<10> 七星軍

 長い廊下を歩きながら、ルーニーは昔話を続けた。


「ウィルが二十二になった時だったかな。七星軍への配属が打診された」

「それは、スペンサー家の教育係の方からも聞きました。若くから騎士として望まれていたと解釈していたのですが、魔法騎士として有能だったんですね」

「いや、そうじゃない。確かに、ウィルは申し分のない魔法騎士だが、そこに肩書は存在しないんだ」


 魔法騎士は存在するが、その地位も一般的認識も魔法が使える騎士でしかない。一介の騎士より有能なであることで、かえって、他の騎士から危険視された歴史があり、魔獣の減少に伴って魔法の使用も大きく制限されるようになった。そのため、魔法騎士を志望する者は激減していた。

 そのような状況の中、ウィリアムは自分の道をそこに見出したのだが。


「ウィルは、騎士として七星軍に求められたんだ」


 魔法騎士であることは知られず、若くして七星軍に配属が決まったのだ。それは栄えあることであり、先代スペンサー卿の望む道筋通りでともいえるだろう。


 グレイは胸の奥のわだかまりが蠢くのを感じた。

 父が自ら進んだつもりの道は、傍から見れば、結局、親の敷いた道のままではないか。それでも、選ぶことに意味があったというのか。


「だけどあいつは……七星軍に入ることをなかなか承諾しなくてな。俺とロイで再三説得したんだ」

「ロイ?」


 七星軍に入らないという選択肢があったことに驚きが隠せなかったが、突然出てきた名にも聞き覚えがなく、首を傾げる。そう言った名前の親族がいると聞いた覚えはなかった。であれば、同年代の騎士や魔術師の誰かなのだろうか。


「あー、先代ルロイマック王のことだ」

「はぁ……え、はいっ!?」


 さらりと返ってきた言葉に驚き声が裏返ったグレイは、目の前で飄々とするルーニーに顔を引きつらせ、言葉を探した。

 いくら出自がメレディスだといっても、グレイですらその名を知っている。


 先代グレンウェルド国王ルロイマック。彼は歴代王の中でも特に武芸に秀でており、若い頃は自ら騎士団を率いて地方遠征に赴くことが多かった。当時、蛮族──今でも、人族に害をなす種族はそう呼ばれることがある──と呼ばれていたオルクス族と和解を取り付け、ついには国交を結ぶようになったのは、ルロイマック王の功績の一つだ。おかげでメレディス国も貿易先が広がることになり、エルフ族ほどではないがオルクス族を見かけることも、この十数年でずいぶんと増えていた。


「ロイは、ウィルの兄弟子みたいなもんでな。と言っても、少し年が離れていたから、共に学んだでいた期間はずいぶん短いが……ロイにとっても可愛い弟の一人みたいなもんでさ」

「ルロイマック陛下が兄弟子……あ、あの、状況が理解できません」

「まぁ、そのへんの相関図は、追々話してやるよ。そんなややこしい話じゃないぞ」


 けろっとしているルーニーに反し、すっかり混乱している様子のグレイは、こっちと促され、言われるままに廊下を曲がった。


「七星軍に配属され、さらにベルタローゼを娶り、数年後には子も成した。傍からは順風満帆にしか見えなかっただろう」

「そうですね。誰が見ても絵に描いたような華々しい人生です」


 グレイの頷きに少し悲しそうに笑ったルーニーは一度息を深く吸うと、虚弱なベルタローゼが若くして他界し、さらにジェラルディンの内乱に巻き込まれた兄ウルリッヒも急逝したことで、運命が変わったのだと話を続けた。


「ベルタローゼは子を成せる体じゃなかったんだが、彼女がそれを強く望んでな……ウルリッヒは、皇太子の護衛としてスケイルを訪れた時に騒動に巻き込まれ、その時に負った傷が原因だった」


 ウィリアムの居城でもある西の城塞には、歴代七星軍総騎士長の肖像画が並んでいる。グレイは越してきたばかりの時に、教育係からその肖像画を前にして英雄と称えられるウルリッヒの話も聞いていた。

 また、亡きベルタローゼとの子は先だって婚姻を結びドラゴンアイへと越したイザベルただ一人であり、長兄ギルバートはウルリッヒから譲り受けた子であるといった話も、その時に伝えられていた。


「十年なんてあっという間だ」

「……父からは何も聞いていませんでした」

「だろうな。基本的に自分のことは話さないだろ?」

「そうですね……」

「本当は、俺の口じゃなくウィルが自分で話しておくべきなんだろうけど」


 だけど、知っておいてほしいから。と小さく言ったルーニーは目じりにしわを寄せた。

 教育係からギルバートが養子であることを、さらりと聞いたときは、公爵家内の派閥問題を起こさないための何か密約があったのだろうと勝手に想像していたグレイであったが、それだけでは言い尽くせない思いがウィリアムにはあるように思えた。

 そう思えたのも、ルーニーがあまりにも辛く悲しそうな顔をして笑ったからだ。


 ──まるで自分のことのように、この方は悲しんでいる。


 胸の奥が苦しくなり、グレイはマントで隠れる拳をきつく握りしめ、それに耐えるよう息を呑んだ。


「ベルタローゼが他界して間もなく兄を失い、不幸が続いたスペンサー家が失意の底に落ちなかったのは、ウィルがいたからだ」

「父上がいたから……」

「年は十五離れてたけど、よく似た兄弟だったからな。その武芸も誠実さも。容姿はウルリッヒの方が華やかだったかな」


 ルロイマック王は、ウィリアムだけでなくウルリッヒもまた大いに信頼していた。それもあって、ウィリアムへの周囲からの信頼はさらに厚くなり、また彼自身の誠実さゆえに兄と同様に多くから慕われていた。

