第38話 世界大戦その2

 大正5年(1916年)



 欧州で始まったこの世界大戦はすでに3年目に突入していた。


 戦火はすでにアフリカ、アジア、アメリカに広まっており、全世界に安全なところは少なくなっている。


 アフリカでは制海権を奪われたフランス植民地軍が敗退を続け、イギリスとドイツにより植民地が分割されつつある。


 アジアでは明国と一向一揆軍の攻勢により清国が北京と南京を失い、内陸部に逃げ込んでいる。


 アメリカではロシア軍がカナダ西部に攻め込んだが試練之大地ブリティッシュコロンビアの雄大な自然に阻まれ、補給切れとアメリカ合衆国による警告で進軍を停止している。


 フランスとドイツの間の西部戦線では兵力に劣るフランスが劣勢だったが、戦争中に急速に発達した塹壕戦術のおかげで大突破されることはなく、ヴェルダン要塞の周囲で消耗戦を続けていた。


 フランス軍の最高司令官は当初積極的な攻撃作戦を計画していたが、結局イギリスの参戦により動員に成功した膨大な予備兵力をノルマンディとパ・ド・カレーの上陸警戒に張り付けざるを得ず、防戦一方の展開となった。戦争が始まったばかりなのにすでに兵力不足に陥っていたのである。


 だが、これが逆にフランス軍の戦闘能力を維持することになった。アルザス戦線で損耗した部隊を後方に回し、海岸防備隊から新鮮な部隊をヴェルダンに投入、海岸防備には後方で新しく徴兵した部隊を送って上陸警戒させるとともに訓練にあたらせた。これにより前線に常に士気の高い部隊を張り付けることがでできるようになったのである。


 この時点での露仏協商はフランスが防戦に手いっぱいであり、彼らの勝利は東部戦線でのロシアの突破にすべての望みがかかっていた。




 しかしその東部戦線では火力と練度の不足によりロシア軍は振るわず、独英連合軍に押されてポーランドを放棄りゃくだつさせられていた。さらに15年には独英の総攻撃によりセルビアが降伏。戦争の大義はすでに失われていた。

 


  ◆ ◆ ◆



 大正5年(1916年)春


 東部ウクライナ戦線


「ムッシュ、あれは何を作っておいでで?」

 

 明から派兵された福建第22一向宗狙撃兵連隊で軍事顧問をしているフランス軍士官が鍋の中の油と塩とニンニクに満ちた謎の汁を見て恐る恐る質問した。


「拉麺アルよ拉麺。こっちで配給されるのは大量の小麦粉に、豚、脂身の塩漬けとキャベツにモヤシばっかりアルから、全部煮込んで豚骨で出汁取って醤油で味付けしたアル」


 一向宗兵士が器用な手つきで配給の小麦粉で麺を打っている。かん水が手に入らないためか、縮れていない極太ストレート麺であった。 

 そしてそれに豚の脂身にヤサイと醤油、ニンニクを合わせたものをぶっかけて食っているのである。


「顧問もどうぞ食べてアル」

「すさまじい匂いだな……」


 フランス軍士官は一口食べ、そして純粋な油と塩の暴威に吹き出してしまった。


「こ、これは豚の餌ではないのか!」

「豚がこんな上等なものは食べないアルよ」


 その日はフランス軍士官は怒って去って行ってしまったが、なぜか味が舌に残ったのか、翌日またもや恐る恐るハシをつけ、その後兵に混ざって食べている姿が目撃されるようになった。


