<11> 肉体派魔術師

 それから行き着いたのは、屋敷と塔を繋ぐ渡り廊下だった。


「そうだ。堅苦しいの禁止な? 様付けは、なし!」

「しかし、ルーニー様は、私の師になるので」

「駄目だ」

「し、しかし、ルーニー様」

「はい、ペナルティ。風呂掃除」


 むすっとしたルーニーは、困惑しているグレイが「ご命令であれば」と返すと、やれやれとため息をついた。


「じゃ、様を付けない、てのが命令な」

「そ、そんな……」

「堅苦しいの嫌いなんでね」


 まるで師匠らしくなく屈託ない笑顔を見せたルーニーは、渡り廊下の先、屋敷の中でもひときわ大きな塔に足を向けた。

 塔の入り口にたどり着き、扉を開けるとさらに奥の階段を上がっていく。


「明日、屋敷を出てドラゴンウィングを目指す。ちょっと寄り道しながら行くけど、遅くても、ひと月後にはあっちで内情の探りを入れたい」


 ひと月、旅をしながら魔法の基礎は覚えてもらうつもりだと話しつつ、階段をあがった先の扉を押し開けると、暖かな陽の光が視界に広がった。

 そこは自室のようだ。

 大きな書棚に文机、衣装棚の他にも、人を迎える為だろうかテーブルやクッションの積まれたカウチもある。奥には天蓋付きのベッドが置かれ、壁にはカンテラが下がっているだけでなく、古い絵画や花も飾られていた。


 風が吹き込み、カーテンが音を立てて揺れた。


 どうしたら良いのか分からないグレイは立ち尽くし、ルーニーに視線を向けた。彼は書棚の前で顎に手を添えながら何かを探している。その後ろ姿を見ながら、再び考えた。


 ──”賢者”とは何か。この人は何者なのか。


 袖なしのシャツから覗く二の腕はすらりと伸びていて、贅肉一つない。それどころかぴったりとしたレザーパンツに覆われた長い脚も、無駄のない筋肉だと見て分かる。魔術師とは思えない引き締まったものだ。決して騎士や戦士のような厚い筋肉ではないが、使われている筋肉だと分かる。さらに、左の肩に古い刀傷が残っているのを見ると、戦歴があることも想像できた。

 偏見だろうが、肉体派とでも言うか、筋肉質な魔術師がいるとは考えもしなかった。


 じっとしていると、ルーニーの肩が揺れた。笑っているようだ。


「俺の後ろ姿、面白いか?」


 刺さるような視線を感じたのだろう。しかし、そう尋ねながらも彼が振り返ることはなく、白い指が左肩をとんとんっと差した。これが気になるのかと尋ねるように。


「これは昔、戦争でヘマしてね」

「戦争?」

「そ、随分前だけど」


 古びた本の背表紙に気づいたルーニーは、それを引き出してタイトルを確認すると「これこれ」と呟いた。

 戦争の一言に、グレイは背筋に冷たいものが落ちるのを感じた。なぜか先程目にした英雄の絵画が脳裏を過る。


「あの……ルーニー、さん、は……おいくつで?」

「ん? いくつに見える?」


 質問に質問で返されたことに困ったグレイは、口籠りながら「三十?」と返すと、振り返ったルーニーは可笑しそうに笑った。


「そんな若く見える? やー、オジサン嬉しくなっちゃうな」

「えっと……」

「とりあえず、お前の倍は生きてるよ」


 にやにやと笑ったルーニーはカウチに腰を下ろすと、自分の向いを示して座るよう促した。

 倍というのは純粋に二倍ということだろうか。そうなれば少なくとも三十六は過ぎていることになる。しかし、それだと三十という返しをあれほど笑われるのは疑問が残った。


 グレイが今まで出会ってきた年上の男の多くは、特に三十路を境にして、若く見られることを不愉快そうにしていた。

 若いというのは誉め言葉ではなく、むしろ子ども扱いに近いのだそうだ。力量もその程度だと推し量られたと感じるのがそのくらいの年らしい。しかし、一定の年齢を超える肯定的になり、と捉えて嬉しくなるものが増える。

 そんなことを、上官への言葉遣いや接し方で気を付けた方がいいと蘊蓄を披露してくれた同年代の騎士から聞かされたことがグレイの記憶に残っていた。


 ひとまず、機嫌を損ねていないということは、その一定の年齢というものをルーニーは超えていることになる。では三倍ということか。そう考えると、どうも無理があるように思えた。

 ますます分からなくなり、グレイは首を傾げる。


「そんなことより、これやるから。下位古代語は読めるか?」

「……ほぼ読めません」


 示された布張り椅子に腰を下ろしたグレイは、脇に外套を置くと渡された本のタイトルを目で追った。そこには、古代魔法基礎ロー・エンシェント・ソーサリーと綴られていた。


「まぁ、ところどころ注釈書き込んであるし、何とかなると思うんだよね。分からないとこはその都度聞いてくれたらいいし」


 靴を脱ぎ捨て、カウチの上で胡座をかいたルーニーは背伸びをすると「魔法ってのは、学問だ」と語りだした。


「学問?」

「戦士や騎士は様々な武器を扱う。精霊使いは精霊を呼ぶ。司祭は神の力を下ろす。これは全て素質がなきゃ出来ない。まぁ、戦士や騎士に至っては、誰だって修練を詰めば武器を扱えるようになるが、素質がなきゃ、待つのは死だ。敵は宣言して現れたりしないだろ? そして、いつ、ここが戦場になるかも分からない」


 いつ死と隣り合わせになるか分からない。戦いの前線で体を張るという事は、つまり、その覚悟が求められるということだ。生半可な心意気では出来ない。逃げ出せば、後ろにいる守るべきものは全て死ぬのだから。

 精霊使いは素質がなければ精霊の声を聞くことが出来ない。司祭は信仰心がなければ神の力を授かることが出来ない。これらは明らかに素質が求められるものだ。


 比較的平和が続いている今の時代で、戦場という言葉がしっくりこないグレイであったが、以前、ウィリアムが「騎士の心構えとは」と似たようなことを話していたことを思い出した。


 いかに剣の扱いを学び鍛錬を積んでも、戦いの場でその足が動かなければ、手が固まってしまえば、そこで命は尽きる。恐れない心、冷静でいられる頭、生への執着心、それら強い心が我らに求められる素質と言えるだろう。

 どこか懐かしむような目をして「まぁ、これは我が師の受け売りだが」と苦笑っていた顔が、とても印象的だった。


 もしや、ルーニーの師と同じなのだろうか。そう考えれば、二人の年の差を除いても、気心が知れた仲で信頼し合う様子には合点がいく。と、そこまで考えたグレイは、ルーニーの師とは大魔女ミシェルだったとはたと気づいて再び難しい顔をした。


「グレイ、話聞いてるか?」


 ルーニーの静かな声が、グレイを現実に引き戻した。


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