第31話 近衛将監ダヴィド・カラカウア
弘化・嘉永・安政年間(1840-1860年代)
名古屋城。
「ハワイ国王カメハメハ4世アレクサンデル・イオラニ・リホリホの使者として、このハワイ島はコナの
西洋風の軍服に身を包んだ体のデカイ色黒なひげ男がニコヤカに笑いながら英語でまくしたてる。通訳が必死に日本語に訳すがところどころ用語の確認に時間がかかっているようだ。
「ありがたく思う、残念ながら将軍は病弱故、この徳川慶喜が将軍に成り代わりハワイ国王の親書を受け取ろう」
親書を受け取ったのは切れ長の目と涼やかなひょうたんのようにつるりとした顔つきの一橋慶喜であった。将軍家が病弱なこともあり、親族代表として公務を一部肩代わりしているのだ。
親書は英語とロシア語で書かれていた。もともとハワイ諸島に最初に訪れたのはイギリス船であった。イギリス海軍所属のクック船長やその後継者たちにより銃をもらったカメハメハ大王がハワイを統一したのであるが、その次に現れたのはロシア帝国の宣教師であった。
カリフォルニアを手に入れ、そこで金を見つけたロシアはカリフォルニア開発のために日本人や明人の移民を募集しはじめた。そしてカリフォルニア航路の中継地としてのハワイに目を付けて勢力圏に取り込むべく乗り出してきたのだ。
その結果、英語文化と多くの英国移民を受け入れつつもロシア正教を信じ軍制はロシア風というややこしいポリネシア人の国ができあがった。
そのころには日本でも蝦夷地開拓のために移民がある程度認められていた。しかし特に西国の余剰人口が寒い蝦夷地を嫌ってロシアの募集に応じてカリフォルニアにわたり始めたのである。その結果、ハワイ経由でカリフォルニアには支配者のロシア人だけでなく、四国・九州の人間、さらに客家や福建人が渡った。一部は移動途中のハワイが気に入りそのまま住み着いている。
ハワイ王国の主権を保ちつつ、近代化して国力を高めたいハワイ王国にとってはイギリスとロシア、そして新しく遭遇した日本や大明とうまく等距離外交をするのが大事であり、そのために大貴族のカラカウアを派遣したのである。
ただし、徳川幕府としては新しい技術が手に入るわけでもなく非文明国とは、そこまで熱心に付き合う予定はなかった。向こうが礼を尽くして訪問してきたため、対応しているだけである。大明が久しぶりの新規朝貢国発見!ということで大喜びで大量の絹や陶磁器を下賜したためではない。明とは対等な同盟なのだから、明が朝貢国にしたならばこちらもそれなりの礼儀を見せてやらねば釣り合いがとれぬではないか。そうでないと両属を貫いている琉球国に示しがつかない……
などと面倒な事情はあったが、いずれにせよ日本からも大量の武具や扇、国産生糸や国産陶磁器などをもらって、カラカウアはニコニコしながら帰国することになる。
一橋慶喜は平和な雰囲気の中でカラカウアを見送りながら、風雲急を告げている大陸の現状を改めて思うのであった。
◆ ◆ ◆
そのころ大清帝国ではキリスト教徒の一揆が広州を中心に華南全土に広がっていた。一部で弾圧された一向一揆も這い出してきて参加しているらしい。
その中でキリスト教徒を取り締まろうとして、誤って一揆とは何の関係もないフランス人宣教師を捕らえて斬首してしまったのである。フランスは抗議のために海軍を動かし広州近辺の砲台を占拠させたが、逆にそれが現地の民衆を刺激しイギリスとフランスの外国人居留地が略奪放火されるという事件が発生。
これを受けて、もともと清の交易条件に不満のあったイギリスを誘い、フランスは連合軍を組んで天津を攻撃したのである。
大清帝国はキリスト教一揆が国土の半分にはびこる中で、首都を英仏連合軍に直撃されるという事態を受け、やむなく降伏した。そこに
そしてロシアは念願の太平洋方面の不凍港としてウラジオストクの建設を始める。多くの日本人が労働者として渡り、一大港湾の建設に従事し、そのまま住み着くことになる。この港湾の開設により、太平洋の幹線となるカリフォルニア~ハワイ~函館~ウラジオストクルートが開通することになる。
◆ ◆ ◆
「……西洋の文物を取り入れずんば、名古屋は守れじ」
大清の大敗と英仏軍の圧倒は日本国内で大論議を引き起こすことになった。
特に老中首座に上り詰めた譜代大名の
山内豊信は幕閣を率いて幕府の近代化に乗り出した。朝廷の反対を押し切ってイギリスをはじめとする西欧諸国と国交を開き、蒸気船やアームストロング砲、ミニエー銃などを購入。フランスから教官を呼んでナポレオン式軍制も取り入れることになった。
そして、これらを断行するために国内の言論統制に乗り出した。安政の大獄である。
「恐れ多くも天下の政権は幕府が朝廷から委任されている以上、我らの仕置きに逆らうのは反逆者である」
幕府は朝廷や異国との交流が増えるのを嫌う一部の国粋主義者を弾圧しはじめた。さらにこれまで、ロシア申次として北条家、大明申次として毛利家の両家にはさまざまな特権を認めてきた。外交面では両家の意見を聞いてきており、またある程度自由行動を認めていた。海外に力を注がせて国内で乱を起こせなくするためである。それをイギリスとの国交再開については両家の意見を聞かず、逆に直接の交渉に乗り出すことで両家の外交権を制約しようとし始めたのである。
まずロシアに対してはシベリア鉄道の建設資金として25万両を北条の頭越しに貸付、その代わりにアムール以東での日本人居住許可を取得。
大明についても冊封ではなく現実を踏まえた対等の同盟関係に直すべく交渉を開始した。
当然、毛利と北条は反発したが、山内は強硬姿勢を貫きまったく取り合わない。
さらに問題が起きたのが蝦夷地の扱いである。米が少しずつ取れ始めていたため、石高は成長傾向にあったが、これを本州の同じ石高の土地と交換するように命じたのである。土地の広さでいうと1対100ぐらいの交換となり極めて小さい代替地を押し付けられることになる、米以外の物産からいうと大損害である。
こちらは北条家をはじめとする関東、東北諸藩から大反対が巻き起こった。蝦夷地に入植した関東武士の中には公然と蜂起の準備をするものが出始める始末である。
「これは大問題になるのでは」
一橋慶喜の不安は的中し、桜田門外にて老中山内は過激国粋主義の浪人に暗殺されることとなった。
白昼堂々の現役老中の殺害という未曽有の大失態に対して、幕府はこれを公的には認めず、表面上だけ取り繕ってすませようとした。また将軍は病弱のためまったく指導ができず、名古屋に詰めている諸大名たちの動きが不穏さを増した。
一橋慶喜は同じく徳川の一門衆である越前松平春嶽、会津松平容保と語らい、政権をとることを決意。
「天下の意見を広く聞いて政治を行いたい」
政治総裁一橋慶喜の誕生である。
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