<7> 賢者と総騎士長
沈黙を破ったのは、ルーニーだった。
「最終的にはドラゴンウィングに行けばいいのか? それとも、スケイル?」
「……尋ねるが、どこまで、知っている?」
上げられた黒目は真っすぐにルーニーの瞳を捉えている。それに動じることなく、彼は「俺の予想だと」と前置きをして親指と人差し指を立てた。
「ウィルがここに来る理由は、大きく分けて二つ。そのどちらかだ」
「二つ……」
「一つはこの異常気象と魔獣の周期に関係し、何かしら調査班、あるいは特殊部隊に動きがあっての今後の相談的なもの。そして、もう一つは俺の協力者から報告を受けているジェラルディン絡みの厄介な火種」
言い返す言葉もなくウィリアムが深々と息を吐きだすと、それを目にしたルーニーは落ち着いた様子でカップの茶を啜った。
「ウィルから届く、内容のない手紙なんて厄介ごと以外の何物でもないからな」
早馬で届けた書状には、ジェラルディンの内情や相談事があるなど欠片も書かれていない。彼がそこに綴った内容は「庭の蔦が色づき始めたが息災だろうか」といった差し障りのないものだった。
国の伝令が情報を漏らすのは大罪だが、その大罪を犯しても一握りの金のために情報を手に入れようとする者もいる。そのため、差し障りのない事を書き綴ったものを届けることこそが、二人の間では訪問を意味している。
つまり、ルーニーにはジェラルディンから届いた書状の件は一切伝わっていないことになる。
同席するグレイも裏の事情など知らされていないため、二人の会話がさっぱり理解できていないのだが、深く腰掛けて茶を啜るルーニーは全てを見透かしているように見えた。
「ただの手紙を出しにくいことを言わないで欲しいものだ」
「そんなもん書く暇ないだろう?」
はんっと鼻で笑ったルーニーは、ウィリアムがわずかに微笑むと話を続けた。
「今回、最も被害の大きいヒエラス山に直に行ってきたが、魔獣の痕跡は確認できてなかった。他の地方に駐在させてる魔術師からも、大きな変化の報告は受けていない。それらを考慮したら」
大きく二つと言いながらも、彼の答えは初めから決まっていた。
ウィリアムは薄く唇を開き、今日で何度目か分からないため息をこぼした。国としては予想外の事態だというのに、おそらく彼は詳細を聞いても「そんなことだろうと思った」と笑い飛ばすだろうことが想像できたからだ。
武骨な手が頭を抱えるようにこめかみを揉み解す。
「今、俺が向かうべきはジェラルディンだ」
「……まったく、あなたと言う人は」
「勘はいい方なもんでね」
しかしその笑顔もすぐに消え、カップを受け皿に戻した彼は「それと」と話を続けた。
「ドラゴンスケイルでの失踪者が増えているって話を聞いた。サマラに行く必要があるかもしれないな。まぁ、今年はドラゴンアイで十数年ぶりの竜騎士が現れたって話も入ってるし、ひとまず半年は軍を衝突させるようなことはないと思う」
淡々と告げるルーニーに、ウィリアムは唸るように「たった半年か」と呟く。
「半年あれば軍の編成には事足りるだろ?」
「それは十分だが……できれば衝突そのものを回避したい」
「まぁな。いくら竜騎士は一騎ですら十分に牽制になるとは言え、宣誓の儀式で一部手薄になるのが予想される。そこを補充できるうちの騎士達を借り受けたいって、ドラゴンアイのマザー家からの要請もあっただろ? そこに充てる騎士をどうするかで、状況も変わるだろうよ」
二人の会話に、グレイは自分がとんでもなく重要な会話に立ち会っていることを、嫌でも察した。
いくらドラゴンアイがグレンウェルド国と古くから友好国とは言え、連合国外に騎士団の借り受けを要請するというのは聞いたことのない話だ。外に借りを作ってまで武力増強を行わないとならない理由があるということか。
