第39話 世界大戦その3
大正5年(1916年)夏
「よろしいですか、戦争というのは負けたと思うから負けるのです。逆に言えば勝とうとしている限り敗北はなく、勝利への渇望こそが勝利のカギ」
「なるほど」
「よって我々は損害を考慮することなく、攻撃をしなければならない! 攻撃以外の原則はこれを排す! それを
「なるほど、そのとおりでござるなあ」
激して喚き散らしているのは東部戦線の顧問としてやってきているフランス軍の
ついに堪り兼ねたのか、副官が日本語で口をはさんだ。
「大将閣下、作戦会議ではなかったのですか」
「しかしフランスの大戦略家の講義を受けられるのはなかなかないぞ」
秋山大将はあとで陸軍省に送るつもりでいるのか、忙しくメモを取っていた。
「攻撃、すばらしい、すぐ攻撃しよう」
翻訳を聞いて、明軍の将軍が3テンポぐらい遅れて発言する。
「そのとおり! 我々は素晴らしい援軍を得た! このように戦意の高い兵が東洋から来た以上は我々は必ず勝てる!」
ロシア軍の総司令官はさきほどからずっと苦虫を噛み潰したような顔で黙りこくっていた。そもそも積極的な攻勢で一番損害が出るのはロシア兵なのである。それを開戦初期から亀のように引っ込んでひたすら耐えているフランス人に言われてもと思っている。ただ、1000万を超える大兵力をもって何もしないわけにもいかない。
「というわけで攻勢作戦を立案いたしました」
呼び出された
「すばらしい! これだ! 我々はこれを求めていた!!」
一瞥して
「大陸は規模が違うのう」
秋山がぼそりとつぶやく。
それはポーランドからカルパチア山脈まで幅600キロメートル、参加兵員300万に上る一大攻勢案であった。
◆ ◆ ◆
この欧州大戦で攻撃側が大きな損害を受けるのは塹壕が強固でかつ塹壕が何重にも設置されて突破ができないためであった。それを突破するために砲兵による1日から数日におよぶ入念な事前砲撃が行われるのだが、砲撃の最中に敵兵は塹壕に引っ込み、さらに砲撃地点に敵の予備兵力が集まり、攻撃をしてもすぐに敵の予備兵力による反撃を食らって進むことができないのである。
これを逆手に取ったのが今回の攻勢となる。まず攻撃する1点ではなく、600キロに及ぶ全戦域にて一斉に砲撃を行う。しかも砲撃は短時間で終え、事前に塹壕を掘って敵陣から100m以内の距離まで近づいていた歩兵が手榴弾を手に全戦域で一斉に攻撃に移る。これで敵は予備兵力をどこに送るかの判断がつかずに対応が遅れるはずであった。
そしてその後ろから豊富な予備兵力を放り込みつづけ敵を包囲殲滅するのである。
構成は計画通りに実施され、そして大成功を収めた。100万に及ぶロシア軍の一斉攻撃を受け、もともと弱体なオーストリア軍に焦点を絞った攻撃によりオーストリア軍は全戦域にて突破を許し、大敗走を始めた。
攻勢がうまく行きすぎたため、戦線は大きく広がってしまった。ドイツ軍に横腹を突かれるのを恐れた露総司令官が攻勢の中止と防衛を指示したが、その瞬間に
そして200万の予備兵力が惜しみなく前線に流し込まれた。展開していたオーストリア軍は各地で包囲殲滅され、なんとオーストリア軍だけで200万に及ぶ大損害を被ってしまう。独英軍を含めると同盟側の総損害は250万に及んだ。もちろんロシアも日明の兵を含めて100万近い損害を出したが、シベリア鉄道の運んでくる予備兵で十分に埋められる数であった。
天然の要害を進むため進撃は大いに緩んだが、それでもついにオーストリアの本土にロシア軍が侵攻する直前まで迫った。この危機を受けたオーストリアの悲鳴を受けて独英軍は西部戦線から大部隊を引き抜いて東部戦線に投入し、なんとかロシア軍の攻勢を押しとどめることに成功。結果として楽になったフランス軍がヴェルダン周辺で優位に立つことができた。
以降、オーストリア軍は単独では作戦行動ができなくなってしまう。
◆ ◆ ◆
16年夏の攻勢はロシア軍の大勝利であった。これを見て戦争の趨勢が決まったと考えたルーマニア王国とイタリア王国が仏露協商側で参戦を決定。200万を超える新規兵力の参入で戦争は一気にけりがつくと思われた。
が、農兵すら含まれていた前近代的なルーマニア軍60万はたった2か月で崩壊。ロシアの援軍によりなんとか北部モルダヴィアを保つことができたが、ドイツ軍の強烈な反撃により首都ブカレストと油田地帯を含む重要拠点を失い国家としての活動はできなくなってしまった。
さらにイタリア軍も国境のイゾンツォ川を越えてオーストリアに攻撃をしかけたが、山岳地帯の陣地に対する無理な攻撃で兵員を多く失い、進むことすらできていなかった。
新規参戦国2ヵ国は何の役にも立たなかったのである。
◆ ◆ ◆
大正5年(1916年)冬
香港にて一向一揆のテロが発生。
一揆勢は香港島に設置された貯水池を占拠、爆破し、島内への水の供給が遮断されてしまう。
これを受けてついにイギリス軍は香港での抵抗をあきらめ、撤退作戦を実施してシンガポールに引き上げてしまった。
同じころ、清の拠点である西安と成都が明軍により陥落。
これによりアジアでの協商軍の優位が確立された。
◆ ◆ ◆
大正5年(1916年)冬
東部戦線
「攻撃だ! イタリアとルーマニアに敵の兵力が分散した今こそ総攻撃を! ドイツ軍にとどめを刺すべきだ!」
「われらの兵は突撃する用意はいつでもできている」
と付け加えたのは明の将軍。
「日本軍としても攻撃は可能であるが、弾薬だけ補給していただきたい」
秋山将軍も加わる。
そしてロシアの総司令官は非常に厳しい顔をして補給計画をにらんでいた。
たしかに大攻勢は大いなる勝利であったが、同時に急激に増えた占領地により兵站が破綻しているのである。そもそもロシアは鉄道だけでなく、産業も貧弱である。兵力だけは豊富にあるが、武器、特に弾薬が圧倒的に不足していた。ポーランドを捨ててまで大事にため込んだ砲弾もすべて前回の大攻勢で消費してしまい、年内に再度大攻勢は不可能というのが参謀たちの意見であった。
さらにイギリスによる包囲で国内の小麦や原料はだぶつき、工業製品が圧倒的に不足して国民生活に影響がでつつあった。日本や明国でも食料や原料の生産は行っているが、工業製品は他国に輸出するほど作れないのである。唯一の余剰供給力を持つアメリカ合衆国との交易路はイギリスに阻害されており、当然フランスとも交易は難しい。
戦線では敵を圧倒しているものの、ロシアはそもそも寄って立つ国家基盤が揺るぎつつあった。
フランスの強い要請によりロシア軍はドイツ領に攻勢をしかけたが、これは死傷者30万を出す大失敗に終わる。砲弾が不足していたことと、全線での一斉攻撃という手がすでに読まれていたためである。世界には新しい戦術が必要とされていた。
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