第18話 斯波屋敷の変


 天正10年(1582年)。

 京、斯波屋敷。


 後の世に言う斯波屋敷の変である。


 家康が住む斯波屋敷は、京で徳川次郎三郎信康の軍に囲まれていた。




 家康は頭の中の部隊配置図を確認する。近畿に兵はいない。当たり前だ。

 軍の主力は信康に預けて武田の討伐に出したのだ。今この時だけ徳川全軍を掌握しているのは信康だ。


 となると斯波屋敷に常駐する馬回り衆や小姓のみとなるが、京は完全に安全地帯と考えていたため、代官所や近くの城ならばともかく、この屋敷には戦えるものが100人いるかいないかである。


 信康の軍は人数は分からぬが、完全に戦装備で攻めかかってきている。防衛に出た護衛の兵が次々とやられていく。


 状況の検討が終わった。死んだ。


 ……いったい何が不満だったのだ、いや、不満なのはわかるが本人が反省して本人が頭を下げて武田も殺して決別すると……


 「……殿のご配慮、感涙至極にございまする」


 ……信康はなぜ、父上と呼ばなかったのだあの時……。あの覚悟を決めた目……ああ、そうだ。今川殿に謀反すると決めたときの儂だあれは。武田と手切れすると決めたときの儂だ。


 そう、なぜ儂は、人にさんざん踏みつけられ、それで苦労しておきながら、信康に踏み絵を踏ませたのか。いや、あれはあの時は一番良いと思って。


 息子と別居したのがすべての失敗か……もっと話し合えば良かったのだ。武田についた時も手切れしたときも。



 ……戦うか。


 家康は槍を構えた。


  ◆ ◆ ◆

 


 鬨の声。


 燃え上がる襖。


 斬りかかってくる鎧武者に対して、鉢金を頭に巻いただけの小姓が立ち向かっていき、斬られた。


 

「お覚悟!」

「おお! 三河者が儂にかかってくるか! さぁ来い!!!」


 家康が槍をしごいて突きかかる、刀で払われる。


 そして鎧武者が刀を振りかぶって……刀が刺さった。



 鎧武者の首に刀が突き立ち、引き抜かれる。

 襦袢姿の老人が血刀を下げて現れた。


「……何をしておるんだ松永」

「心外な、助太刀いたす」


 松永が達磨のようなヒゲを震わせて、できれば槍が良いのですがと言いつつ、壁の獲物を物色しはじめた。


「あー、松永よ、貴様は狙われておらんからさっさと逃げたがいいぞ」

「そんな薄情な。松永には忠義しかござらんと前から申し上げておりますのに」


「……本気か?何故だ?」

「なんでしょうな」


 松永は首をぐるりとかしげると。


「ははっ、拙者も一度は天下人の真似事をしたのでござるよ、それでも天下は収まらぬどころか、まったくどうしようもない状況で。徳川様なら、きっと違う」

「……」


「それに、幕府の兵も見張っている中、京に大軍を入れられるわけがござらん。であれば少数とは言いませぬが謀反の兵もそれほど多くないはず。時間がたてば援軍も集まりましょう」

「幕府に兵などいたか?」

「飾り人形に見えまするが一応」



 うおおお!!!


 またもや鎧武者が小姓たちの防御線を突破して奥の間に突っ込んできた。

 家康と松永が息を合わせて槍で突き伏せる。


「さすがは天下人、槍も見事で」

「さすがは謀反の達人、槍も見事だな」

「ですから拙者は忠義一筋で謀反など」


 抗議する松永を流して、軽口を切り上げて家康は叫んだ。

「小姓たちよ!集まれ!儂の部屋の前に固まれ!!」


 家康の叫び声に反応して、すぐに十数名の小姓が武器を持って集まってきた。




  ◆ ◆ ◆

 