 戦後、このフランス軍士官アンリ・ジローがパリで開いた拉麺屋が「ラーメン・ド・ジロー」としてカルト的な人気を博するのだが、それは別の話。



  ◆ ◆ ◆



 大正5年(1916年)夏

 広東省九龍半島


 明軍が南京より徒歩ではるばる移動、内陸部の長沙を経由して広州にようやく到着し、インドシナのフランス軍と合流、九龍半島の攻略を開始した。


 香港にはイギリス東洋艦隊が集結しており、台湾周辺や琉球、九州沿岸にまで襲撃を繰り返していた。民間輸送船の被害が激増しているのである。


 しかし、それら民間船を守るはずのロシア太平洋艦隊は日本艦隊と共同で対馬海峡と台湾海峡を死守すべく引きこもっており、狭い海峡に大量の水雷艇を配置していた。


 イギリス東洋艦隊は日露艦隊を撃滅すべく何度も襲撃を繰り返していたが、巡洋艦を何隻か沈めただけで主力の捕捉には失敗。さらに台湾海峡に近づきすぎたため、日本水雷艇の奇襲で巡洋戦艦を1隻失っていた。それ以降、遠洋を封鎖することに専念している。


 いずれにせよ、明軍が陸路から香港を落とすことでイギリス東洋艦隊はシンガポールまで引っ込まざるを得ず、台湾海峡と対馬海峡の安全は確保されるはずであった。





 実は15年にはこの作戦に先んじて広州一向一揆が香港に攻撃を仕掛けていた。しかし砲火力による支援が不足していたため、イギリス軍の九龍要塞からの砲撃および機関銃の掃射を受け、大損害を被って失敗に終わっていた。


 そこで明軍は野戦砲を分解し人力で運ぶことで、山地を突破。火力を増強したのである。はるばるハノイから運搬したフランス軍の砲火力も加わり、多大な損害を出しつつも九龍要塞を攻略。九龍半島から香港島への給水を遮断した。これによりフランス軍より香港のイギリス軍に対して降伏勧告が行われた。


 しかし、イギリス軍は香港島内に多数の貯水池を設置していたため、断水の影響は直ちには現れなかった。明軍は逆に香港島近くに配備されたイギリス艦隊から激しい艦砲射撃を食らってさらに損害が膨らむことになった。



  ◆ ◆ ◆



 大正5年(1916年)夏


「和睦でござるか」

「何とも馬鹿にした条件でしてな」


 中立国を経由して連合国から講和の打診がきたのがそのころである。

 ロシア大使が持ってきた条件を見て日本国連邦帝国内閣総裁、徳川家達はううむと唸った。


 条件としてはオーストリアのセルビアに対する最終通告の受諾(事実上の属国化)、ロシア領ポーランドの独立、フランスが失ったいくつかのアフリカ植民地の割譲、賠償金であった。

 つまり現状、お互いの軍が進んだところまででもって講和しようということである。


 一読して徳川家達がロシア大使に質問する。

「清について記載がござらんが?」

「名言してはいないが、清国と明国の戦争については内戦であるから関知しないということでございます」

「それは……」


 欧州では負けたが、アジアでは大勝利である。明は大陸を完全に回復できるだろうし、日本にしてみても北海道ドサンコノスクコサック軍が確保した河北の利権も得られるだろう。つまり、大東亜共栄圏にはとても都合のいい条件なのだ。


「……」

「よろしいか、こういうあいまいな文言でだますのがアングロサクソン人です! スラヴ人は決してこのような虚言は弄しませぬ! 裏切るときはちゃんと言います! もちろん、日本人も信義の民族であると信じてございますぞ!」

「いや、もちろん我らの同盟は強固であり、虚言など信じはしませぬ。なんのためにウクライナまでわが兵が出向いていると思っておいでか! むしろ攻勢を早く実施してくだされ!」


 不安そうにまくしたてるロシア大使に、徳川家達は後ろちょんまげを引かれつつも胸を張って答えた。


 

  ◆ ◆ ◆


 東部戦線のロシア軍に日本、朝鮮、明からの援軍が到着、総兵力1500万の空前の大兵力に膨れ上がっていた。ロシア国内の鉄道が貧弱なため、兵力の集中に時間がかかり、戦争3年目にようやく兵がそろったのである。これは東部戦線にある同盟国軍(ドイツ、オーストリア、イギリス三国)の兵力600万を軽く上回る兵力であった。

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