<8> 父と息子
現状の確認事項をする合わせる二人の会話に割って入ることも出来ず、グレイはウィリアムの座るソファーの後ろで長いこと直立不動でいた。
二人の交わされる情報は一介の騎士が聴くにはあまりにも規模が大きく、またグレンウェルド国に越してきて間もないグレイには理解が出来ない内容も多かった。そもそも、この国で生まれたから理解できたかと言われれば、眉を顰めただろう。
一段落が付いたのか、耳を塞ぎたい気持ちで立ち尽くしていたグレイに、ルーニーが突然視線を向けた。
鳶色の瞳がぱちぱちと瞬かれたが、グレイは何かと問うことも出来ず、その視線に耐えた。
「で、グレイを連れていけってことね。半年で育つかは分かんねぇぞ? 素質の問題もある」
「分かっている。だが、この状況だ。いずれ、あなたの片腕が必要になるだろう」
「……そうだけどね。はぁ……俺、育成苦手なの知ってるくせにさぁ」
「だが、こちらで用意した魔術師ではあなたの片腕にはなれない」
突然、名を挙げられたグレイの黒目が見開かれた。
──今、この人は連れて行くと言った。どこに、何のために。そもそも片腕とはどういうことだ。雑用係や護衛ならまだしも、魔術師の片腕は魔術師ではないのか。
理解が及ばず、グレイは直立不動のまま、干上がった喉に唾液を流し込んだ。そして、向かいに座るルーニーと視線が合うと、自分が何か得体の知れない波に飲み込まれるようとしているのだと、察した。
「どこの出自?」
硬直して返答が追いつかないでいると、ウィリアムが代わりに「ジェマの息子だ」と返した。そのことでルーニーの視線は逸れ、まるで金縛りが解けたようにグレイは肩を揺らして息を吐いた。
そんな様子を気にも留めず、ルーニーは嬉しそうに口元を緩めた。
「へー、それはそれは。あれ? でも、ジェマってメレディスの商家に嫁いだんじゃなかった?」
小首を傾げたルーニーは「いいの?」と尋ねる。
「私の息子として、引き取ったのだから問題はない」
「あー、なるほどね……それで、急いで騎士の称号をとらせたわけね」
「あなたに預けるための手続きも済ませてある」
「もう? ちょっと早くない?」
「ゆくゆくはと考えていたからな。各書類は揃えていた」
「抜け目ないなぁ……」
「そう教わったからな」
「そうでした」
二人にしか理解できない会話が繰り返される。あまりにも親密で、そこに年の差があるとは思えないほどだ。
結局、会話に全くついていけないままのグレイは、自分のことだと言うのに蚊帳の外のままで立ち尽くすしかなかった。
突如、ウィリアムは立ち上がるとグレイに向き直った。
「グレイ。お前には、本日付で城塞勤めの任を解き、魔法騎士の修練に勤しむよう命じる」
「……魔法、騎士?」
その言葉を反芻したグレイだったが、すんなり理解するまでには至らず、眉間にさらなる深いしわが刻まれることになった。
──そもそも、魔法騎士とは。
初めて聞く言葉は、城塞勤めの任が解かれた衝撃を払拭するほどの困惑を与えた。
向き合って黙ってしまった二人の様子を見ていたルーニーが、気付かれないほど小さなため息をつく。
「メレディスじゃ聞いたことが無い単語だろうな……ウィル、ここに来る前に話しておけよ」
「だから、あなたに預けるのは、まだ早いと思っていたのだ」
だが状況が変わったのだと、困り顔で笑ったウィリアムは未だ硬直しているグレイに「急なこととは思うが」と話を続けた。
「グレンウェルドには魔法が使える騎士がいる。彼らは、国内の魔術師の下、一定期間修練を積み、認められた後に秘術を習得する。素質があれば数日で身につけるかもしれないが、何年もかかるのが常だ」
「数日って、それはガキの頃から学んだ魔術師上がりの場合だろうが」
掻い摘んで説明するにも程度ってものがあるだろう。そう言いたそうにルーニーは呆れ顔でゆらりと立ち上がった。そしてグレイに歩み寄ると手を差し伸べる。
差し出された白い手に視線を落としたグレイは押し黙った。
「まぁ、三ヶ月はみっちり基礎かな」
「……はい」
差し出された手を見つめ、その手を掴む以外に選択肢はないのだと分かった。
なぜ自分が選ばれたのか。どうして前もって話をしてくれなかったのか。自分に選択権はないのか。疑問が心に渦巻いたが、どれ一つ声にすることが出来ず、グレイはちらりとウィリアムを見るに留まった。この複雑な思いに気づいてほしいと、願うように。
手が握られたことを目にしたウィリアムは安堵の息をつく。
「期待しているぞ、グレイ」
ルーニーの真後ろに立って期待の眼差しを向けるウィリアムと視線が合い、そう声をかけられたことに、さらに言葉を失ったグレイは、ただただ短く「はい」と返すしかなかった。
突然の指令に戸惑いを隠せないままに再び押し黙り、城塞を出る前を思い出した。馬にくくられた荷物は、まるで旅にでも出るようなものだった。
──あれは、こういうことか。
