその術式を紐解くことは難しいので、彼女の意思で止めているとは考えにくい。


 ──どのみち、時間の問題か。


 娘を観察しつつ、ルーニーは息をつく。


「町長夫妻にはなんと?」

「呪いの一種で、彼女に呪いをかけたのはサマラの者であり、この町が狙われている恐れがあると。最善の手を尽くすが、全ての事柄は神の導きであると伝え、こちらで預かりました」


 司祭の話を聞きながら「呪い、か。違いない」とぽつり呟いたルーニーは一度頷くとグレイを見た。


「これが、サマラにつけ入れられ、核を埋められた人の姿だ。覚えておけよ」


 睫毛を震わせて俯いた司祭の横、ルーニーは「彼女は危険な状態だ」と話を続けた。


「術式が完全に発動すれば、残された道は出産のみ。人の子とは異なり、いつ生まれるかも分からん。堕胎も叶わなければ、身の安全も保障できない」

「その核を今なら取り除けるということですか?」


 グレイの疑問にルーニーが頷くと、司祭は蒼い顔をして「賢者様」と言葉を挟んだ。


「彼女は元の生活に戻れるのでしょうか?」

「……それは、本人次第だな」


 手にしていた細身の杖をグレイに預けたルーニーは司祭に歩み寄る。そして、自分塗装背丈の変わらない彼の瞳を真っすぐ見た。


「私に出来ることは、核を除去することだ」


 娘が鉄格子を揺すっていた音が静まり、司祭は横に視線を流す。彼女は随分と焦燥しているのだろう、荒い息を繰り返すと膝を折りその場に蹲った。


「鍵を」

「ここから出すのですか? 今外に出すのは──」

「私が中に入るだけだ」


 元より意見は求めていない。暗にそう言いたいのだろう、ルーニーの言葉は冷ややかだ。

 僅かに震える声で「畏まりました」と返し、表情を強張らせた司祭は鍵束を出すと小さな入り口を開錠した。

 身を屈めて中に入ったルーニーが後ろ手に鉄格子を閉ざすと鍵は独りでに回り、その束は司祭の足元に落ちる。


「これで問題ないだろう?」


 そう言うと、蹲る娘の傍に腰を下ろし「名は?」と尋ねた。その瞬間、娘は勢いよくルーニーに飛び掛かり、その肩口に嚙り付いた。


 突然のことに、危うく彼の名を叫びそうになったグレイは喉を引きつらせて声を押しとどめた。

 横の司祭もまた驚きに喉を引きつらせたが、ルーニーは顔色一つ変えずに娘の汚れた髪をそっと撫で、腕の中に飛び込んできた形となった彼女の細い体を抱きとめた。そして、静かに告げる。


「狙いが浅い。本当に食いちぎる気なら、ここだ」


 娘の白い喉元を示した爪で、そっと柔肌を撫ぜると、彼女は弾かれるようにルーニーの腕から逃れた。

 恐怖と困惑、負の感情に彼女の表情が険しくなる。


「私を人質にとって外に出ようと思ったか? 残念だが、お前の力ではどうにもならないよ」


 裾の汚れを払いながら立ち、ゆっくりと近づく。


 鉄格子に区切られた狭い空間は、人が数人横たわれば足の踏み場もなくなる狭さだ。いくら警戒して距離を保とうとも限界があるが、それでも娘はじりじりと後ずさる。

 やれやれと呟いたルーニーは、頑なに口を閉ざす娘を見下ろした。


 年のころは十六、七といったところ。数日閉ざされている間に幾度と暴れたのだろう。爪が割れ、指先が擦り切れて痛々しいことになっている。


 彼女は自ら望んでサマラの魔術師と通じたと司祭が言っていたが、恐らくそれは真実ではない。どうして、ごく普通の生活を送ってきた者が、己の身すらどうなるか分からない魔人の子を産もうなどと望もうか。


 ──ヤツが好みそうな初心な子なのだろう。


 腹の子を産まなければならないと思い込まされた。そんなところだろうと、数秒、思考を巡らせたルーニーは彼女に「どうしたい?」と尋ねた。

 娘の小さな体が小刻みに震え、青い瞳が見開かれた。

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