 誰もが、兄の後を継ぐことを望んだのだ。悲しみに暮れる者らは、ウィリアムに亡き英雄ウルリッヒの面影を重ねていたのかもしれない。


「あの時は、かなり大変だったんだよなぁ」

「大変、とは?」

「魔法騎士は、騎士長にはなれない規則だったからな。しかも、ウルリッヒは総騎士長だった」

「……どういうことでしょうか?」

「魔法騎士は強い。だけど、それは対妖魔の力だ。いざという時、王や国民を守るのではなく、妖魔を討つために命を懸ける……てのは建前で、力が強大すぎる騎士が全軍の指揮権を持つんだ。陰謀を企てるような奴が出たら、危険だろう?」


 それが騎士長になれないとする所以とされる。

 しかし、かれこれ八十年、目立った大型の妖魔の復活はない。その脅威どころか魔法騎士の力を知るものが少ない現体制では、古参の者がいくらウィリアムの就任に反対しようとも、英雄を求める多くは聞く耳を持たなかった。


「まぁ、七星軍は魔術師を毛嫌いする他国と渡り合うには不可欠だし、そこをまとめる騎士は、当時ウィル以外に妥当そうなのもいなかったから、スペンサー卿と俺で説得したんだ。ウルリッヒの子達が育つまででいいからって」

「父は、それで騎士長に……」

「そういうこと。本音は今でもここに帰ってきたいんだろうよ」

「……ここ? 賢者の屋敷、ですか?」

「そう、ここ。まぁ、そろそろウルリッヒの子ども達も実力が備わってきたから、後を継がせる準備はしてそうだけど」


 再び立ち止まったルーニーは、そこに飾られる絵画を見上げた。

 そこには、妖魔を打ち倒す英雄が描かれたものが絢爛豪華な額縁に収められ、飾られている。紅い大地に倒れる妖魔と雲の切れ間から差し込む光。英雄の勝利を描いたものだろうそれは、どこか仄暗いものがにじみ出ているようだった。

 釣られるように絵画を見ていたグレイはしばらくすると、黙ってしまったルーニーをちらりと見た。


「八十年……英雄はもういない」


 ぽつりこぼされた言葉は、絵画の題材でもある妖魔の封印を指しているのだろうか。


 グレイは、子どもの頃に聞かされた英雄譚を思い出した。

 八十年前、妖魔の復活を目論んだ男がいた。その男が封印を解こうとしたことで、グレンウェルドとメレディスが戦火に飲まれた。エルフの森の一部が消失し、今では英雄と語られる冒険者たちによって、蘇った妖魔は再び封印された。しかしその被害は甚大で、多くの冒険者が命を落としたと伝えられている。

 子ども向けの冒険譚としても有名な話だ。今もなお、その冒険譚を題材に輝かしい絵画を描く芸術家も多い。


 この壁に飾られた絵画の英雄達の足元は、見ようによっては、死体の影に見えた。


「……ルーニー、様?」


 細められる鳶色の瞳に憎しみだろうか、それとも怒りだろうか、冷たい光が揺らめいたのを見逃さなかったグレイは、背筋を強ばらせた。しかし、それは一瞬のことで、ルーニーはすぐに温和な笑みをたたえて「ウィルはさ」と話を続けた。


「彼らのように、生きたいんだと」


 物心ついたときから、英雄譚を読み、魔法騎士の心得を学び、ひたすら剣と魔法を磨いたウィリアムは、魔法がなくても十二分に強い豪胆な騎士へと成長した。さらに魔法の習得も早く、歴代の魔法騎士随一の腕前と魔術師の間では称賛された。亡きスペンサー卿やウルリッヒも認めるほどに。


「父は、いつ現れるか分からない敵のため己を律してきたということですか? 今、この国を守っていることこそが偉大な功績だと思うのですが……」


 どうにも荒唐無稽な話に思えた。

 そもそも魔法騎士がどれほどの数いるのだろうか。この屋敷にはそれらしい存在はいない。その少数精鋭が、グレンウェルドの軍勢よりも、ジェラルディンの竜騎士よりも力があるというのだろうか。

 その功績を捨ててでも、戻りたいものなのだろうか。


「そうだな。教本通りの騎士に育てば、ウィルも人生に不満なんて感じなかっただろうけどな。そう、不満なんだよ……」

「不満?」

「あいつ、結構頑固なのよ。言い出したことは貫くだろうな。まぁ、何を考えてるかは本人に聞くしかないけど……」


 にっと笑ったルーニーはグレイを見上げる。


「息子に自分の夢を託したいんじゃないの? 最近のウィルはすぐ、自分は老けたって言うからな。あんな筋肉質な初老はいないってのにさ。気持ちばかり老け込みやがって」


 笑ったルーニーは、目を瞬かせているグレイに「少しは安心したか?」と優しく尋ねた。

 安心したのかは怪しかった。夢を託すということも、不満を抱く意味も全く理解が出来ないでいたが、グレイは少し視線を彷徨わせたのち、照れくさそうに頷いた。

 今ここにいるのには、きっと訳がある。そう思えるだけでも、嬉しかった。


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