第17話 天下人徳川家康
天正10年(1582年)。
京、斯波屋敷。
「信康を赦免せよ?」
「伏して! 伏してお願い申し上げます! 拙者の腹であればいくらでも召しまするゆえなにとぞ!!」
家康の前で頭を床に擦り付けて土下座しているのは出家して謹慎中の信康の傳役であった平岩親吉である。
「いや、許すも何も、あれは勝手に出家して寺に引っ込んだのであるぞ」
「では!」
「そこまで言うならば信康の性根を確かめて来い」
信康が寺から出てきたのはそれからしばらくしてのことであった。
丸めた頭を頭巾に包んで、家康に頭を下げる。
「殿、いろいろとご心配ご迷惑をおかけして申し訳ございませぬ。ようやく、それがしも性根が座りましてございまする」
「よろしい、では武田討伐の総大将をやるか?」
ビクッと信康の身体が震える。
慌てて家康が補足した。
「いや、無理にとは言わぬ。そなたの嫁御のこともあるしな。ただこれをやり切れば家中にもそなたの復帰を大々的に知らせることになるし、幕府や朝廷にも官位を望みやすい。家督相続も穏便に行くかと思うのだが」
「……殿のご配慮、感涙至極にございまする。ありがたく武田討伐の総大将、お受けいたしまする」
覚悟の決まった目で信康は家康をしっかりと見つめて言い切った。
「そうか!それは良かった、そなたについては奥も心配しておったのじゃ……これで、すべて丸く収まる、いや、本当に良かった……」
ついに息子が自分を理解してくれた。家康の目にうっすらと涙が浮かんでいた。
◆ ◆ ◆
天正10年(1582年)。
武田義頼(勝頼)は切腹。
武田家は滅亡した。
天正10年は忙しい年であった、年明けすぐから総大将徳川信康率いる6万の大軍が信濃に攻め入ると、美濃の遠山、飛騨姉小路、信濃の木曾などが次々と雪崩を打つように降伏。
小田原からは呼吸を合わせて北条軍が甲斐駿河に攻め入った。
特に駿河に対しては温存してあった今川治部大輔氏真を名目上の総大将として駿府に進軍、予め渡りをつけてあった駿河の国衆が一斉に寝返り、武田の国守格であった穴山梅雪は逃走することに。
結果、甲斐を支えきれないと判断した武田義頼は真田安房守昌幸の提案で上州沼田にさして落ちていく途中、徳川軍に捕捉され包囲され、兵がことごとく討ち死に、切腹と相成った。
それを見た越後の上杉景勝は徳川に降伏。ついに甲信越が平定されたのである。早速、武田旧領の仕置きを粗々終えた徳川信康は歓呼の中を京都に向けて凱旋していくのであった。
◆ ◆ ◆
天正10年(1582年)。
京、斯波屋敷。
「いやはや、武田も上杉も打ち平らげられ、東は伊達、西は毛利が幕府を支持してござる。これで天下の趨勢は定まりましたな。これもすべては徳川殿のおかげ」
「いえ、儂は何ほどのこともしてござらん」
斯波屋敷に訪れたのは内大臣の菊亭晴季である。現職大臣を迎えるとなると大事になってしまうので、尾張守護斯波義統主催の茶会に招かれたという形をとっている。
「で、今回お会いしたかったのはですな、改めて徳川殿の身をもう少し重くしたいと考えてござる。天下に責任を持ってもらわねばならぬし。この上は関白か、太政大臣か、征夷大将軍かを選んでいただければと」
「はぁ!? 儂に?? 三河守を得るだけでも大騒ぎだったこの田舎大名中の田舎大名の儂に?」
「いや、その節は大変失礼なことを」
菊亭晴季が苦笑しながら詫び言をいう。
「まぁ、その、一気に飛びすぎなのもあるので、まずは権大納言あたりから始めていただき、右大臣あたりを務めていただいてから、となるが……いかがか」
「いや、考えがまとまりませぬ。また公方様はおられるのに儂が将軍や大臣などと」
「あの公方が何の役に立ちますか」