 しかし、多勢に無勢、信康の兵は次々と攻め込んできて、小姓たちもどんどん減っていく。


 またもや鎧武者が数名飛び出してきて、槍が家康に伸びた。


「やぁ!!」

 ドスッ、という音がして矢が武者の背中に突き立つ。


 鎧武者の新手が現れたが、どうも様子がおかしい。何か言い合っている。


「でかした牛一! 加増!」

「加増できる領地を貰ってから言ってくだされい!」


 燦然と輝く足利二つ引き。


「家康殿! この尾張守護、斯波左兵衛佐源義統! 加勢いたす!!」

 見ると尾張守護斯波義統が完全武装で数名の護衛をつれて立っていた。



「……あの、守護殿? 何をしておられるので?」

「何を言っておられるのか! ここは余の屋敷じゃぞ! 侍が屋敷を攻められて戦わずしてどうする! 一所懸命じゃ!!」

「守護様は侍でしたか」

「源氏じゃあああああああああああ!!!」



 松永が口をはさむ。


「む、侍が増えましたな。ではこのように」


 御年70になる松永弾正が衣装櫃を抱えると入口に積み上げ始めた。

 

「あとは畳をはがして、弓矢の盾といたす」


 御年67になる斯波義統がうんうん言って畳を持ち上げ始めた。


「よし、義輝公をお討ちしたときはこのようにされて大変手こずりました故、これでしばらくは持ちましょう」

「……義輝公を討ち果たしたのは三人衆と申しておらなんだか?」

「……いや、最近年のせいかぼけて言葉が不明瞭でして」



 部屋がたちまち即席の砦となる。なったのはいいが、配下の武将2名が老いに老いた老人2名である。


「あの、守護殿。表のセガレに降伏なされば、守護殿は悪いようにはならんと存ずるが……」

「……よいではないか。余はもう十分この血筋で得をした。であれば、最後ぐらい先祖に恥じぬ働きをして、源氏嫡流足利一門であったと証明せねばならんのだ。それに」


 尾張守護斯波義統はそこで言葉を区切ると。


「家康殿に死んでほしくない」

「あ、拙者も同じく」


 松永と二人でにこやかに笑った。



「おい、小姓ども! 聞いたか! こんな死にぞこないどもに戦わせるでないぞ!」

 家康が数名に減った小姓たちを激励する。


「ははっ!!」

 家康の小姓たちは覚悟を決めた顔で袖をまくり上げて配置についた。



 ……ほかに言いようはないのか。と義統はボヤキ、松永が苦笑した。



 


  ◆ ◆ ◆



 わああああああっ!


 鬨の声が近づいてくる。周囲の部屋はほとんど制圧されたらしい。


 家康の周囲も一人減り、二人減っていく。



「ぐふっ」


 そして、松永が斬られた。


「ここまでのようでござる。徳川様、なにとぞこの後は三好左京をお願い……」

「おい! 今まで勝ち逃げしかしてないくせに死ぬな!」

「いや、さすがに寿命……、徳川様の天下も見て……みた……」


 松永がこと切れた。



 くっ。家康は奥の間から外を覗く。日が昇ってきている。早く! 早く誰ぞ気が付け!!



 



 

「牛一よ、頃合いかの」

「いやもう無理かと思いまするが」

 どこか間の抜けたような声で尾張守護斯波義統が部下に呼びかける。


 状況を確認して、義統は家康に言う。

「家康殿、兜をお貸しくだされ、余が徳川家康なりと叫んで外に出ます故、家康殿は床裏にお隠れられよ」

「……それはできぬ!」


「何を言っておるか、選り好みをしている場合では……」

「いや、兜がない」

「ううむ、一度お話を伺って以来、真似をしてみようと思って居ったのだが無念」

 

 家康が言うと義統心底残念そうにして。


「では行ってまいる」

「またれよ!」


 義統と従者は家康の制止も聞かずに飛び出していった。


「雑兵ども!ワシが徳川家康じゃああ!手柄首じゃぞかかってこい!」

「……何が家康様だ、家康様はそのような爺ではない!」

「爺とはなんだ! 無礼者! ワシが徳川三河守じゃ!」


 たちまち突き伏せられた。





  ◆ ◆ ◆



「ここまでか、火をかけよ」

「はっ」


 もはや家康の周りには数名しか残っていない。


 小姓が残り少ない硝石をばらまき、一気に火を広げる。

 敵兵は火に巻かれて一時遠ざけることができた。


 だが、長くはもたない。

 


「思えば、重い荷を背負って長い坂を上るような人生であった。そして昇り切ったかと思えばセガレに殺される。所詮、そういう星の元産まれたか……」


 家康は衣装の前を寛げ、そして脇差を取り出した。

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