第40話 世界大戦その4

 大正6年(1917年)初春


 ミンスクの協商軍合同作戦本部ではフランスとロシアの参謀たちが語り合っている。


「今月の攻勢は大成功で、10km進軍するのに、たった20万の損害で済んだ」

「ベルリンまではあと400kmなので、800万の損害で済む」

「我らの兵力は1400万。この戦争勝ったな」


「……何か計算がおかしくないか利助さん」

 算数はあっている。しかし計算していい結果なのだろうか。秋山が恐る恐る副官イトウリスケのほうを見やると、副官はあきらめたようにかぶりを振った。



 1917年に入って、協商軍の活動は安定しつつあった。まず第一に香港の陥落によりイギリス東洋艦隊が退き、アメリカとの太平洋航路が開いて物資の輸入が再開できたことが大きい。次にロシア国内の民生品生産を極限まで削減することで、不足していた兵器や砲弾がなんとか供給できるようになっているのだ。


 それにより東部戦線に張り付けられていた大軍がようやく動き出し、南北500kmにわたって全面攻勢に打って出た。ドイツ軍は遅滞に努めるもじりじりとポーランドから追い出されつつあった。たしかにこのまま押しきれれば2年ほどで確かに勝てそうなのである。



 秋山はテーブルに置かれたフランスから送られてきた報告書を読んでいる。


「連合軍に新兵器の情報あり?」

「ああ、塹壕突破用の地上戦艦ですな。フランスでも研究しておりますよ。確かに効果的ではあるが、十両も使ってもたかだか1km程度の塹壕を突破できるぐらいです。まぁ、広大な東部戦線では必要ないでしょう」


 フランス軍参謀が丁寧に秋山に説明する。言われてみればそうかなと思う。何せ書いてはあるのだが、いまいちどのようなものだか想像がつかない。


「つまりその、自動車に乗った重装騎兵と思えばよいのか?」

「機関銃も撃てますよ」

「トーチカ騎兵か、いいじゃないか。東部戦線にも何両か回したほうがよいのではないか?」

 本来騎兵指揮官である秋山は重装甲で機関銃が撃てる騎兵と聞いて一発で気に入ってしまった。


「……そもそもこんなもの1両つくるカネで砲弾が何発作れると思ってるんですか、砲弾優先です!」


 しかし、ロシア軍参謀が猛反発する、たしかに「あれば助かる」程度の兵器を作ってる余裕はロシアの工業力には一切ない。その工業力で砲弾を作れば前線が進めるのである。露皇帝ニコライも戦争の総指揮を執るために前線に赴いている。皇帝のため、戦争の勝利のため、ロシア国民はすべてを砲弾の生産と前線の押上げのために捧げ切っていた。



 その日はさらに6㎞進軍して8万人しか死傷者が出なかったので、とても順調な日であると記録された。



  ◆ ◆ ◆


 大正6年(1917年)夏



 終わりは急に訪れた。


 英軍は必死にため込んだ戦車1200両を東部戦線に集中投入。


 東部戦線の協商軍兵士は初めて見る兵器の襲撃にパニックに陥った。何しろ機関銃の弾をはじくような重装甲車両がライフル兵の陣地に次々と押し寄せてくるのだ。手榴弾があっけなく跳ね返された途端、自分がまったく戦えないと理解したロシア兵、日本兵、明兵は一斉に逃走を開始した。


 そこに浸透戦術を訓練されたドイツ突撃隊が次々になだれ込んできたのである。


 戦車隊と突撃隊は急激に進撃し、ロシア軍の前線司令部が次々に陥落。


 なんと1週間で150万もの将兵が捕虜にされ、損害は200万近くに上るという空前の大敗を喫してしまった。


 勢いに乗った独英軍は次々に進撃し、ロシア軍の戦線はあちこちで崩壊、春からの攻勢で稼いだ土地を一気に奪い返されてしまう。


 

