<6> 謁見ではなく

***


 にっと笑ったルーニーはゆらりと立ち上がって背伸びをする。その様子を見上げたウィリアムは、困った人だと言うように苦笑を浮かべて立ち上がった。


 二人が並ぶと、その背丈は頭一つ以上の差があると分かった。

 長身のウィリアムと並ぶとよけい小柄に見えるが華奢と言うわけでもなく、程よい背丈というやつだ。世の女性であれば横に並ぶと何かと丁度いい背格好だろう。

 肩口でバッサリと切られている赤毛は、丁寧に切りそろえられている訳ではなく、邪魔だから削いだといった風だ。顔はとても奇麗なのだから、その髪も手入れをすれば世間が放ってはおかないだろう。と、グレイがそこまで思い至れたかは怪しいが、想像に反した奇麗な男を前に、彼は呆然としていた。


「今日訪れることは、早馬で知らせたと思うが?」

「悪い、ウィル。分かっていたんだけど、調べ物から手が離せなくってさ」


 全く悪びれる様子がないルーニーは、そこで懐かしいものを見つけて気が付いたら寝てたとあっけらかんと話すと、古びた栞を取り出した。

 栞を手にしたウィリアムの切れ長の瞳が僅かに開かれ、小さく「仕方のない人だ」とため息にもとれる声がこぼれた。その声は限りなく優しく、規律に厳しいで有名な七星軍の総騎士長からは想像のできない慈しみを含んでいた。


 懐かしむ二人の傍ら、呆然とするグレイは混乱の中から抜け出せずにいた。


 ──賢者、なのか? だけど、若い。


 親子と言っても可笑しくない年の差ではなかろうか。硬直したまま眺めていると、不意に振り返ったルーニーと視線が合った。そこで初めて、彼に見とれていたことにグレイは気づき、慌てて剣の柄から手を放すと居住まいを正して頭を下げる。

 頭を上げるタイミングを推し量っていると、ウィリアムが「ルーニー」と少し厳しい声で彼を呼んだ。それにつられるように顔を上げれば、彼はすでに背を向けていた。

 先ほどまでの穏やかな眼差しを消したウィリアムが、厳しい視線を向けている。


「きちんと寝室で寝てもらいたいと、私は何度言えば良いのだい?」

「それは……うん、無理」


 何かの少し考えた素振りを見せたルーニーだったが、ぱっと笑顔で言い切った。そして、横で小言を言いだすウィリアムを放って自身の周りをきょろきょろと見まわした。

 昨夜探していた資料が、散乱した相当数のものに埋まっていつことに落胆し、バサバサと髪をかき乱して唸る。


「とりあえず、竜骨兵に片付けさせて……」

「聞いているのか、ルーニー?」

「ん? なに? あーそれよりさ」


 改めて、これが”賢者”なのかと疑念を抱きながら立ち尽くしているグレイに、ルーニーは向き直った。


「いらっしゃい」


 鳶色の大きな瞳が細められ、破顔する様子はイメージしていた”賢者”とはかけ離れていた。

 グレイはどう返すのが正解なのか、一瞬、困惑した。

 ”賢者”の控える謁見の間のようなものがあって、そこで仰々しい挨拶があるのだと思っていた。もっとこう威厳や悟り、理解の及ばない空気感をまとった”賢者”と対面するのだと想像していたというのに。

 まだ、ウィリアムと同世代であった方が”若い賢者”と納得できたのかもしれない。


 この状況は何なのだろうかと、違和感が拭えずにいるグレイが名乗ることを躊躇うと、ルーニーはそれを咎めることもせずに再びウィリアムに視線を戻した。


「ウィル、前言ってた息子だよな?」

「あぁ、それも含めて頼みたい。今、抱えている仕事は、出来る限りこちらで代役を用意させてもらう」

「……まぁ、そりゃ助かるな。山道にいるマーロックに届けてほしいものもあるし」

「ローレン卿の騎士団か」

「ん、そう。それに関して、魔獣の調査班にも指示を出そうか考えてたんだけどさ」


 中途半端に伸びた赤毛を指先でいじりながら、ルーニーは少し眉間にシワを寄せたかと思うと、ひとまず場所変えようと提案をして歩き出した。

 ウィリアムも当然のように彼について行くが、床に視線を向けたグレイはこの惨状はどうするのだろうかと疑問に思い、一歩踏み出すのが遅れた。すると、開け放たれていた入り口からローブ姿の竜骨兵が入ってくるのが目に映った。


