第26話 歌に詠まれる毛利和泉

 正保2年(1646年)。

 明亡命政権領 温州ウンシュウ府。


 温州というのは、温州ミカンでございますと置くぐらいの柑橘類の名産地であるが、日本で食べられているモノとは品種は違うようである。日本で温州ミカンというのは温州とはほぼ関係がなく、名をつけるときに名産地なのであやかっただけのようだ。土地の方の温州はミカンだけでなく、絹や陶磁器などの各種工業の中心地である。商業も盛んで非常に経済的価値の高い都市であるため、毛利としても交易先としてぜひ確保したい土地であった。

 

 そこに清軍の南征軍歩騎号して20万が攻め込んできた。毛利元就の孫、秀元の子であり、長州藩(毛利家分家)の藩主毛利和泉率いる長州軍は5000の兵で迎撃に出ることになった。


 早速、各地で情報を集めた武将たちから報告を受ける。


「唐人の報告書によれば敵軍20万が杭州より西回りに南下してきているようであります」

「寧波から沿岸づたいではなく、わざわざ山地を超えてくるのか?」

「道はあるようですが、20万もの大軍が進軍可能とは思えませぬ」

 

 たしかに沿岸づたいに来れば倭寇たちの攻撃にさらされるだけでなく、温州城の北に流れる瓯江オウコウの流れが天然の堀として進軍を阻むことになる。しかしだからと言って大軍で山を越えるか?


「我らの布陣にあわせ、鄭氏の兵6万、蘇学士の兵2万、張太守の兵3万……合計で25万の援軍が来ることになってござる」

「……福州にそんなに兵がいたか?」

「しかし報告にはこのように書いております」


 毛利和泉も一応学問は習ったので、漢語を話すことはできないが漢文なら何とか読める。報告書にはまさしくそのように書いてあった。地元の明政府もきちんと諜報報告は上げてきてくれるのであるが、どうもこの数はピンとこない。やはり大陸は桁が違うのであろうか。

 

「このような大軍同士の大決戦ならば、我らは横から鉄砲でも撃っていればよかろう。陣を置く場所を考えるか。物見を増やせ」

「はっ」


 毛利和泉はあまり実感のないまま下知を下した。



 ◆ ◆ ◆



 温州北方の長州軍の野戦陣地。

 

 雲霞のごとく押し寄せる敵の歩兵に対して、ともすれば逃げ腰になる鉄砲足軽を毛利家諸士らが励まして射撃を加え続けていた。

 

「味方は? 明軍はどこにいる!!?」

「もうすぐ到着するから堪えてくれと!」


 毛利和泉が蒼白になりながら怒鳴りつける。山地から温州まで下る街道をやくするよい場所があったため、毛利軍は陣地を設営して清軍を待ち構えていた。そこに清軍20万の先発隊とおぼしき部隊が現れ攻撃をしかけてきたのだが、約束された味方が全く来ない。


「敵兵はおそらく歩兵が1万ほどですので、このまま堪えれば」

「その後ろに残り19万が迫っておるのだろうが!」


 確かに部下の言う通り、長州軍は2倍の敵兵に対して意外と持ちこたえている。清兵はあまり鉄砲を装備していないようで、こちらの鉄砲の弾幕の勢いを恐れて近づけていないようであった。弩弓の矢玉がパラパラと飛んでくるが、命中率や連射速度に劣るようでそこまでの脅威ではない。


「このまま敵が我らを包囲したら大変なことになる!」


 毛利和泉は敵軍の残り19万が見えないため、ひそかに我らを包囲せんとしていると判断。物見を出して敵軍の居場所を掴もうとしていた。清軍は騎兵が主力と聞く。いつの間にどこに回り込んでいるかわからないのだ。敵のいない場所から撤退しなければならないが、下手に戦闘中に引き上げを命令したらただでさえ逃げ腰の足軽どもが総崩れになりかねない。


「引き上げの時と道を慎重に見定めねば……」


 いざとなれば兵を捨てて逃げなければならぬかも。と毛利和泉は考えていた。


 その時。


「物見から連絡が! 軍が接近中です!」

「所属は!? 明か清か!?」

「……明です!」


 鄭成功の率いる倭寇兵8千がようやく到着し、清軍の側面に襲い掛かった。敵軍の攻撃が鈍ったのを見て取った毛利和泉の号令により、長州軍は総攻撃を行った。清軍は総崩れとなり、長州軍は敵をさんざんに打ち破ったのである。


「……結局、敵の後衛含めて2万ほどしかいなかったが、残り18万はどこに?」

「いやぁ、毛利将軍! 満賊ぞくぐん20万撃破おめでとうござる!」


 ……は?


