2 賢者の仕事

<1> 宿場町ガート

 ”賢者”の屋敷を出て半日が過ぎたころ、小高い丘に出ると、遠目に町が伺えた。

 馬の足を止めたルーニーは、懐から仮面を取り出した。それは、彼の瞳よりもさらに赤い縁取りと、呪術的な紋様が刻まれた面で、顔の上半分を覆うものだった。

 仮面をつけ、表情が読み取りにくくなった彼から、穏やかな雰囲気が消えた。


「ルーニーさん、あの、その仮面は?」

「仕事上、若すぎると信用されないんでね」


 仕事とは何かと問わずとも、”賢者”として町に立ち寄る必要があるとすぐに察しがつき、グレイは納得して頷いた。


「これから、妖魔の核を抱えた被害者の保護に向かう」


 突然のことに、グレイは言葉をなくした。

 妖魔の核とはなにか。そう問う代わりに眉間にしわを寄せて息を呑むと、ルーニーは小さく息を吐いたのちに尋ねた。


「妖魔は分かるな?」

「……はい。サマラに封印された悪しきものだと、幼少の折に習いました」

「さすがにその程度か。まぁ、間違いではないが、それだと合格点はやれないな。昨夜の話を覚えているか?」


 静かに馬の歩みを再開させたルーニーに並び、グレイは首を傾げた。

 昨夜と言えば、魔術師とは何ぞや魔法騎士とはといった話をした。それから──


「魔法の分類と発展、それと、魔法の付与に関する……サマラの妖魔」

「そうだ。核とは、その妖魔に連なるものだ」


 ハッキリと告げられたグレイは背筋を強張らせ、無意識に手綱を強く引いた。

 グレイが不意に立ち止まったことに気づいたルーニーは馬の歩みを止めて振り返る。そこにあったのは明らかに緊張した顔だった。

 昨日まで城塞に詰めて王都の警邏と鍛錬に勤しんでいただろう新米騎士が、存在そのものが厄災である妖魔を話に持ち出されたのだ。緊張するなという方が無理な話だろう。


「……妖魔と戦うのですか?」

「いや、そうじゃない。そもそも妖魔とは何か。これは魔術師の中でも意見が割れている。神代アイオローグに封印されたものだと考える者がいる一方、魔獣の亜種だという者もいる。そして、魔法によって生み出された悪しきものだという考えもある」

「ルーニーさんは、魔法によって生み出されたとお考えですね。では、その妖魔の核というのは、妖魔を生み出すもの……?」

「察しのいい奴は嫌いじゃないぞ」


 にっと笑ったルーニーは、グレイの引き締まった腕を叩くと、再び馬の歩みを再開させて話を続けた。


「サマラに封じられた妖魔はアイオローグの遺産であるって考えは、俺も否定できない。長年国が動いて警戒しているのも事実だ。だがこの核はおおよそ八十年前、英雄により一体の妖魔が再び封印された後に確認された、新たな脅威だ」

「妖魔とは異なる脅威……」


 生まれてから十八年。妖魔どころか脅威となる害獣や魔獣が町を襲った話をほぼ聞いたことのないグレイは首を傾げた。


「妖魔と似て非なるもの……俺たち魔術師は、それを魔人と呼んでいる」

「……魔人?」


 初めて耳にするその言葉を反芻し、うすら寒いものを感じたグレイは背筋を震わせ、その先の説明を待った。しかし、ルーニーは街道の前方を見て「人が増えてきたな」と呟いた。