 立ち止まったルーニーが聞き取れない言葉で、竜骨兵に何かを伝えると、それは静かに動き始める。


 横をすり抜けた竜骨兵を振り返れば、人と変わらない動きのそれはいそいそと散らばった書物を片付け始めた。

 魔物も単純に狂暴なわけではないのか。そうグレイが不思議に思っていると──


「ところで、名前は?」


 振り返りったルーニーが尋ねた。

 今度こそすんなり「グレイと申します」と返せば、彼は品定めをするようにじっとグレイの瞳を見た。そして、ウィリアムと交互に二人の顔を伺い、不思議そうに首を傾げる。


「どうした?」

「いや、うん、何でもない……にしても、デカいなー。俺、ルーニー。よろしくな」


 少し見上げるように笑顔を向けてくる様子は、年上だと分かっていても愛らしく映った。

 しかし、仮にも”賢者”とよろしくするというのはどういうことなのか。

 状況がいまだ呑み込めないグレイが返す言葉を失っていると、ウィリアムの口から小さなため息がこぼれ落ちた。


「口数が少なく、頑強さばかりが取り柄の堅物だが、よろしく頼む」

「はいはい。ま、何とかなるでしょ」


 ついっと視線を外し、ウィリアムを仰ぎ見たルーニーは軽く返事をして再び歩き出す。それと同時に息を吐きだしたグレイは、自分が思うよりも遥かに緊張していると気づいた。ともすれば、息をするのも忘れそうなほどだったと。

 黙って後を歩き、彼の背中をじっと見る。


 どう見ても二十代後半。童顔だとしてもせいぜい三十路だろう。方や、ウィリアムはまもなく五十路を迎える。鍛え抜かれた肉体を持ち、現国王の信頼も厚い彼は壮年期を過ぎたとは思えない現役の騎士だ。彼らの年の差は明白のように思えた。

 そもそも、ここに住むのは歴代国王に仕える”賢者”と聞き及んでいる。それが職務名だったとしても唯一無二の存在、いわばグレンウェルド国の最高峰と言える魔術師の役職だ。そこに就くにしては若すぎると、誰が見ても思うのではないか。

 脳裏に、真っ白な髭をたくわえた老師を思い描いていたグレイは、さらに眉間の皺を深くした。


 後ろで難しい顔をしているグレイに気づいていたルーニーは苦笑を見せ、ウィリアムに「仮面つけときゃ良かった?」と尋ねたが、彼は頭を振ってそれを否定した。

 その反応に、そうだよねと頷きながら、廊下の角を折れた。


 しばらくして辿り着いたのは、小奇麗に整えられた応接間だった。

 通ってきた薄汚れた廊下とは違い、奇麗に整えられた室内には花や絵画が飾られている。窓も磨かれ曇りなどなく、外に視線を向ければ色づいた庭を見ることが出来た。飾られる艶やかな花も瑞々しくも甘い香りを漂わせ、カビ臭さなど欠片もない。


 ガシャガシャと音を立て、竜骨兵がティーセットを運んできた。

 何度見ても見慣れないなと、グレイは眉をしかめた。書庫にいたのとは異なるのだろうかと疑問に思うが、ローブも全く同じなそれらを個体識別することは難しい。出迎えも一体でなかったのを考えると、この屋敷には何体の竜骨兵がいるのか。見分けがつかなくても問題はないのか。

 素朴な疑問を抱きながグレイがそれをちらちらと見ていると、動きを止めた竜骨兵はわずかに頭を向けた。窪んだ眼窩には眼球などないが、視線が合ったような気がした。


 ──やはり、骸骨だ。


 そのローブの下はどうなっているのか、風貌を想像して背筋を強張らせたグレイは、静かに視線をそらし、ウィリアムの『それが”賢者”ゆえと理解するのだな』という言葉を思い出した。


 魔物を使役するというのは、どういうことなのか。魔術師が猫やフクロウ、蛇などを連れているのを見たことはあるが、あれと同じようなものなのか。

 グレイの疑問が絶えることはなさそうであったが、そんなことはお構いなしに、竜牙兵は白いカップに音を立てて薫り高い紅茶を注いでいた。


「出迎えの用意はしておいたんだけどね」


 ソファーに腰を下ろしたルーニーは向かいに座ったウィリアムに、悪びれる様子など微塵もない。


「客と思うなら、書庫で倒れず、ここで待っていてほしいものだ」

「ちゃん客だって認識はしてるぜ。国王の使者様だってのも」


 カップを手にし、それを一口飲んだルーニーは「で?」と尋ねた。まるで、今晩の献立は何かと聞くような軽さだ。それに反し、ウィリアムの顔は強張り、その黒目が伏せられる。

 僅かな沈黙が流れ、ウィリアムの後ろで規律正しく佇むグレイは堪らず息を呑んだ。一見、暢気に茶を啜っているような彼の眼差しが真剣そのものだったのだ。真っすぐに騎士長を見ている。臆することもなく、真っすぐに。

 気づけば、彼の口元から笑みは消えていた。

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