<9> ウィリアム・スペンサー

 馬に跨ったウィリアムが振り返りもしないで立ち去ると、屋敷の扉は閉ざされた。細かなレリーフで飾られる厚い扉が立てた音は、なおさら重くエントランスに響き渡った。


「不満か?」


 横から声がかけられ、グレイは現実に引き戻された。振り返ると、温和な笑顔を湛えるルーニーがいた。

 その問いかけにどう答えて良いのか分からず、押し黙っていると、彼は責めるわけでもなく、ただ静かに「当然だよな」と言った。


「騎士になったかと思ったら、魔法学んでこいとか、無茶苦茶だよな」

「いえ、そのようなことは」


 図星であったが、それを肯定するわけにもいかずにグレイは首を横に振る。しかし、まるで全て見透かしてるような目をするルーニーは「でも、安心しろ」と言い切った。


「ウィルは、無意味なことはしない。お前が養子にもらわれたのも、俺の弟子になったのも、あいつが最善と考えた末だ」


 螺旋階段を上がりながら話すルーニーは、一番付き合いの長い俺が言うんだから間違いないと笑い、少し思案すると「少し昔話をしようか」と言って、歩く速度を落とした。


 ウィリアムが国王直属の騎士団、その中でも大軍の指揮権を持つ七星軍に配属が決まったのは二十五年ほど前のことだったと思う。そう前置きをして、ルーニーは語りだした。


 ウィリアムには十五離れた兄ウルリッヒがいた。他にも姉が二人と弟が一人いる。さらに複数の側妻にも年の近い子どもが何名か誕生した。兄弟仲は悪くなく、領地でも子宝に恵まれたスペンサー家は安泰だと、領民たちの間でもっぱらの噂だった。

 特にウルリッヒは体躯にも頭脳にも恵まれ、さらには美しい母によく似た美丈夫であったため、常に羨望の眼差しの中にいた。その恵まれた全てのものに驕ることもない誠実さは申し分なく、周りから慕われる姿は兄弟達も誇りに思っていた。

 当然のごとく、ウィリアムも幼き時より、兄を支えることがスペンサーの次男として教育を受け、何一つ疑問に思わず成長した。


「あいつ、名誉ある七星軍の配属を断ろうととしたんだ」


 突然の言葉に驚きを隠せないグレイに「びっくりだろ?」と苦笑を見せ、ガラス張りの廊下の前で足を止めたルーニーは外に視線を向けた。


「まぁ、入らないって選択肢は、スペンサー家の男としてなかったんだけどな」


 窓の外、中庭のガゼボに絡まる蔦が紅葉を始めている。次第に染まり、ひと月もしないで真っ赤になるだろう。


 ──赤は好きじゃないな。


 ぼんやりとそんなことを思いつつ、ルーニーは話を続けた。


「スペンサー家ってのは、古くから有能な騎士を輩出する家なんだ」


 ウィリアムの父である先代スペンサー卿も、若い時は七星軍にいた。現在、当主代理を行っている先代と年の離れた弟も、彼らの祖父も、曾祖父も、先祖代々武芸を磨いてきた家柄だ。そうして長い時をかけてスペンサー家はグレンウェルド国でも指折りの侯爵家となった。

 ウルリッヒもいつかは家業を継ぐ必要がある。その為、兄の補佐として弟達も七星軍に入ることを望まれて育った。


「侯爵家に生まれた以上、家のため、土地のため、国のための駒になるのが定めだ。だけど、あいつには夢があった」

「……夢」


 その言葉を反芻したグレイは、壮年期を過ぎても衰えを見せないウィリアムの姿を思い出した。


「あいつは小さい頃に魔術師に命を助けられていてな。国を守れる騎士になるため育った少年には、その魔術師の姿は衝撃だったんだろう。何せ、魔法ではなく剣で魔獣を切り捨てたんだからな」