城を出る前、軽く「ついてこい」と言われ、ほいほい来るものではなかった。そう再認識しながら、嫉妬の目を向けた諸先輩方の顔を思い浮かべる。どうしたら、この会話に一介の新米騎士が割り込めるというのか。出来ることなら代わって欲しいとさえ思う。
再び会話が途切れると、ルーニーはカップを手にした。
「ま、楽観的に見たら、一年は何とかなるかもな?」
「楽観視はいらんよ」
額を抑えたままのウィリアムは深く息を吐くと、静かに「陛下は、まだお若い」と呟く。そのたった一言が、部屋の空気をさらに重くした。事の次第を把握していないグレイにさえ、さらなる緊迫が届くほどに。
ルーニーの茶を啜る音がやけに大きく響き、間をおいた後に彼の声が空気を震わせた。
「この程度、乗り越えられなきゃ、国王なんて続かねぇよ」
さらりと出た言葉に、グレイはぞっとした。
彼の言葉は、場が場なら国王を非難したと侮辱罪を問われてもおかしくない。国によっては、拷問どころではないだろう。それを事も無げに彼は言い放ったのだ。
突然の発言に狼狽えたグレイに反し、規律に厳しいウィリアムは一切の動揺を見せていない。それは彼が単に不敬なのではなく、その言葉を発するに値する人物だということを示している。
ウィリアムは心底、面倒そうに深い溜息をつく。
「ルーニー……言葉を選んでくれ。グレイが困っている」
「ん? あー、なに、ウィル、俺のことちゃんと話してないとか?」
きょとんとしたルーニーは、冷汗を流すグレイを仰ぎ見た。
「時間がなかった。賢者であるとしか伝えていない」
「え、マジ? なに、俺から説明しろってこと?」
色素の薄い唇が不満そうに突き出されると、ルーニーは余計に幼く見えた。それを宥めるようにウィリアムは「すまない」と言って笑う。
面倒じゃん。しかもこれから旅に出るとか、イジメでしょ。俺イジメて楽しいのかよ。いっつもそれだ。そりゃ、俺は頼まれた仕事をこなすよ。だけどさ──と、辛うじて届くような小さな声でぶつぶつ文句を言い出したルーニーは、深く項垂れると赤毛をかき乱した。
どうやら、話しにくい事情があるようだ。そう察したものの、このような態度を取られては、自分から訊くに訊けないではないか。そう思いながら、グレイは奥歯をぐっと噛み締めた。いい加減、蚊帳の外の状況に苛立ちを感じ始めた。
「今回は本当に予想外だ」
「お前ら平和ボケしすぎだから。ヤツがこのまま大人しい訳ないだろう?」
「そうだな。分かっていたつもりだったが……すまないな」
額から外した手できつく拳を握ったウィリアムは、苦々しく顔をしかめると、頭を深く下げる。その様子に、ルーニーは「言い過ぎた」とポツリ呟く。
「……先代の容態も思わしくない。出来れば、未然に防いで欲しい」
「そうか、ロイが……」
ルーニーは小皿に乗ったナッツを口に放り込むと、それを噛み砕きながらしばらく思案した。そして、ティーカップの底に残る僅かな紅茶を飲み干すと、ウィリアムの後ろで起立するグレイに視線を移す。
静かな声が「最善は尽くすが、約束はできない」と告げた。
ウィリアムは顔を上げると辛そうに笑う。
「分かっている」
「最悪のケースを前提に動いてくれ」
「あぁ。こちらもすぐに軍を動かせるように体制を整える」
再び軍と聞き、グレイは僅かに目を見開き視線を動かした。
国によっては地方を預かる貴族間で争いが生じて衝突をすることも間々ある。だが、その場合に動く規模は師団程度だ。軍が動いたことなど、グレイが生きている限り聞いたことはない。
ウィリアムの顔は真剣そのもので、ルーニーを真っすぐに見ている。
「ま、せいぜい師団程度で事足りるよう努力はするよ。出来る限りマザー家も動かす」
「ルーニー……いつもすまないな」
一度開いた口を閉ざしたルーニーは、視線を泳がせたかと思うと「ま、仕方ない」とぽつり零した。
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