自分を静かに見つめなおし我が実力を顧みれば。武士だ。
第14話 徳川家康
天正7年(1579年)の暮れ。
京、斯波屋敷。
「………」
カポン。
素朴に白木を使ってあつらえられた茶室。花入れや掛け軸、茶釜などが過剰に配置され、少し手狭さを感じるそこで、徳川三河守勝康は不機嫌に黙り込んでいた。
茶会を取り仕切る尾張守護斯波義統は黙って柄杓を操り、茶を点てている。しゃかしゃかと茶筌がたてる音だけが狭い茶室に満ちていた。
「ずいぶんとお怒りですな」
「怒り??いえ、普通でござるがなぜそのような?」
勝康が意外そうな顔で言う。
「いや、もう何かと付き合いも長いのでわかるのでござるが……、勝康殿はお怒りですぞ」
「いや、武田屋形のなされ方にはまったく異議はござらんので。叡山を焼いたはさすがにこの勝康も短慮が過ぎたと思っているばかりにて……」
「武田の話はしてござらんが」
「……」
勝康が黙り込む。
「いや、これからは老人の独り言にてお聞き捨てくだされ。徳川殿が武田にお怒りなのは当然、ただ徳川様は武田には勝てぬ、従わねばならぬと同時にお考えのはず」
「……」
「なので何とかアレを片付けて、コレを片付けて、武田に勝てるようになってから、しかしアレも心配……これでは武田に勝てぬ……徳川は武田より弱いということにお怒りを感じておられるのではないか」
「……」
尾張守護斯波義統、血筋だけで暖衣飽食し、趣味の茶道にも惜しげもなく大金を注ぐ翁が勝康の前に茶碗を置いた。
「そこが間違っておられる、徳川は武田より強うござる」
「は?」
「徳川殿が斬り従えた国は三河、尾張、美濃、伊勢、志摩、近江、若狭、伊賀、摂津、和泉の11か国。実質的に幕府を通じて号令できるのが、山城、大和、河内、丹波、丹後、紀伊、播磨の6か国、あわせて17か国」
指折り数える斯波老人。60を超えたその手は皴が深く痩せていた。
「武田の支配地は甲斐、信濃、上野、駿河、遠江、飛騨そして美濃、三河は半国でござるが、これを数えても8か国。此度従えた上杉が越後、佐渡、越中、能登、加賀の6か国、あわせて14か国」
圧倒的に強いとは言えないが、上方に位置し、京・大津・堺を抑えていることを考えれば、軍資金や鉄砲の数で大きく上回っており、質ではすでに武田を超えているはずだ、と斯波老人は付け加えた。
「……三河衆が十全にそろっておればそう言えるかもしれませぬが、実は我が方の兵の損耗は激しく、老練の侍も多く失っており到底昔のような戦い方はできませぬ」
「なぜ、三河殿だけがそうなっていると思われる?」
上杉への援軍で三河兵が損耗したというが、では上杉と延々と戦い続けていた武田は一切損耗していないのか? 丸一年を不毛な内戦に費やし、多くの兵を無駄に失った上杉はどうか?
