第24話 長い道を歩き続けた徳川

 慶長12年(1607年)。


 三代将軍として三男の秀忠を指名した。


 跡継ぎが若すぎて戦乱を招くという理由で蘆名家を取り潰したのに、天下を治める将軍が13歳では天下に示しがつかない。

 いや、元服はできるのだから、自分が5年10年見守ればいいのかもしれない。

 そして嫡子を選ばないということは今後幕府が兄弟で将軍争いをして結局天下を乱すのかもしれない。


 そういう風に議論する老臣たちも多数いたし、十分に道理だとも思う。


 だが、家康はもう来年死ぬか、再来年死ぬか、家はどうなるか、将軍家はどうなるかなどと心配して暮らすのだけは嫌だった。きちんと成人した息子に政治をきっちり教え込み、天下が安定しているのを見ながら残りの寿命など気にせずに暮らしたかったのである。


 秀康の子には越前で20万石を用意することになった。


 ◆ ◆ ◆




 慶長13年(1608年)。 


 北条氏直が嫡子なくして死亡した。北条一族での話し合いの結果、徳川家への遠慮もあって助五郎氏規の子の助五郎氏盛が養子として後北条氏6代目として後を継ぐことになった。

 が、後を継いでほどなく死去。わずか八歳の氏信が7代目として後を継ぐことになった。


 幕府からは若い当主に対してことのほか気を使い、本領の安堵を行うとともに、何かと困ったことがあればすぐ対処できるようにと、譜代の大久保氏から家老を派遣し、後見させることにした。

 

 他家と扱いが違う? それは事実だ。しかし北条に家老を送りこめたならば問題はない。


 よし、これで北条は何とかなる。



 ◆ ◆ ◆


 慶長14年(1609年)。 


 島津より琉球国に外交上の無礼があるとして琉球征伐の許可の願い出があった。

 しかし、明国との戦争になる可能性があったため却下した。

 毛利家はまだ朝貢再開のために地道な努力を続けているのである。それよりも琉球国には今まで通り船を出して、仲介貿易で儲けるべきであると考えられた。


 ◆ ◆ ◆



 慶長16年(1611年)。 


 後陽成上皇が崩御され、改元となった。新元号は元和である。



 ◆ ◆ ◆




 元和3年(1613年)。 


 毛利輝元は還暦を迎えたことを以て、子の秀就に家督を譲った。秀就は19歳。だが元々輝元には実子が生まれず、後継者として輝元の弟の秀元(秀康から一字を与えた)を養子に迎えていた。あまりにも秀元への処遇が不憫であるということで、幕府からの助言もあり長門中心に17万石を与えて別家を創設させることになった。


 実に一族への思いやりが溢れており大変すばらしいことである。毛利一族扱いではあるが、大名として独立し、本家の石高を減らすことになった。


 実に素晴らしい。


 ◆ ◆ ◆


 

 元和4年(1614年)。 


 秀忠も36歳となり政治が非常に安定してきた。健康も何ら問題がない。

 三代目にあたる徳川竹千代も11歳となり、無事に継承ができそうだ。


 越前家、秀康の息子の忠直も20歳となり、これならば忠直に継いでも良かったという者もいるようだ。

「たまたまではないか」

 後からならば何とでも言えるのだ。家康はたまたま自分が死ななかっただけだと思っている。

 忠直には良く言い含めて徳川を遠慮させ、越前松平家を創設させた。もちろん本来の本家筋ということで、末代まで特別の扱いとすることは約束している。が、松平を名乗らせたことで徳川宗家に関する一切の継承権は破棄させた。


 この年、「銅を異国に売って異国の銅銭を買うなど馬鹿馬鹿しい限り」という秀忠の提案で、元和通宝という新しい銅銭を生産することにした。蔵にあふれている金銀もそれぞれ量目と定価を定め、金銀銅の貨幣を発行して取引を盛んにするのである。

 銅に含まれていた銀は住友家の開発した吹分け法により取り出すことができるようになり、銀の抜けた粗銅は唐国に売ってもさほどに高く売れなくなったこともある。

 これにより銅銭の需要を満たすことができたため、西洋式大砲の原料としても銅はな銅については輸出を禁止することになった。




 ◆ ◆ ◆


 


 元和6年(1616年)。 


 天下は安定している。


 もちろん北条や毛利、長宗我部、島津などの大大名は力で押さえつけているだけなので安心はできないし、武備に手は抜けない。細かく天下のためになる普請を命じて、戦をする力を削がなければならない。

 

 特に大大名が天下の政治に口を出すようなことが有ってはいけないし、勝手に異国に攻めていくようなことは決して許してはならない。


 大阪湾と伊勢湾を守らせるためにイギリス人に作らせた西洋船を浮かべ、大量の火縄銃を蔵にしまって、徳川家は天下をにらみ続ける。




 ◆ ◆ ◆


 

 永かった。


 産まれてからこの方、何かと理不尽なことに振り回され、結局最後の最後まで休ませてはもらえなかった。天下人にはなれたが、別になりたかったわけではない。必死で生き抜いた結果生き延びただけだ。


 やっと荷物を降ろせる。



 徳川家康は眼を閉じた。

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