 満面の笑みを浮かべて勝利のお祝いに現れた鄭成功の発言に毛利和泉は本気で理解が追い付かなかった。




 この大陸の公式文書では兵数はだいたい10倍して記載するという相場を聞いたのはその後のことである。




 ◆ ◆ ◆




 いつくしま わたりてくだす にじゅうまん

   もうりのぶりゃく そふがもとなり


 (厳島の戦のごとく、渡海して大軍を撃破した毛利和泉の武略は祖父の元就が元であることよ。※もとなりを元就と、元であるにかけてある)


 ―ちかごろ京・名古屋にはやる歌―



 名古屋城にて


「毛利軍の活躍、実に素晴らしい。褒美として金子をつかわす」

「ははっ」


 徳川将軍家光は大判のぎっしり詰まった千両箱を前に、毛利一族の本家である芸州藩主秀就に毛利軍の活躍を褒めあげていた。

 頭を下げていた秀就が恐る恐る発言する。


「恐れながら、交易の許可が得られましたのでそろそろ撤兵の時期……」

「帝も唐国にてわが国人の名があがるは名誉なりと大変お喜びであったそうな、これからも引き続きたのむぞ」

「……恐縮にござる」


 改めて頭を下げる秀就はじりじりと食われていく毛利家の財政に思いを致しながら忸怩たる思いを持っていた。まったく、和泉守めが、何を活躍しておるのだ。領地になるわけでもない手伝い戦で勝ってどうする。適当に防衛だけしておれば半年1年で軍役を果たしたので引き上げたいと言えたものを!




 ◆ ◆ ◆




 清国領 寧波ニンポー府。


 明軍は号して30万の大軍を以て寧波攻略の軍を起こした。


 主力は明の科挙官僚に率いられた明官軍であり、鄭成功の倭寇軍は水軍として海から支援を行うことになった。そして先鋒は清の大軍を撃破した栄誉ある長州軍である。

 



「なるほど、この書物はそう解釈するのでござるか」


 せっかく本場に居るのだからと毛利家の学問好きの有志が漢籍の解釈を科挙官僚に尋ねたところ、何を尋ねてもスラスラと本も見ずに答えるのである。毛利家有志たちはその学識に驚いた。


「何を驚いておるか、これぐらい初歩の初歩であるぞ。そなたらの質問はだいたい天朝ミンこくの学生は8歳までに解決せねばならんことだ」

 

 こともなげにいう科挙官僚。なお通訳を介してこの尊大さである。毛利家の有志はさすがは本場と心から感じいっていた。


 そこで政治の心構えは、と聞くと科挙官僚はいくつもの漢籍を引用しつつ、いかに民を喜ばせ、民の生活を守るかと言う話を延々とする。しかも実際に政治をしてどうだったという経験談も豊富に持ち合わせているのだ。


 このような立派な政治家がいるならば、民も兵も全力を尽くすはず。明軍が負けるわけは無かろう。毛利家有志は語り合うのであった。





 ◆ ◆ ◆





 明の正規軍が総崩れとなり、清の正規兵である女真騎兵が長州軍に迫っていた。

 何が起きたのかわからないまま、ひたすら鉄砲を放たせる長州軍。


 女真騎兵は騎馬で一気に接近すると、騎乗のまま弓を一斉に放ってきた。騎射ぐらいならば毛利の武士もできるのだが、数が違う。こちらは武士が数百、しかもバラバラに動いているのに、相手は数千の騎兵が一斉に行動するのである。


「放てっ!」

 

 鉄砲の轟音が響き、女真騎兵が1騎、また1騎と崩れ落ちる。意外と戦えるのではないか、と毛利和泉が思い始めたころに、女真騎兵が一斉に引き揚げ始めた。


「おお!敵が引いていく!勝利ですぞ!」

 ざわめき始める毛利兵。


 と見ると、敵歩兵が接近してきた。何か筒のようなものを大量に抱えている。


 何だあれは……?

 と見ている間に、清兵が筒に一斉に火をつけた。


 細長い筒が一斉に火を噴きながら空を飛び、長州軍の陣地に飛び込んでくる。

 そしてあちこちで炸裂して、長州軍の足軽たちが大混乱に陥った。



 なんだ、何の攻撃だ!? 毛利和泉が兵を鎮めていると、聞いたこともない大きさの炸裂音がとどろき、敵陣から無数の砲弾が降ってきた。さっきとは違う大砲の砲撃である。長柄足軽が算を乱して逃げ惑う。



 そして女真騎兵が弓を捨て、長槍を構えて一斉に馬上突撃を仕掛けてきた。


 ◆ ◆ ◆




 ぼっかいの うまがもりもり はみつくし

   いずみにげさる きりのまぼろし


 (渤海-満州-の騎兵がもうりもうりと草をはむように、もうり兵をなぎ倒してしまった。

   蜃気楼に映った泉が追えば逃げるように、和泉守の武勇もまぼろしであったものよ)


 ―ちかごろ京・名古屋にはやる歌―


 名古屋城にて


「大変なことになったな、どうかな、一度兵を引いて立て直しては」

「……」


 徳川家光が心配そうに毛利秀就に問いかけた。秀就は苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「帝も心配しておられる。援軍の役目は気にすることもない。北条に替わってもらうこととして……」

「どうか! どうか引き続き毛利にお任せ下され!」

「いや、無理をせずともよいぞ?」

「お任せ下され!!」

「わかった、では軍資金を遣わす」


 家光は神妙な顔で秀就の申し出を受けると、そばに控える松平伊豆守に命じて、改めて毛利家に軍資金を下賜するのであった。


 頭を下げる毛利秀就を尻目に、松平伊豆守が家光の顔を見て頷く。いやはや下手な歌を作った甲斐があったわい。

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