<13> 年齢不詳なのは見た目だけじゃなく
早速と開いた本は古びた表紙に違わず、その中も陽にあせていた。ところどころ丁寧な文字で書き込みがあることだけでなく、汚れや陽焼け具合を見ても、この本が何度も読まれたのだと分かった。
下位古代語はエルフ語の語源だといわれる。
そのエルフ語を日常会話程度であれば話すことも出来るグレイは、丁寧な注釈に助けられ、少しずつであれば読み進むことも出来そうだと感じた。
だが、それはほんの序盤のことで、ひと時も経たずに躓くことになる。
共通語とは文法からして異なっているのだから、ほいほい読み進められるものでもない。
──断片的な単語から意味を拾うのでは限界があるな。
そもそも、グレイが知るエルフ語は日常会話程度。学術的な単語が日常会話に出てくることなどないのだから、読むに困るのは当然のことだろう。
活字を読むのは嫌いではなかったが、それはガーランドの共通語に限ってのことなのだと、グレイは痛感した。
「ルーニーさん、分からないとこが」
そう言って顔をあげるが早いか、ドタッと音が響くのが早かったか。見れば、ルーニーが床に転げ落ちていた。
傍により、その肩を揺するも彼が返事をすることはなく、規則正しい寝息が届いてきた。落ちて強かに体を打っただろうに、目を覚ます様子はない。
──起きそうにないな。一体、この人は何日寝ていなかったのか。
起こすのを諦め、ため息をつく。
数時間前の書庫での初対面を思い出した。そして、再び静かに眠る様子を見る。
その姿はまるで子どものようで、口元にはクッキーの粉をつけ、白い手に食べかけのクッキーを握ったままだ。
書庫でも口周りの粉をぬぐわれていた様子がふと思い出され、堪らず声を出して笑いそうになった。
──嗚呼、マークに似ているんだ。
フォークとスプーンを持ちながら寝てしまった甥のマークを思い出し、眠る彼の姿にその様子を重ねた。
得体が知れないと思えた魔術師だったが、同じ人であることに変わりはないようだ。自分は何をそんなに緊張していたのかと、安堵とも呆れとも思える感情に、グレイは小さく息をつく。
戦争という言葉にぞっとしたが、恐らく、ジェラルディンの内乱かエルフの森の諍いだろう。それらは、小さいものであればよく起きている。
戦争と表現されるものはそう多くないが、近年、平穏だと言われるのはグレンウェルドやメレディスくらいなもので、ガーランド西部の小国や部族の間では今でも諍いが絶えない。
さすがに、自分の倍以上の年齢というのは、未だ納得していないが、得体が知れないと思ったのは、出逢ったばかりなのだから致し方なかったのだ。
握られるクッキーをそっと取り上げて紙袋の上に置く。
「失礼します」
生真面目にも、眠る本人に断りをいれてその体を持ち上げたグレイだったが、あまりの軽さに驚いて腕の中の綺麗な顔を二度、三度見た。
。
頭一個分の身長差があるとは言え、引き締まった筋肉をしている。何よりも男である。それなりの重量を覚悟して持ち上げたというのに、その重みはまるで姉のようだった。
──いや、姉さんより軽い気が……
グレイは数年前のことをふと思い出した。
着飾って向かった舞踏会から機嫌を損ねて帰ってきた姉の振る舞いに、侍女たちがほとほと困り果てて助けを求めてきたのだ。
その時、駄々をこねてお姫様抱っこをせがまれ、馬車から自室まで運んだ。今より力がなかったからか、ドレスの重みや装飾品の重みのせいだったのか、かなりの重量感だった。
顔は悪くないのに激しく我儘だった姉も、昨年やっと輿入れをした。今は、嫁ぎ先でも我が儘三昧なのだろうか。そんなことまで思い出し、少しの懐かしさに口元を緩めると、ルーニーを部屋の寝台に運んだ。
──この人もある意味我が儘だな。
寝台に下ろされ、身じろぐ様子に可笑しさが込み上げる。もしかすると自分は、我が儘な人を引き寄せる星のもとに生まれたのだろうか、と。
再び椅子に腰を下ろそうとして、はたと気付いた。
明日、旅に出ることは理解していたが、今夜はどこで寝れば良いのか。無論、床でも寝れるが、勝手に横になるのも気が引ける。何より──
「風呂掃除……」
ペナルティと言われたことを、グレイは律儀にも思い出していた。
勝手に屋敷を歩き回るわけにもいかないだろうし、魔術師の屋敷なら、やたらに入らないほうが懸命な部屋もあるだろうことは、容易に想像できた。
本を片手に寝台を振り返る。
「……起きたら、聞くか」
それ以外に手もなく、腰を下ろしたグレイは本の一ページ目から再び読み直すことにした。
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