第32話 ユタの金鉱夫と北海道一揆

 万延・文久・元治・慶応年間(1860-1870年代)


 砂塵吹きすさぶ荒野を行くぼろきれが二人。肌は浅黒く、インディアンか東洋人かよくわからない。


 馬は斃れ、水は尽き、ついに運命が尽きようとしたときに一人のメガネをかけた白人の宣教師が通りかかった。


「……大変な状態ですけど助けは要りますか?」

「おお、アメリカ人じゃ! 助かったぜよーー!?」

「助かったのー!」



 このころ、カリフォルニアに住み着いた日本人たちの間で、新しい鉱脈を探そうとシエラネヴァダ山脈に乗り込む者が増えていた。ヨセミテの広大な自然は人類の生存には厳しく、また居住するインディアンの襲撃もあり多くのものはそのまま帰らぬものとなっている。



 二人は宣教師の率いるキャラバンに拾われ、そのまま大きな開拓地を訪れた。


「おお! 大きな海に大きな田畑ぜよ! なんと見事がか!」

「で、金鉱はどこにあるんやか」

「おう、きっとあの山が向こうにあるきに、もうひと踏ん張りぜよ」

「そういって坂本サンはワシの銭をまた使う気がか!」


「ユタ綺麗でしょー?お二人サン」

 宣教師が声をかける。


「次はあの山を越えてみんと思っちょるが」

「アメリカは今、ひどい内戦中ですよー、やめたほうがー」

「それは何か儲かるかもしれんぜよ! いくぜ万次郎サン!」


 宣教師が止めるのも聞かず、金鉱夫イヴァン万次郎とドラコーン坂本の土佐人ふたりはアメリカに向かって進みだした。



 ◆ ◆ ◆




 徳川幕府の運営はいろいろと行き詰まっていた。


 15代将軍家茂は病弱である。政治総裁の徳川(一橋)慶喜は武断政治で暗殺された老中山内の反省から諸大名に譲歩しつつも、西洋化改革を進めようとしていた。


 しかし異人嫌いの朝廷は外交政策に反対し、幕府の経費の多くを抑える大奥は財政政策に反対し、純粋に改革がよくわからない旗本役人たちはすべての新しい政策に反対し、西洋化はまるで松脂の中を泳いでいるように遅々として進まないのである。


 このままでは改革の財源すら確保できない。何しろ西洋化はカネがかかる。蒸気機関やら、反射炉やら、大砲やら、鉄砲やらとにかく買わなければいけないものが多く、そして幕府は大量の旧式軍隊や旧式海軍を抱え財源は限られていた。


「このような状態でロシアに25万両もくれてやる必要はなかっただろうが!」

 徳川慶喜は不機嫌に吐き捨てるが、財務状況が回復するわけでもない。


 そこで再度取り上げられたのが北海道の直轄地化である。北海道は稲作だけでなく、各種食糧、そしてロシアから輸入される毛皮の利益に加え、数多くの砂金が見つかっており、佐渡金山の算出が先細りになっている幕府としては喉から手が出るほど確保したかったのである。


 前回は替地として提示した土地の石高が低すぎたのが原因として、石高でも数倍の土地を提示。さらに一部を京に近い近江や摂津の所領とすることで北海道に入植した諸大名の了解を取り付けることに成功した。そして大喜びで北海道の直轄化と領地替えを宣言した慶喜は耳を疑った。


「北海道武士たちが一揆をおこしただと!?」

 


 ◆ ◆ ◆


「領地替えはんたーい」

「ここは俺の土地だぞ! 俺が拝領した知行だからここは武州多摩だー! 幕府領じゃねーぞ!」


 一揆の首謀者はセヴァストポリの英雄、北条家新規召し抱えの郷士、近藤勇と土方歳三である。似たような境遇にある開拓武士たち、多くが足軽の出でシベリアでの軍役を経てようやく与えられた開拓地を自分の命よりも大事にしている連中が集まり、それぞれのミニエー銃を掲げて気勢をあげている。

 

 幕府は領地替えについては主君の北条家の了解さえ得ればということで、北条家の了解は得た。しかしまさか北条家臣が北条家の領地替え命令に従わないとは思わなかったのである。


 改めて北条家に領地替えの徹底と、北海道に知行を持つ武士に代替地を与えるように指示したが、逆に北条家から「彼らは土着しているので、そのまま幕府で召し抱えてくれないか」といわれる始末であった。

 そして、それでは全く財政の足しにならない。



「北海道征伐だ!!!」

 

 慶喜は少しずつ育成していたフランス式陸軍、4個歩兵連隊に出動を命じた。


 結果的に、北海道征伐はしりすぼみに終わった。北条家と毛利家が連名で討伐中止と領地替えの返上を申し入れ、朝廷からも内戦については懸念があると伝えられた。そして軍事費で経費が圧迫されるのを恐れた大奥が将軍を動かし、穏便に済ませるように慶喜に命じたためである。


「天下の意見を広く聞いて政治を行いたい」


 自分の発言が自分を縛る。慶喜の眉間に深いしわが一本刻まれた。



 ◆ ◆ ◆


 慶応2年(1866年)、徳川家茂が死去。


 第16代将軍に就任した徳川慶喜は大喜びで自分に逆らう大奥や改革に反対する高官旗本の粛清を開始、予算を浮かせることに成功した。そして譜代旗本たちについても旧式軍の軍役を免除する代わりに、歩兵給与を負担させることにした。これにより8個歩兵連隊に砲兵と騎兵を加えたフランス式陸軍24000名を育成することに成功したのである。


 ただ、西洋化予算を拠出させられた譜代家臣の財政負担は厳しい。また軍役免除により譜代家臣が今まで抱えていた足軽中間が職を失った。かつ大奥などの経費削減で多くの召使も召し放ちとなり、名古屋城下には失業者が目立つようになっていた。


 そして、幕府の軍事改革に一番反応したのが、北条家と毛利家である。北海道征伐の時の経緯を考えると、この幕府陸軍の軍拡がだれを狙っているのかは明白だったからだ。




「これがアメリカのスペンサー連発銃ぜよー、北条さんには安くお売りできるきに! アメリカのスプリングフィールドのミニエー銃も、イギリスのエンフィールド工場のミニエー銃もあるぜよ! これらを買えるのは俺らーだけよ! のう万次郎サン!」

「おー! ワシらーアメリカさんには特別な知り合いがいるきに! 注文があればたくさん輸入できるがよ! なぁ坂本サン!」 

「オー、ここ日本ですか、ユタよりも水多いヨー。え、ワタシ宣教師チガウヨー」


 そのころ、北条家の貿易港である横須賀の港に、胡散臭いシルクハットをかぶった日本人二人組と眼鏡をかけた白人の乗った商船が入港。彼らはイヴァン&ドラコーン商会と名乗り、南北戦争の終結でダダあまりに余ったアメリカの銃器を日本の大名家に売りつけて儲けに儲けるのであった。

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