<3> 五日前

 ウィリアムとグレイが屋敷に訪れた日の五日前。


 降りしきる雨の中、各地方では騎士団が自然災害に備えて要所を巡回をしていた。ここ連日の雨は過去に例のないものため、特に河川と山道での災害発生に警戒を続けるようにと王国からの通達があったためだ。

 そして、ついに危惧していた事態が起きた。グレンウェルドとメレディスの間に位置するヒエラス山の山道で土砂崩れが発生したのだ。


 災害規模の事象は賢者の元にも即時知らせが届くことになっている。それが自然発生であれば騎士団と商工の土木技師で対応が出来るが、万が一にも大型の魔獣が絡んだ災害の場合は二次災害を引き起こすどころの話ではなくなるからだ。


 この日も例にたがわず、ルーニーの元に急ぎの知らせが入った。


 ヒエラス山を抜ける山道は、グレンウェルドとメレディスを繋ぐ行商の要所だ。両国の交流には海路も使われているが、乗船をするよりも安価に利用ができる山道が一般的に使われている。標高もそれほど高くないことで比較的整備が進んだことが幸いし、賊や害獣の警戒には両国とも頻繁に巡回をしているのも利用頻度の高い所以。つまり、この山道が塞がることは両国にとって大きな痛手となる。


 報告を受けたルーニーはすぐに数人の司祭と魔術師を伴い転移の魔法で現場に向かった。


 幸いなことに此度は長雨の影響だとすぐに分かり、現場の復興を指揮する騎士が到着するまで彼が現場の指揮を執ることとなった。早い復興に越したことはないからと、ほぼ無休で救助と現状把握を進めてから四日後の夜──つまり、ウィリアムとグレイが訪れる前夜──この地方を預かるローレン伯爵によって派遣された騎士団が土木技師や魔術師達を引き連れて到着した。




 麓に設置された本部テントで滴る雨をぬぐっていると、幕の向こうで騎士団所属を告げる声が仰々しく上げられた。

 簡素な机に置いてある仮面をつけたルーニーは「中へ」と短く答えて来訪者を招き入れると、幕を挟んだ外から「賢者様、失礼します」と固い声がかかる。


 雨に濡れた幕がバサッと重苦しい音を立て、騎士が入室する。それを振り返ったルーニーは、思わず仮面の下で笑いそうになり、とっさに覆われていない口元を手で隠した。


 何のことはない。その男に見覚えがあったのだ。


 ルーニーは日頃から仮面をつけて生活をしているわけではない。本音を言えばつけたくなどないのだが、”賢者”として顔を知られると面倒なので時として使用している。その為、日常的には一介の魔術師として振舞っていることも多い。

 そう、目の前に現れた騎士とは、たまたま仮面なしで城塞で会ったことがあったのだ。


 騎士はローレン伯爵の末弟マーロック。その記憶にあるのは、気さくで素朴な笑顔が印象的などこか腰の低い男だ。

 あの日、大きな荷物を抱えていたルーニーにも気さくに歩み寄り、突如、その半分以上を持ち上げた彼は話しかけてきた。仮面をつけていなかったため、所用で城塞を訪れた魔術師と思われたのだろう。共通の会話が思い浮かばなかったため、数ある騎士団の中でも部下に慕われていると、騎士のみならず庶民、あまつさえ諸侯からの評判もいいことを話題に挙げれば、彼は驚いた顔をしたのち──


「弟といっても年の離れた末弟、それも側妻の息子の一人。とるに足らない、剣を振ることぐらいしか能のない不器用な男だよ」


 謙遜なのか本音なのか分からないことを、感情の読めない笑顔でさらりと言い、話題を上手いことローレン家に関することからすり替えた。

 ローレン家の内情を探ろうと思われたのかもしれない。そう考えると、ずいぶん警戒心が強く、だが世渡りが実にうまい男なのだろう。そう、感心したものだった。


 記憶にある姿というのは美化されるものだ。そうと分かっていても、やはり砕けた笑みを見せていたマーロックの方が、目の前にいる格式張った騎士よりも何倍もいい男のように思えた。


 そういう経緯もあり、彼が恭しく首を垂れたのを目にとめただけでも、笑いが込み上げそうになったのだ。この上、貴族らしい口上を述べられようものなら、ルーニーは本気で声を上げて笑っていたかもしれない。


 一つ咳ばらいをすると、マーロックは動きを止めた。


「堅苦しい挨拶は必要ない。到着して早々で悪いが、現場の説明をさせてほしい」


 とっさにマーロックの言葉を遮って、呼び出した目的をさっさと告げれば、気のせいか、彼は強張らせた表情を僅かにほころばせたようだった。


 簡素な机に広げた地図をコツコツと指で叩くと、一礼をしたマーロックが近づいた。事前に出迎えに行かせた魔術師に頼んでおいた現状の報告書に目を通したか確認すると、彼は感嘆の声を上げた。