そりゃそうだが。最近すっかり影の薄い足利義昭を思い出しつつ家康は考えた。幕府の家臣と言ってもほとんど徳川が土地を安堵して徳川の命で動く組下大名のようなものである。しかも幕府の独自財源は義昭からのたっての申し出ですべて徳川の軍費に充てており、義昭自身の力といえば官位の申し告ぎや、寺社、座への特権の保証の謝礼で得られるわずかな(と言っても大金であるが)金銭のみである。
「いずれにせよ、岡崎次郎三郎殿が戻られれば、そちらにも官位の沙汰が必要ですし、そうなるとどの官職を目指して昇進の計画などもありますゆえ、武田討伐軍が戻られるまでにお決めなされ」
いや、まさかそんなことになるとは。どうしよう。
◆ ◆ ◆
それから日にちがたっても、斯波屋敷の茶室はいつも通り客人であふれていた。
「というわけで、そろそろ信康が戻ってくるのであるが、どうしたものであろうか」
「そのような相談にお呼びいただけるとはこの老骨感動で寿命が縮まりまするが」
達磨のようなヒゲを震わせて松永弾正久秀が答える。
「安心せい、そなたは30番目じゃ」
「これは!徳川様の家臣として30番目とは光栄至極!」
打てば響くように何でも言うなこの爺さんは。
「ご安心めされ、この斯波義統などずっと同席しているが意見を聞かれることもない」
「あいや、守護殿にもご意見をいただけるとありがたいのだが」
ほうほう、と義統が茶筌で粉茶を混ぜながらつぶやくとしばらく静寂が茶室に包まれた。
それを割ってまずは松永弾正が口を開いた。
「拙者としましては、将軍はどうかと思いまするな。なにせ長年三好の家老として管領やら将軍やらを操ってきて思いまするに、将軍といえば屋敷に籠って寺を建てるか歌を詠むもので、京の子供ですら正月の置物ぐらいにしか思ってござらん、いまさらなるものでも」
それは実感がこもっておるなぁ?
「いや、それは関白太政大臣などもっとそうではないのか?」
「いえいえ、関白太政大臣といえば今だ雲の上の存在でござるよ、ほとんど人前に出ないだけ、まだまだ有難みがござる。将軍は何かと言えば殺されたり追放されたりと話題に上がりすぎでございまする。仏像も年に一回だけ拝める方が有難みが増しましょう」
そういう考え方もあるか。というか将軍を暗殺したり追放したりした人間がそれを言うのか。実に経験が豊富だな。
「ですからそれは三好三人衆の悪事でござってそれがしは」
しつこく反論してくる松永弾正を黙らせ、家康は次に聞いた。
「で、守護殿はどうお考えで?」
「余としては飽くまでも家康殿のお気持ち一つで決めればよいと思っておるが、それでもお聞きされたいとなると……ご先祖はどう思っておいでかな?」
「いや、それは分かりかねまする」
「何を仰るか、徳川は源氏も源氏。新田の末でござろうに。足利と天下を分けて争ったは何のためか。将軍として天下に号令するためではなかったのでござるか。であれば、血筋に恥じぬ行いとなれば将軍をお受けする以外にありますまいて」
……なるほど、それは良くわかるが……。
「足利一族の守護様がそれを仰いますか」
「いや、もう足利は存分に天下に迷惑をかけたでな」
家康はあきれて言葉を継げなくなった。
「……まぁ、何かとありがたい助言をいただきましてござる。今日は飲みましょう。一晩泊まっていきなされ」
「ありがたき幸せ」
「余の屋敷なんじゃが……」
守護斯波の抗議を軽く流すと、家康は酒を用意させた。
◆ ◆ ◆
払暁。
まだ明けきらぬ薄暗闇の中を武者が進む。
そして斯波屋敷を取り囲むと、一斉に火矢を放った。
なんだこれは。
いくさのおとだ。
家康が飛び起きる。
「何事だ!!!」
「……ご謀反です!あれは……信康様の旗印!」
「な、なにいいいいいいい!?」
後世に言われる、斯波屋敷の変が勃発した。
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