「魔術師が、剣で?」

「意外か? だけど、可能だ。まぁ、剣技だけでの勝負じゃ騎士には敵わないけどな」

「……その方は魔法騎士、だったのですか?」

「いや、魔術師だ。魔法騎士の育成側だな。とは言え、騎士を目指していた少年には衝撃が大きすぎた。そして、魔法騎士という道を知り、憧れを抱いたんだ。スペンサー卿にその夢を打ち明けたのは、よほどの勇気だったろうな。騎士の家系で魔法を習いたいって言いだすんだから」


 騎士の道から逃げるつもりかと罵声を浴びるのも覚悟だったと、酒の肴に話されたことを思い出しながら、ルーニーは懐かしさに口元を緩めた。

 逃げ出すどころか、騎士になる道から逃げないために魔法も手に入れようとして我を通そうとしたのだから、当時、父が「こいつは化けるぞ」と大笑いして喜んだ気持ちも分かる。後にそう語ったウィリアムは曖昧に笑っていた。彼なりに、父を理解していたのだろう。

 その先代スペンサー卿も数年前に他界したのだが。


「怒るどころか大喜びしたスペンサー卿は、古くから付き合いのあるジェラルディンのマザー家にウィリアムを預けたんだ」

「マザー家?」


 先ほどの二人の会話にもその家名が出てきたことを思い出したグレイは疑問に思う。魔術に長けているのはグレンウェルド国だ。話を聞いた限りでは、魔法騎士もこの国にしか存在していない。であれば、国内に適した名家がありそうなものだ。

 その疑問を見越しているのか、ルーニーはにっと口角を上げる。


「俺の師匠、大魔女ミシェルの生家だ」


 誇らしげに告げたルーニーは目を細めると、ただただ驚いてばかりのグレイが言葉も発せずにいるのも気にしない様子で、再び歩き始めた。


「まぁ、先生が魔法騎士の育成に携わってたのは若い頃の話で、晩年は弟子をとっていなかったけどな。マザー家に預けたのは、先生との縁を期待したのもあるだろうけど」

「ですが、他国に我が子を預けると言うのは……」

「マザー家は竜騎士を抱える侯爵家だ。どこよりも安全だろう。当時、ジェラルディン内での内紛もあったが、それは主にスケイルとウィングでの争いだったし。あそこは昔っから仲悪くてな……まぁ、その探りをするのにも、息子を入り込ませたってとこだろうけど」


 国で力を持つ侯爵家ともなれば、安穏と過ごせるものではない。時には我が子を駒に使う。それが誉だと小さいうちから教育をし、我が子に疑問など抱かせない。少なくともスペンサー家ではそれが当たり前だった。

 子どもの夢すら使うのかと考えると、何とも不愉快なものを感じ、グレイは苦虫を嚙み潰したように顔を歪めた。しかしそれは、自身が育ったメレディスでも同じことであり、自身の状況と重なるものがあった。


「スペンサー卿とすれば、ウィルが魔法騎士になれれば手駒がさらに増えるわけだ。願ってもない話だったろうよ」

「……父は、それを知っていたのでしょうか」

「分かっていただろう。幼い頃から、兄を支えるための教育を受けていたんだからな。だけど、魔法騎士の道を絶たれなかったことが、何よりも嬉しかったんだと」


 駒であっても、少ない道を選ぶ機会はある。そこを言われたまま進むのと、自分で掴むのでは大きく異なるものだ。

 そう、しみじみと語っていたことを思い出し、ルーニーは懐かしさに頬を緩めた。


「ただ、マザー家での生活はそう長くはなかった。大魔女が他界して、ウィルはグレンウェルドに戻った……ま、スペンサー家にじゃなくて、ここにだけどな」

「この屋敷、ですか? とすると、父の師匠は……”賢者”?」

「そういうことだ。で、ウィルは師匠とともに生活をし、そして十五の時に騎士の称号を得た。魔法騎士になるためには、まず騎士である必要があるからな」


 面倒なことにそう言った制約がいるんだよな。そうため息をつきながら髪をかき乱すルーニーは「国ってのは厄介だよ」と、また返答に困ることを口走り、グレイの反応を試すように見つめた。

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