「さすがは賢者様と驚くばかりでした。現場の把握は行っていただけてると期待しておりましたが、この雨の中、土砂の撤去どころか擁壁まで設置していただいているとは」

「擁壁は簡易のものだ」

「それでも、私たちの部隊だけではこれほど手早くことを運ぶことは出来なかったでしょう」

「やってみなければ分からないものだぞ」


 そんなことよりもと話を進めると、マーロックは必要な修繕の程度を伺ってきた。


「主だって酷い箇所は報告書の通りだ。見落としもあると思う。二度手間になるが、土木技師達に改めてもらってくれ。それと、必ず擁壁を新しく設置するように。山道も長雨で緩んでいるだろうから、地ならしも頼みたい」


 地図の上、補修の必要と思われる個所に印をつけていく。さらに近隣の村も再度訪問して壁面等に問題があれば修繕をしてほしい旨も伝え終えると、マーロックは「承知しました」と返したのち地図上を指さした。


「こちらの被害と比べ、メレディスはいかがでしょうか?」

「今のところ麓の被害は聞いていない」

「やはりそうですか……何か要因があるんでしょうか?」

「どうだろう。疑問が残るようなら、落ち着いた後にでも調査を任せるよ。今はまず、現場の復旧を最優先にしてくれ」

「承知しました」


 メレディス側の麓には造船場を抱える大きな町がある。麓といっても間に深い森をはさみ、山裾からは距離もあるためか、過去にも人命にかかわる土砂災害などは聞いたことがない。

 そういった背景をマーロックも把握はしていたのだろう。念のため確認をしたといったところか。細かいことも気に掛ける性分なのだと伺え、この現場を任せるに足りると思えた。


「メレディス側との連絡は、連れてきた魔術師の方で行わせている。私の方にも報告を上げるよう指示は出している」

「ではまず、魔術師の方々と確認をとらせて頂きます」

「明朝、ここに集まるように言ってある。そこで話を詰めてくれ。それと、幸いなことに人的被害は確認されていないが、この状況で体調を崩すものが出た場合は、私の連れてきた司祭たちを頼ってほしい」

「承知しました。明日中に周辺調査を行い、民衆の体調面も把握します」

「助かる。騎士団と土木技師の皆には無理なく復旧作業に集中してほしい」


 その為の司祭達でもあるのだと言い含めれば、マーロックは瞬きを繰り返し言葉に詰まった。

 仮面の下で目を細めたルーニーは内心やれやれと呟くと、騎士というのはどこまでも自分の肉体に自信があるのだろうかと呆れた。


 復旧作業は一日夜二日でどうにかなるものではない。魔力にものを言わせて現場の一時的な応急処置は可能だが、それは持続しないものだ。人命にもかかわる要所の復旧になるのだから、数週間はここに詰めて復旧に努めてもらわなければならない。


「君たちが倒れたら、誰がここを復旧するんだい? 腕の立つ司祭たちを連れてきた。彼らを存分に頼ってほしい」

「お気遣い、ありがとうございます」


 まさか”賢者”が一介の騎士へ気配りをするとは思っていなかったのだろう。敬慕の念に表情を緩ませてしまったマーロックは、慌てたように首を垂れた。

 そのわずかに赤らんだ顔をルーニーは見たのか見なかったのか、口元を緩めて小さな息をつく。


「この本部は君が使うといい。全指揮を任せる」

「畏まりました。賢者様は王都へお戻りになりますか?」

「魔獣の痕跡もなかったからな。そうさせてもらうよ」

「では、こちらに何か問題が起きましたら、早急にご連絡します」


 姿勢を正したマーロックは、ルーニーが「頼んだぞ」と言いながら、簡素な椅子に掛けてあった雨水の滴るローブを羽織るのを見て、眉根を寄せた。


「賢者様、どちらへ?」

「時間が惜しい。屋敷に戻る」

「しかし、もう遅いですし、夜が明けてからでも良いのではないかと」


 マーロックはちらりと窓の外に視線を投げた。すでに夜半を過ぎようとしている。ひと眠りもすれば東の空が白み始めるような時間だ。


「差し出がましいようですが、司祭の一人から、賢者様が不休で働かれているとお聞きしています。他の者が夜も働こうとすると、休むよう言われるのに、ご自身は働きづめだと……皆、心配していました」

「ありがとう。だが心配には及ばない。屋敷に戻ったのち、休ませてもらう」

「では、せめてお召し物を変えてから」

「それも屋敷で事足りる」


 むしろ屋敷の方がゆっくり出来ると言って笑ったルーニーは、酷く心配そうに顔をしかめる彼の優しさに感謝をしつつ立て掛けておいた杖を手にした。


「マーロック、その気遣いの心、先に来ている者たちとメレディスの者達にも向けてやってくれ。それと、わざわざ私の心配をしてくれた者にも、礼を伝えてくれると、ありがたい。では、後は任せた」


 杖の先で床をコンッと叩くと、白い光が浮かび上がった。光の帯は次第に文字となり、円陣を描く。

 マーロックが止めるのを待たずに、ルーニーの姿は掻き消えた。

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