 さすがに、人の往来する場でする話ではないことは、グレイも察しがつき閉口する。


「話はまた後でにしよう。目的地はもうすぐだ」


 街道をしばらく行けば大きな宿場町ガートがある。

 ひとまずそこが今日の目的地だということを告げられ、グレイは黙って頷いた。

 魔人とは何なのか。妖魔と戦うことになるのか。そもそも妖魔と人が戦えるものなのか。疑問は山のようにあったが、手綱を握りしめたグレイはまっすぐ前を見た。


「心配するな。お前は俺の傍にいさえすればいい」

「分かりました」

「あー、それと、これをつけてる間は俺のこと”師匠”とでも呼んでくれ。名前を明かすのは、何かと厄介なんでな」


 指さされた仮面が日差しを浴びて光った。

 口元だけ露になっているその下で、薄い唇が弧を描く。その笑みに感情は見えず、彼が”賢者”へと切り替わたったのだと感じた。


「グレイ?」

「……分かりました、師匠」


 今朝に見た爽やか笑顔を仮面に重ねながら、グレイはやっとの思いで言葉を発すると、薄い唇かわ再び弧を描いた。




 さらに一走りすると、黄昏時には宿場町ガートにたどり着いた。

 王都フランディヴィル以外にも各地に大都市が存在する。そういった大都市には騎士が詰める城塞も備わっているが、一般的な都市は奥にある首長の館や神殿が有事の際に非戦闘員となる庶民の避難先や砦の役割を果たすようになっている。当然のごとく、それ相応の大きさだ。


 ガートは宿場町として盛んであり、城壁と変わらない堅牢な壁と塔に囲われている比較的大きな都市だ。そして例にもれず、ガートの町長の屋敷も堅牢なもので奥に位置し、連れられてきたグレイですら、そこが目的地だとすぐに分かるものだった。

 出迎えたのは町長と若い司祭だった。


「賢者様、お待ちしておりました」

「すまないが急な案件が入った。長居は出来ない。すぐにでも片付かないようであれば、王都の者に引き継がせる」


 二人を屋敷に招き入れようとした町長は、残念そうな、それでいてどこか安堵したような複雑な表情を一瞬だけ見せると、司祭と視線を合わせて頷きあった。


「ご案内いたします」


 黄昏時ということもあり、目抜き通りは冒険者や行商人で賑わっていることだろう。それを避けるように、司祭は町外れに向かった。


「王都にご連絡したのは五日前でしたので、これほど早くおいで頂けるとは思いませんでした」

「丁度、経由地だったからな。それより確認したいのだが、宿主の発見は五日前で間違いないな?」


 司祭の先導で進みながら確認を促すルーニーの声に剣呑としたものを感じ、グレイは息をのんだ。


「はい。発見後すぐに報告の早馬を出しました」

「その間、術者の再来はないのだな?」

「接触はありません」


 間をおいて、ぽつり「五日か」と呟いたルーニーは、仮面の下ですっと目を細めた。そして、たどり着いた屋敷を見上げると「今、宿主はどうしている?」と尋ねた。

 その問いに町長は答えることが出来ず、司祭を仰ぎ見る。


「地下の部屋にて保護し、門戸全てに神聖魔法の錠をかけています」

「神聖魔法……」


 術者がヤツなら神聖魔法など笑って破ってしまうだろう。そんなことを考えながらルーニーは細く長い息を吐く。


 コンッと杖の先が地面を鳴らす。

 奥歯を噛み締めたルーニーは、ガート一帯を飲み込むほどのを放った。

 薄く緩やかな波は彼を中心にして広がっていき、それに触れた司祭は背筋を強張らせてたが、町長とグレイは何一つ反応を示さない。


 ──この司祭、のようだな。


 魔力の波が触れたすべてのものが、脳内で色の塊と認識される。大小さまざまな塊をざっと把握したルーニーは、屋敷の奥深くで脈打つ赤黒いものに意識を向けた。それが保護対象であることは明白だった。


 ──宿主の傍に、ヤツはいない。


 確信して波を引き戻したルーニーは、司祭に「案内してもらおう」と告げた。

 ごくりと息を呑んだ司祭は頷くと、屋敷の門扉を開錠した。


 鉄製の門扉には葡萄の蔦と房、そして蛇が絡んだレリーフが施されていた。豊穣の女神ディエリエールの象徴であるそれらを確認したグレイは、この建物が神殿に代わる施設なのだと察し、その様相を仰ぎ見た。

 宿場町の神殿は、その様式とは異なる施設も少なくない。建設費の問題や町の景観など理由は様々だが、この町にあるものも一見すると裕福な貴族の別宅のようであった。


 高い塀に囲まれた屋敷はしんと静まり返っている。

 横を見れば、ルーニーが厳しい眼差しを建物に向けていた。


「師匠、何か気になることが?」

「……いや、今はない」


 今はない。その言葉に引っ掛かりを覚えつつ、グレイは後に続いた。

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