 これを見たロシアの人民がついに生活難に耐え切れず蜂起。首都ペトログラードが反乱軍に占拠されてしまった。



 首都から離れミンスクで戦争の総指揮を執っていた露皇帝ニコライは首都に樹立された臨時政府から退位を要求された。露皇帝ニコライは各軍の司令官にそれぞれ忠誠心を問い合わせたが、臨時政府と反乱軍に対する徹底抗戦に同意してくれたのはごく一部の将軍そして。



「謀反人に譲歩するなどありえませぬ!」

「アカどもに遠慮は無用!我らと一緒に露府ペトログラードに進軍するアルよ!」

 丁髷とお団子を結った東方の友達だけであった。



「……貴様ら東洋人に頼って、わが臣民と戦うなど皇帝の面目が丸つぶれになるわ!!」


 ここに至って露皇帝ニコライはドイツに対する戦争の継続を条件に退位。難を恐れて後継皇帝に皇族から誰も立たなかったため、ロマノフ朝が断絶、ロシア臨時政府が成立した。ロシア8月革命である。

 

 臨時政府というのは国号を共和国にしようという提案が議会で否決されたため臨時政府としか呼べないためであった。


 露皇帝ニコライ一家は前線からシベリアに移り、ロシア臨時政府は戦争を継続した。


 なお、骨の髄から君主制の日本軍や明軍は共和主義者との同盟は存在しないとして撤兵しようとしたが、露皇帝ニコライから再三に頼み込まれ、しぶしぶ戦争を継続することになる。

 

  ◆ ◆ ◆



 大正6年(1917年)秋


 ロシア臨時政府は軍や兵士の支持を得るため反抗作戦を実施。しかし、この作戦は40万の損害を出したにも関わらず、何の成果も得ることができなかった。


 これにより臨時政府もロシア人民の信頼を失うことになり、ドイツから送り込まれた社会主義者の指導者レーニンが11月革命を起こすに至る。首都に駐屯する部隊を掌握したロシア社会民主労働党多数派ボリシェビキがクーデターにより政権を掌握。


 そしてロシアが独英墺同盟に降伏。

 フランスも単独では戦争を継続できないため同じく降伏。


 1917年のうちに欧州大戦は終結した。

 

 全同盟国を失い、参戦する意義をなくした日明軍はシベリアに向けて撤退を開始。シベリアで露皇帝ニコライ一家と合流、一緒に極東まで移動することになった。


 露皇帝ニコライはアカどもが戦争を放棄して講和したことを怒っていたし、日明軍はアカが政権を握ったことをさらに怒っていた。これだから共和主義者は嫌いなのだ。

 ハバロフスクに落ち着いた露皇帝ニコライは皇帝に復帰。全王党派にシベリアに集結し、対ボリシェビキの戦争を呼びかけた。


 

 さらに自由主義者や共和主義者はさらに怒っていた。正当に取得した政権をボリシェビキの反乱でひっくり返されてしまっただけでなく、皇帝がかってに復活すると言うのだ。彼らは王党派とは別にロシア白軍を結成し、ボリシェビキ討伐のため立ち上がった。


 ロシア内戦の始まりである。



  ◆ ◆ ◆


 

 欧州大戦の結果は以下の通り。


 フランスは多額の賠償金を課され、軍備を制限。そしてアフリカの植民地を全て没収。欧州本土は安堵。


 ロシアはフィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、カフカス、アラスカ、カリフォルニアを独立させ、多額の賠償金を課された。が、誰が誰に何をいくら払うのかすら決まらないまま内戦に突入している。

 また、アラスカとカリフォルニアは独立直後に住民投票でハバロフスクのロシア帝国に復帰してしまった。


イタリアはリビアを没収、そして賠償金。ルーマニアも多額の賠償金を課された。


 大東亜共栄圏はドイツの青島、イギリスの香港を返還し、賠償金を支払うことになった。しかし明による清の討伐は清が滅亡してしまったため、黙認されることになる。その代わり上海、青島、香港、広州はイギリスに没収され、さらに独英に対する不平等条約を締結させられることになる。


 結果、漁夫の利を得たのは延々と同盟にも協商にも物資を供給し続けたアメリカであった。

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