おそらく荷物には、ルーニーと共に旅に出るに必要なものがそろえられている。正装ではなく軽装での供を言われたのも、そういうことだったのだ。
いつだって、突然として物事が動き出す。その違和感に胃が重苦しくなった。
一年前、グレンウェルド総騎士長の養子になるよう言い渡された。次男であったこともあり家を継ぐ予定はなかった。このまま有力な商家の娘と結婚してそこそこの地位に上り、可もなく不可もなく程々の人生を歩むのだろうと思っていたのだから、養子縁組の話はまさに青天の霹靂。
商家と言っても、メレディスでの権力図は他国と違い、商家の規模がそのまま政治においての発言力になる。グレイの母の嫁ぎ先であるデール家は、五大公──メレディスの政治を担う五つの大きな貿易商会の一つであるメルバ家の縁戚にあたり、グレンウェルド国で言えば公爵家に相当する。デール家が他国の有力者との繋がればメルバ家の繁栄を意味し、しいては国の力にもなる。
権力や政治に疎かったグレイも、この養子縁組は政略的なものだと、すぐに察した。それは商家の次男として誇るべきことなのだと。
グレンウェルドの地を踏んだ時には、グレイが商人の息子であることは周知の事実だった。金で伸し上がったと陰口を叩く者もいた。理不尽な言われようもした。それでも耐えたのは、若いなりに培ってきた誇り故だった。
「ルーニー、息子をよろしく頼む」
ウィリアムの声に、グレイはハッとして俯きかけていた顔を上げた。
視界に入ったのは頭を深く下げたウィリアムの姿だった。
彼は、なかなか頭を上げようとしない。それは、誰よりも自分が無理なことを頼んでいると分かっているからか、あるいは、グレイを一つの大きな波に巻き込むことになることへ抱く、一抹の不安を隠すためか。
伏せた顔からその真意は読み取れず、ルーニーは髪を掻き乱して「まったくな」と呟く。
「相変わらず人使い荒いよな」
「すまない。だが、今の私では──」
「分かってるって」
ウィリアムの言葉を遮ったルーニーは「俺とウィルの仲だろ?」と軽く言い、彼の肩を叩いた。そして、上げられた顔を見つめて華やいだ笑顔を見せた。
その笑顔をウィリアムがどこか辛そうに見ているようであったが、見つめあう二人の雰囲気は旧知の仲に違わないだろう。そこに、グレイが口を挟むすきはない。
拳を握ったグレイは唇を噛む。
今回の急なことも、期待されてのことだ。自分でなくてはならない理由が、きっとあったのだ。そう言い聞かせないと、まるでたらい回しのような状況に、誇りは砕け散りそうであった。
二人が同時にグレイを振り返る。
「時間が惜しいので、そろそろ失礼する。グレイ、しっかりやるんだぞ」
「はい……父上」
騎士長と呼ぶべきだったか。そう思いながらグレイはあえてウィリアムを父と呼んだ。いまだ違和感はあった。だが状況を理解できないままであっても、己が今ここにいるのは、一介の騎士ではなくウィリアム・スペンサーの息子としてなのだということは、理解できていた。
切れ長の目を見開いたウィリアムは、どこか嬉しそうに口元を緩める
「珍しいこともあるものだな」
グレイの頭に思わず手を伸ばしたウィリアムだったが、その手が彼の髪を撫でることはなく静かに彼の肩を叩くにとどまった。
そんな二人の様子に、ルーニーが「何が珍しいんだ?」と尋ねるも、彼は曖昧に笑って答えることはせず外套を手にした。
「なぁ、ウィル。お前って、変わらないよな」
「そうか?」
「うん。良くないと思うぞ。もうちょっと素直になればいいのに」
「……努力はしているが、その素直とやらに応えてもらえない時は、なかなか辛いものだ」
「なにそれ。そんな難しく考えることか?」
「あなたの言う素直とは、少し考え方が違うのかもしれない」
苦笑を見せたウィリアムに並んで歩き出したルーニーは少し呆れたように顔をしかめ、やれやれとため息をつく。
とりとめのない会話をしながらエントランスに向かう二人の後をついていくグレイだったが、そんな会話は届いていなかった。
突然のことに脳内整理をすることに必死だった。
聞いたこともない魔法騎士になれと言われ、騎士として恥じぬようにと日々鍛錬を積んでいたグレイにとっては、城塞を追われたようなものだ。騎士としては使えないと告げられたと、卑屈に捉えても仕方がないくらいの急展開だ。
何せ、魔法騎士などという言葉は聞いたこともない。海のものとも山のものともつかないものに、どう希望を見出せと言うのか。
期待されているのか、邪魔に思われているのか。この不愉快なものは、答えがないものへの不満。グレイは単純に不満を抱いているのだが、いかんせん真面目な彼は、悶々と考えることから抜け出せないでいた。
騎士となってから三ヶ月。親子以前に対人関係を築くにはあまりにも短く、疑心暗鬼になるなと言うのも、無理な話なのだろう。
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