「御身が苦しいのは分かるが、自らが苦しいから周りはぬくぬくと兵を温存しているわけではござるまい、代替わり後に休まず戦い続けている武田もそれなりに苦しいはずでござる。上杉の跡継ぎ争いに参戦せざるを得なかったのも、国力に自信がなかった表れではござらんか」
勝康は驚いた。
武田が徳川よりも苦しんでいる……? 長年周りが自分よりも強い大名家に囲まれ、強いものに頭を下げ、権威を持ち上げて暮らしてきた勝康にはにわかに信じがたいことであった。
「一度、勝康殿の思い通りに差配してごらんなされ」
◆ ◆ ◆
翌天正8年(1580年)春。ついに朝倉家の本拠地一乗谷が徳川軍により陥落。それを聞き、半年以上小谷城で籠城戦を戦っていた浅井が降伏した。
そのころ、徳川の家老石川伯耆守数正の軍が幕府の援軍を受けて淡路を平定。同時に土佐の長宗我部が阿波讃岐を平定しており、長年、対立将軍を抱えて義昭を認めず戦い抜いた三好三人衆と阿波三好家はここに滅亡した。
「長宗我部宮内少輔殿、土佐守の補任おめでとうござる」
「徳川殿こそ朝倉の討伐、めでたき限りにて……」
長身で能面のようなのっぺりとした顔を日焼けさせている男が勝康に頭を下げた。
三好討伐を完遂した長宗我部に対し、幕府より土佐守の奏請と阿波讃岐守護職の任命があった。これで長宗我部の讃岐阿波土佐三か国の統治に正統性が得られたことになる。
そのため長宗我部元親が上洛し、まず真っ先に勝康にお礼を言いに来たのである。
「ところで、伊予討伐の話でござるが」
元親が話題を変える。元親の野望である四国統一に向け、最後の敵となる中予の河野討伐の許可を幕府に求めていたのである。
「いや、検討したが幕府から討伐を命令するには名分が足りぬ、河野は幕府に逆らっておらん」
「……左様でござるか」
実際には三好討伐に出兵しなかったなどいくらでも理屈はつけられないことは無いのだが、河野には中国の大大名である毛利家の後ろ盾がついており、長宗我部の伊予侵攻に対しては毛利から何度も幕府に停戦の要請がきているのである。
いったんは三好攻めに専念するとして棚上げになっていたが、三好が滅びた以上は問題が再燃することは必至である……が。
「ただ、この勝康は、宮内少輔(元親)殿を応援してござるぞ」
「……ありがたき幸せ」
勝康は目の前の四国、近畿の安定を優先して、長宗我部をたきつけるのであった。
◆ ◆ ◆
天正8年(1580年)夏。
越前を平定していた徳川軍が加賀に侵入。多勢に無勢であり上杉の代官は抵抗をあきらめて逃亡。徳川軍は本願寺の寺院を再建し、加賀門徒に再結集を呼び掛けた。
「武田屋形のご了承を得てから仕置きすべきであり、徳川殿が勝手になさるのは宜しからず!」
「何度もお願いしておったではござらんか。そもそも、本願寺はわれらの盟友であったはず、加賀は本願寺に返してしかるべきでござろう」
武田上杉の抗議の使者を追い返すと徳川勝康は全領土および徳川に従う国人衆、城主に総動員を命じた。
「父上! 御乱心なさったのか! 武田屋形は大変なお怒りですぞ!」
飛んできたのは岡崎の次郎三郎信康である。武田の嫁を貰っている彼にしてみれば、急に武田に敵対行動をとり始めた父の行動が信じられなかったのである。
「そうか、武田屋形はお怒りか……で、信康」
「はい」
「そなた、父の怒りは分からぬのか」
信康は絶句した。誰に何を言われてもにこやかに頭を下げてばかりいた父勝康の顔に憤怒の表情が現れている。
「まさか、武田家と本気で手切れを」
「滅ぼす」
勝康は言い切った。
「……気持ちの整理がつきませぬ、武田家には知己も多く」
絞りだすように言う信康。長い間東と西で担当を分けて暮らしていた中で、ここまで気持ちがずれていたとは……。
「であれば屋敷に籠っておれ、すぐ済ませる」
勝康が言い放つ。
「……出家いたしまする」
信康は深く頭を下げた。
信康は徳川家の菩提寺である、浄土宗の三河大樹寺に預けられた。
これを受け、武田は徳川との手切れを宣言した。
◆ ◆ ◆
「これより、勝の字を捨て、徳川三河守家康と名乗る!!!」
武田討伐のために集めた京を埋め尽くす徳川軍の将兵に対し、徳川家康が叫んだ。
「他の誰の命令でもない、他の誰に遠慮もせぬ! この家康が命じる、武田を討伐せよ!」
この日、上方より総勢8万の徳川軍が武田上杉討伐のために進発した。
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